〔『リーダーズ・ダイジェスト』編集部より〕
八月五日の日曜日、世界でもっとも有名なグラマー女優だった映画スターが、ハリウッドの自宅のベッドで死体となって発見された。ベッドのそばの床には睡眠薬の瓶があり、そして彼女の手は電話器をにぎっていた。息を引き取る直前、マリリン・モンローはひどく精神が錯乱していたことは明らかで、誰かと話そうとしていたらしい。今となってみれば、錯乱した感情と、誰かと話したいという気持ちは、いつもモンローにつきまとっていたらしい。表面だけをみると、モンローは楽しさと幸福のシンボルだった。しかしその感じやすい表面のすぐ下には不安と、疑惑と、たしかな価値を必死に求める努力との暗い部分があったようだ。
死ぬ少し前、モンローは「ライフ」の編集記者リチャード・メリマンと数回にわたって対談を行った。本編に収録するその談話は、モンローの重要な自画像として忘れがたいものとなった。談話は初めから打ち解けて固くならず、確信と熱意に溢れていたが、進むにつれて調子が変わり、内省的、哲学的となり、思索的傾向さえ示している。そうした考えかたのうちに、モンローを睡眠薬の瓶と、電話器と、そして悲劇へと追いやった力のいくつかがあったことを、この談話の行間に読みとることは決して困難でない。
ときどき私はスカーフを首に巻きラクダのスポーツコートをひっかけてお化粧もせず、ちょっと変わった歩きかたをしながら買物に行きます──それともただ町の人たちの暮らしぶりを見に行くのかしら。ところが目ざといティーン・エージャーがかならずいて、「ほら、あれ誰だかわかるでしょ?」と言って、私のあとをつけ始めます。私は何とも思わない。人々は私が本物かどうか見極めたがるのだと思いますわ。ティーン・エージャーの小さい子供たちの顔がぱっと明るくなって、「わあ」と声をあげ、じっとしていられないで友だちに話してしまうんです。年配の人たちもやってきて、「家内に教えてやりますから待っててください」と言います。これでその人たちの一日に変化が起こったということになるんですわね。
朝、五十七番街を通っていくゴミ屋さんは私が戸口から出て行くと、「やあ、マリリンさん、今朝はいかがですか」と言います。私は光栄に思いますし、そう言ってくれるゴミ屋さんが好きです。私がどういう人間かというようなことや、なにかそういったことを皆さんが知っていてくれるのはうれしいことですし、私がそういう人たちに多少の喜びを与えていると思うのもうれしいことです。なぜかそういう方たちは、私がスクリーンで演技をしているときでも、直接そういう方たちに会って挨拶しているときでも、私が本気でものを言っているのを知っているらしいんですよ。こんにちはとか、いかがですかとかいう言葉も、私はいつも本気で言っているのです。
マリリン・モンローか、あいつは自分を何だと思っているんだ?
ところが人間は有名になると、いわば剥き出しの人間性にぶつかるようになります。名声は羨望をかきたてます。顔を合わせる人たちは、なに、マリリン・モンローか、あいつがなんだ──あいつは自分を何だと思っているんだ? というふうに感じてしまうんです。その人たちは相手が有名であれば、前へツカツカと歩いていって何でも勝手なことを言う権利があると思い、そんなことをしても相手の感情を損なうことなんかないと思いこんでいるんですね。あるとき私は家を買いたいと思い、売り家を探してこの邸へ立ち寄りました。男の人が出てきて、気持ちよく応待してくれたあとで、「ああ、ちょっとお待ちください、家内にも会っていただきたいのです」と言いました。ところがその人の奥さんは出てくるなり、「この邸から出ていっていただけませんか」と言ったんですよ。
私たちは絶えず人々の無意識の一面にぶつかっています。一部の俳優──あるいは監督──を例にとってみましょう。普通こういう人たちは私には言わないで新聞社に話します。そのほうが反響が大きいからです。なぜ人々がもう少しお互いに寛大にならないのか、私には理解できません。言いたくはないんですけど、この商売には嫉妬心の強すぎる人がいっぱいいるのではないかと思います。私にできるたった一つのことは、ちょっと手を休めて、「私はそれでいいんだけれど、あの人たちのことはよくわからないわ」と思ってみることだけです。たとえばある俳優が、私に接吻するのはヒトラーに接吻するような気持ちだと言ったことがあります。でも私はそれは彼の問題だと思っています。
名声とは、どんなもの
でも、名声というものの一つの特質は、人が偉大であればあるほど、さもなければ単純であればあるほど、それだけ名声に威圧されることがないということです。そういう人たちは他人を侮辱する必要を感じないのです。人はカール・サンドバーグに会うことができますし、彼もその人に会ったことをとても喜びます。彼はその人のことを知りたがり、会いにいった人も彼のことを知りたいと思うわけです。あるいは名声ってどんなものか知りたがっている勤労階級の人たちに会うこともあります。私はその人たちに説明してあげようとします。そういうものはときにはほとんど我慢のならないほど苦しいものですと言って、そういう人たちに幻滅を与えるのは、私の好まないことです。そういう人たちは自分の日常生活にはないものを私のうちに見出だそうとしているのですものね。それは普通娯楽とか、逃避のための世界とか、幻想とか呼ばれているものだと思います。
このことを考えると少し悲しい。なぜって人は誰でも他人に会うときに、ただ額面通りの自分として会いたいと思うものですもの。人々の幻想のなかに自分を入れてもらうことは楽しいけれど、やっぱりあるがままの自分として受け入れてもらいたいとも思うものですわ。
私は自分を商品とは見なしていません、でもそう思っている人はたくさんあるに違いありません。こう言うと私が悩まされているように聞こえるかもしれませんけど、実際私はそうだと思っています。もちろん相手にもよりけりですけど、私はよく食卓の空気を明るくするためにいろんな場所へ呼ばれることがあります──音楽家が食後にピアノを弾くように呼ばれるのと同じで、本当にその人自身として呼ばれたのではないことはわかっているんです。ただの飾りにすぎないんですね。
誰かが間違えたんだわ
私は有名になったのかなと思い始めていたころ、ある人を車で空港へ送っての帰り道、映画館の前を通ると、私の名前がライトに照らし出されていました。私はいきなり車を街路のずっと離れたところに停めました。すぐそばまで行ってみる勇気はなかったんです。そして私は、「まあ、誰かが間違えたんだわ」と言いました。しかし名前はたしかにそこに照らし出されているんです。私は座ったまま「なるほど、こういうふうに見えるんだな」と独り言を言ったものです。なんとも奇妙な感じがしました。しかもスタジオでは、「いいかね、君はスターじゃないんだよ」と言われていたんです。でも名前はちゃんと照らし出されているんですものね。
本当のことを言えば、私は自分がスターか、あるいはそれに似たようなものであるに違いないという考えを新聞記者から与えられました──といっても男の記者で、婦人記者ではありません。男の記者は私の談話を取りにきて、親切に、打ち解けて話してくれました。「あなた一人だけがスターですよ」と記者たちが言うので、「スター?」と聞きなおすと、あの人たちはあきれたように私を見るのでした。馬鹿じゃなかろうかとでも思ったかのように。
紳士は金髪がお好き
「紳士は金髪がお好き」のなかで役をもらったときのことを思い出します。ジェーン・ラッセルが栗色の髪の女の役をやり、私が金髪の役をやったのですが、ラッセルはその役で二十万ドルをもらい、私は週五百ドルでした。それでも私にとってはそれは相当な金額だったのです。ただ残念なのは、私は楽屋の部屋をもらえなかったことでした。だからとうとう私は言ったのです。「ねえ、何と言ったって金髪なのは私よ。そして『紳士は金髪がお好き』なのよ」と。みんなが依然として私に、「いいかね、君はスターじゃないんだよ」と言い続けていたからです。「そうね、何でもいいけれど、とにかく金髪なのは私よ」と私は言いました。
でも私は言いたい、もし私がスターだとすれば、私をスターにしてくれたのは民衆なのだ──スタジオでもなく、誰か一人の人でもなく、民衆がしてくれたのです。その反響はありました。スタジオにファンから手紙が届きましたし、映画の初公開の日に私が行けばお客さんが大騒ぎをしてくれました。私にはなぜだかわからなかったけれど、大勢の人が私のほうへ駆け出してくるので、自分のうしろに誰かいるのかと思って振り返ってみたりしました。「まあ大変!」と私は思わず言って、死ぬほど怖くなってしまったんです。私はときどき自分でも知らずに、誰かを、あるいは何かを──たぶん私自身を──だましているような感じをよく持ちましたし、今でも持つことがあります。
私はまた世間が広くなるにつれて、人々がいろんなことを当然のように思いこみ、打ち解けてくるばかりでなく、突然我慢がならないほど慣れ慣れしくなり、ごくわずかなことに対して大きな返礼を期待するようになることも知りました。
世界でいちばん自意識の強い人間の一人
私はいつも、どんなに些細なシーンに対しても──たとえそのシーンでの私の役が、ただ出ていって「ハロー」と言うだけだったとしても、お客さんはお金を払っただけのものを私から受けとる権利があるのだと思っています。私としてできるかぎりの最上のものをお客さんに与えることが、私の義務だと思っているのです。いつかは、その意味について非常な責任を負わなければならないような場面が出てくるかもしれません。そういうとき私は、やれやれ、いっそ掃除女にでもなっていればよかったと思うのではないかという気がしています。でもこれはあらゆる俳優が経験することなのでしょうね。
俳優はよく舞台おくれということを言います。私が先生のリー・ストラスバーグに、「どうしてなのかわかりませんけど、私このごろ少し舞台おくれがします」と言うと、先生はこうおっしゃいました。「舞台おくれしなくなったら、俳優をやめたほうがいいね。舞台おくれは感受性がある証拠だからね」
羞恥心との戦いもまた、普通の人の想像する以上に、あらゆる俳優の苦しむところです。私たちの心のなかには検閲官がいて、遊んでいる子供にするように、どの程度まで放任すべきか自問しています。世間の人たちは、我々がただそこへ出ていって演技をする──ただそれだけだと思っているのではないでしょうか。本当は大変な闘争なのです。私は世界でいちばん自意識の強い人間の一人です。私は本当に戦わなければならないんです。
俳優は機械ではありません。世間の人がどんなに機械だと言いたくても、やはり機械ではないのです。創造性は人間性から出発しなければなりません。そして人間であれば物を感じもしますし、悩みもします──快活にもなり、病気にもなり、舞台おくれでも何でもするのです。
ゲーテは「才能は衆目にさらされないところで作られる」と言ったそうですね。実際その通りです。ひとりになることが必要なんですが、たいていの人は俳優に対してはそれを理解してくれないようです。俳優はみな心のなかに何かしらの秘密をもっていて、演技をするときだけほんの一瞬間、それを全世界の人にのぞかせるといったようなものなのです。
ところがあらゆる人が俳優にまつわりついています。俳優の人間を少しずつちぎって持っていきたがっているみたいです。そういう人たちは自分では気がついていないらしいのですけど、やれあれをしろ、やれこれをしろと言って、うるさいものですわ。俳優のほうでは切りさいなまれることなく、人間としての自分でありたい──自分を見失わないようにさせてほしいと思っているのです。
ときどき遅刻するわけ
人間が有名になると、あらゆる欠点が大袈裟に伝えられるものだと思います。風邪もうかうか引いてはいられないのです──なんだ、風邪なんか引くとはけしからんというようなことになります。重役なら風邪を引いても、いつまでも家に引きこもって、電話で用をすませていられますが、俳優は風邪など引く権利はないというのです! 私はときどきこう思います。あの人たちも一度、ウイルスにやられて熱を出しながら喜劇をやらされる身分になってみるといいんだわ、と。私はただ訓練のためにスタジオに顔を出すだけの女優ではありません。私は演技をするためにそこへ行くのです。ここは芸術の殿堂ということになっていて、ただの製造工場ではないのです。
私の演技の力になっている感受性はまた私を反抗させることもあります。俳優は感じやすい楽器だと言えるでしょう。アイザック・スターンは彼のバイオリンを非常に大切にしています。人がやたらと彼のバイオリンにとびついたらどんなことになるでしょうか?
絶対人には知られたくないと思うような、実に奇妙な問題をかかえている人はたくさんあるに違いありません。ところが私の問題の一つはあいにく人目につきます──私は時間に遅れるのです。世間の人は私が遅刻するのを一種の傲慢のためだと思っているらしいのですが、私はむしろ傲慢の反対だと思っています。私はまた自分がこの大きなアメリカのあわただしさに巻きこまれていないことを感じます──アメリカではただやたらに、理由もなく、動きまわり、しかも急がなければならないのです。大事なことは、私はそこへ着いたときには自分の能力を出し尽くしてりっぱな演技なり何なりができるような状態にありたいと思うことなのです。
時間通りに行って、何もせずにいる人はたくさんいます。ただぼんやり座っておしゃべりをしているんです。ゲーブルさんが私のことをこう言ってくれました。「マリリンはそこにいるときは、本当にいるのだ。全身全霊をもって、そこにいるのだ」と。
大祝賀会場の静寂
マディソン・スクエア・ガーデンで催された大統領の誕生日祝賀会に招かれたとき、私は光栄に思いました。私が「誕生日おめでとう」の歌を歌うために出て行ったとき、大きな全会場が水を打ったように静かになりました──私は自分がスリップを着ていたら、それが裾の下から見えてやしまいかと思ったに違いないと感じるような、そんな気持ちでした。「ああ神様、もし声が出なかったらどうしましょう!」と私は思いました。
聴衆がそのように静まり返っていてくれることは私を感激させてくれます。それは抱擁のようなものです。だから私は思うのです。ああ神様、たとえこれを歌ったら、ここでばったり倒れて死んでしまいましょうとも私はこの歌を歌います、と。
そのあとでレセプションがありました。私は先夫の舅のイサドア・ミラーといっしょに行きました。それで私は大統領に会ったとき少々へまをやったように思います。私はただ、「これは先夫の舅のイサドア・ミラーです」と言ってすましていました。舅は移民としてアメリカへ来た人で、その日のことは一生の思い出になる大事件なのです──彼は七十五か八十で、私はお孫さんたちに今日のことを話してあげるだろうと想像していました。だが、私は、「大統領さん、ご機嫌はいかがですか」と挨拶すべきだったのです。でも誰もこれには気がつかなかったと思います。
私のようになりたいと思う娘たち
名声には特別な重荷がついてまわるものです。そのことをここではっきり述べておきたいと思います。私はグラマーだとか性的だとか言われる重荷のことは何とも思いません。美しさや女らしさは年とは関係のないもので、工夫してつくり出すこともできないものです。またグラマーは──グラマー製造家にはお気にいらないでしょうが──製造はできないものなのです。真のグラマーは女らしさにもとづくものだからです。私にはこの性のシンボルがどうしてもはっきりわかりません。しかしもし私が何かのシンボルにならなければならないのなら、他の人がシンボルになっているいろんなものよりも、私はむしろ性のシンボルでありたいと思います。私のようになりたいと思う娘たち──そういう娘たちについていろんな冗談が言われています(たとえ彼女たちは前のほうも足りないし後向きのほうも足りないというような)。でも私の言いたいのは、生命の場である真ん中が足りないということです。
また初めからやり直すんだわ
たしかに名声は私にとって、部分的な幸福にすぎません。名声はどうしても毎日の食事には適さず、私を満足させるものではないのです。多少は人を激励してくれるけれど、その激励は長続きしません。
一度私はもうダメだと思われたことがあります。アーサー・ミラーが国会を軽蔑した 廉 で裁判にかけられたとき、ある会社の重役が彼に、問題の人物の名前を出せ、私も彼にその名前をしゃべらせろ、さもなければ私はもうおしまいだと言ったのです。私は言ってやりました。「私は良人の態度を誇りに思っています。そしてあくまでも良人を支持します」と。裁判所も彼を支持しました。人々は、「お前はもうおしまいだ、お前の名は永久に忘れられるだろう」と言いました。
おしまいになったらむしろほっとしたことでしょう。それはちょうど、どんなレースだかも知らず無我夢中で駆け続けて、気がついてみたらゴールに入っていたようなものです。やっとすんだ! と私は大きな息をつきます。ところがまだ終わりではない──また始めからやり直さなければならないのです。しかし俳優はいつでも能力次第のものなのです。
私は世間の人が私を見限るとは思いません。私は民衆が好きです。「世間」は私を恐れさせますが、民衆を私は信頼しています。私は今私の仕事のなかに生き、私が本当に信頼できるわずかな人たちとの、わずかなつながりのなかに生きています。名声は去るでしょう。名声よ、あなたを私はあまりにも長く経験した。名声は去るにしても、名声が浮気なものであることを、私はとうから知っていました。だから名声は少なくともある体験ではあったけれど、私の住む場所ではなかったのです。