PAINTING

精選・セザンヌの手紙

ポール・セザンヌ

岩田満壽夫訳|ARCHIVE編集部編

Published in October 19th, 1866 - October 17th 1906|Archived in April 27th, 2024

Image: Paul Cézanne, “Mont Sainte-Victoire and Château Noir”, 1904-1906.

CONTENTS

エミール・ゾラ宛(エクス、1866年10月19日)ニュマ・コスト宛(エクス、1868年11月下旬月曜の夜)カミーユ・ピサロ宛(エクス、1876年7月2日)ヴィクトル・ショケ宛(エクス、1886年5月11日)ジョアキム・ガスケ宛(エクス、1896年4月30日)ジョアキム・ガスケならびに某青年宛(日付不詳)シャルル・カモアン宛(エクス、1902年2月3日)姪ポール・コニール宛(エクス、1902年9月1日)アンブロワーズ・ヴォラール宛(エクス、1903年1月9日)シャルル・カモアン宛(エクス、1903年2月22日)シャルル・カモアン宛(エクス、1903年9月13日)ルイ・オランシュ宛(エクス、1904年1月25日)エミール・ベルナール宛(エクス・アン・プロヴァンス、1904年4月15日)エミール・ベルナール宛(エクス、1904年5月12日)エミール・ベルナール宛(エクス、1904年5月26日)エミール・ベルナール宛(エクス、1904年7月25日)シャルル・カモアン宛(エクス、1904年12月9日)エミール・ベルナール宛(エクス、1905年、金曜日)エミール・ベルナール宛(エクス、1905年10月23日)息子宛(エクス、1906年8月3日)息子宛(エクス、1906年9月8日)息子宛(エクス、1906年9月13日)エミール・ベルナール宛(エクス、1906年9月21日)息子宛(エクス、1906年9月22日)息子宛(エクス、1906年9月26日)息子宛(エクス、1906年9月28日)息子宛(エクス、1906年9月28日)最後の手紙:某画家商人宛(エクス、1906年10月17日)

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿は、ARCHIVE編集部が、『セザンヌの手紙』(ポール・セザンヌ著、岩田満壽夫訳)に収録された書簡から、思索と制作に触れている全箇所を抜粋・編集したものである。
ただし、「自然を円柱体、球体、円錐体として取り扱うこと。」という一節が書き記された手紙(エミール・ベルナール宛〈エクス・アン・プロヴァンス、1904年4月15日〉底本:332-334ページ)と生前最後の手紙のみ、全文を収録した。
旧字・旧仮名遣い・旧語・人名は現代的な表記に改め、表現ぶりや句読点を整え、一部漢字にルビを振った。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ポール・セザンヌ(1839 - 1906)訳者:岩田満壽夫編者:ARCHIVE編集部
題名:精選・セザンヌの手紙(各手紙の題名は「CONTENTS」を参照)原題:『セザンヌの手紙』
初出:1866年10月19日〜1906年10月17日
出典:『セザンヌの手紙』(日下部書店。1943年。62-63、81、109-111、251-253、272-275、282-283、309-310、316-317、319-320、321-323、325-326、329-330、332-334、334-336、337-338、342-343、347-349、359-361、361-364、369-370、381-383、384-386、387-389、390、391-393、394-395、405、398-399ページ)

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エミール・ゾラ宛
(エクス、1866年10月19日)
 
……ところで、僕は考えるが、屋内で、つまりアトリエのなかで描かれた絵というものはどれも皆、外光のもとで描かれた絵に到底及ぶものではないということだ。野外の状景を描くさいにつくづく感じるが、地上に在るものの諸相の 対立 オポジション は驚くべきものだ、風景というものは素晴らしいものだ。実に美事な生命がそこにひそんでいることにしばしば気づくよ。もうこれから僕は、野外のものしか描かぬことにしようと思っている。……
 
……僕には、昔の巨匠たちが野外のものを描いたどの絵を見ても、魅力乏しく感じてならない。それというのも、かれらの絵は、自然が諸物に与えているあるがままの 外貌 すがた 、とりわけその各々に備わっている独自性というものを、真に捉えていないからだ。そう僕は思うね。……

ニュマ・コスト宛
(エクス、1868年11月下旬月曜の夜)
 
……土地の者によって行われることになっていたサント・ヴィクトアール山征服の壮挙も、夏はあまりの暑熱のため、また秋は豪雨のために妨げられて、ついに実現されずに終わってしまった。あの山は君ともお馴染みだね。実際、山というものは、その超然たる威厳をもって小さな人間どもの意志を挫こうとでもするかのようだ。そう思わないかね? それに、人間というものは常に気力に溢れているわけではない。ラテン語でいうと、semper virens (常に青々として)いるわけではないのだからね。……

カミーユ・ピサロ宛
(エクス、1876年7月2日)
 
……僕がいまいるエスタクはすばらしいところで、きっとあなたもお気に召すだろうと思います。……ーーとにかくここには、三月でも四月でもゆっくり腰を据えて描けるようなモチーフがどっさりあります。それというのも植物が変化しないからです。つねに緑濃く茂る橄欖樹と松。そして、陽の光が強烈なため、地上のさまざまな物象がシルエットとなって浮き出すかと思えるほどです。単に白と黒のシルエットではなく、青や赤や褐色や菫色のシルエットとなって、です。僕の考えに間違いないとはいえませんが、ともかくこうした感覚は、通常の「物を浮き出させる技巧」などでは到底表しえない特別なものだと考えられます。……

ヴィクトル・ショケ宛
(エクス、1886年5月11日)
 
……あなたの非凡さーー健やかな数多の能力の均衡ある結びつき、とでもいいましょうかーーそれは、先日のあなたのお手紙にもほのかに窺えるものです。こういうことをくどくと述べるのは、ほかでもなく、私自身がそういう力を得たいと切に願っているからです。私にそれが恵まれておらぬことは、痛恨の至りです。もっとも、ほかの点ではとくに不平をいいたいこともありせん。あんまり欲張っては罰があたりましょう。
 
遙かなる空、ありとあらゆる自然の姿が、絶えず私の心をとらえ、そして、それを眺めることの法悦をいつも私に与えてくれます。なんという幸せでしょう。
 
ただし、味わうには味わっても、それを作品に表すとなると別問題です。いったい、事物の素朴な姿とは 畢竟 ひっきょう それを感ずる人の素朴さにほかならぬのでしょうが、たとえば私が様々な物の最も素朴な姿を描きだそうといくら望んでも、それを妨げるなにか運命的なものが自分の 内部 うち にまといついているような気がします。
 
私が葡萄畑をもっていても合懀なときに寒気がやってきて収穫の望みを失わせてしまうようなものでしょう。愛らしい若芽の出るのを楽しみにしてたのに、とんだ失望です。こうなったからには、私はただ、あなたの畑の植えつけがうまくいきやがてすくすくと緑あざやかに生い育って良き実を結ぶようにと、かげながら祈るほかはないのです。まったく、生き生きとした緑の色くらい見る眼に快いものはありません。
 
私はともかくも一生懸命絵を描いています。おそらくこの風景には、かつて何人の手も触れなかった無垢の実が隠されていることでしょう。……

ジョアキム・ガスケ宛
(エクス、1896年4月30日)
 
……君が仮に私という人間の内面を覗きえたとしても、 畢竟 ひっきょう 君と私とがまったく異なった人間だということをあらためて知って驚くだけのことでしょう。要するに、現在の私がどんな悲境に陥っているか、君にわかるものではありません。私を知りもせず、あらぬ人間を私だと思い込んで完膚なきまでに論じつくすつもりでいる哲学者気取りの男が、とりもなおさず君なのではありますまいか。とにかく私は、稿料五十フランの記事をでっち上げるための方便として世人の注意を私の上に向けさせている悪漢どもを憎みます。私は、これまでつねに、絵によって暮らしが立てられるまでになりたいと念じて精出してきたわけですが、私の信ずるところでは、我々はただ立派な絵を描きさえすればいいのであって、なにもわざわざそれを描いた自分がどういう人間であるかを世間の人に知ってもらうにはあたらない。たしかに芸術家はあたうるかぎりの知的向上を目指して励みもするでしょう、しかし依然人間としての彼は背後の闇によう としてとどまるほかはないのです。それでいいのだと思う。悦びは、研鑽の努力にこそあるべきです。
 
それゆえ、たとえ私の研鑽の目的が遂げられたとしても、私は相変わらず昔馴染みの絵描き仲間を酒の相手としながら、片隅に引っ込んでいままでどおりの仕事を神妙に続けていくだけのことでしょう。幸い私には、昔から励まし合ってきた良友がいまでもいる。彼の努力に花が咲くのは何日のことかわからぬとはいえ、 賞牌 しょうはい や勲章をせしめようと抜け目なく立ち回っているさもしい絵描き連中に比べたらどれだけマシかしれません。
 
なんといっても私はおいさき短い人間です。君はまだ若い。華々しい出世を夢見ていることに不思議はない。ところが私はどうだろう、いまとなってこの私に残されている道は何だろう? 分相応にほそぼそと生きることです。自分の住み馴れたささやかな世界をともかくも後生大事に守るほかはないのです。……

ジョアキム・ガスケならびに某青年宛
(日付不詳)
 
……私も年相応に一角の分別は弁えており、それゆえ、この 年齢 とし になってはもはや夢のとげられる望みはほとんどないということを承知しているつもりです。しかし、この夢というやつが、これから先もやっぱり私をそそのか すのでしょう。
 
……ともかくも私は、我々に固有の混沌たる様々なサンサシオン〔感覚。セザンヌの多用する用語〕をどう表現すべきかについての探求を続けています。もっとも、私が死んでしまえばそれっきりの話です。もっとも、そんなことはどうでもいい!
 
……私が生まれてきたのは少々早すぎたらしい。もともと私は、私の時代の画家というよりむしろ君たちの時代の画家だったのです。
 
……君たちは若い。力に溢れている。君たちは、湧き立つ意欲を芸術に叩き込む。それは、溌剌たる感動をもつ者にしてはじめて行いえることです。ところが私は年齢をとっている。余命はいくばくもなく、ついに自己を表現せしめようとの望みはおぼつかないかもしれぬ。……なにはともあれ、お互いに仕事を励もうではないか。
 
……描くべき対象の生命を読み取り、読み取ったところを作品に定着せしめること、それは時として甚だ手間のとれるわざ です。

シャルル・カモアン宛
(エクス、1902年2月3日)
 
親愛なるカモアン君。
 
……君はパリにいて、さぞかしルーヴルの巨匠たちの誘惑を受けておいでのことだろう。君が気を惹かれるならそれもいい、ヴェロネーゼやルーベンスのようなデコラティーフな大家の作品にしがみついて勉強するのもよい。ただし、自然から学とおなじ心構えをもってそれらの作品に臨むのでなければいけません。そういう勉強が私には十分やれなかった憾(ルビ:うら)みがあります。ーーしかし、なにをおいても、自然についての勉強をしっかりなさい。……
 
現在君はお母さんと一緒にいるそうですが、何よりのことだと思う。悲しみや落胆に襲われたときの君にとって、お母さんは一番たのもしい心の支えとなり、芸術の仕事に立ち向かう新たな気力を君がそこから汲み取ることのできる豊かな源泉ともなってくれるでしょう。けだし、芸術の仕事はゆるんだ気持ちで漫然とやれるはずのものではなく、沈着に辛抱強く構えてやり遂げようと努めねばならぬもの、ひいてはまた生活人としての君を強固に鍛え上げるにきわめて必要な明察透徹の心境をもたらさずにはおかぬもので、それゆえなかなか勇気のいるきびしい修行なのです。ーー絵によって鮮明におのれ を語りえる境地に至らんものとしきりに試みている私の努力に親身な理解を寄せられ、あまつさえあのような賛辞をいただいたことは身に余る光栄、恐縮にたえません。……

姪ポール・コニール宛
(エクス、1902年9月1日)
 
親愛なるポーレット。
 
……年取った伯父さんのことをよくぞ忘れずにいてくれました。お前たちのことを思い出して、ゆえしれぬ感動を覚えるとともに自分はやっぱりまだこの世に生きていたいのだと気づきます。ほんとはこの世にさよならしても不思議はない頃合いなのだが。
 
エスタブロンの昔のさまやエスタクの美しかった浜辺のことは、いまもありありと思い出します。悲しいことに、文明の進歩と称するものは、二本足の動物が自然の宝を傷つける侵犯行為にほかなりません。なにしろ、あの美しい浜辺を、ガス灯や(もっとひどいのは)電灯のつらなる殺風景な岸壁に模様替えして良い気になっているんだからね。まったく、困った時代に生まれ合わせたものです!……

アンブロワーズ・ヴォラール宛
(エクス、1903年1月9日)
 
親愛なるヴォラール君。
 
目下、一心不乱に仕事をしています。どうやら約束の地がかいま見えてきました。果たして私は、あのヘブライ人の偉大な長のようになれるのでしょうか、約束の地に首尾よく達することができるのでしょうか?
 
……私の絵に若干の進歩が現れてきました。いまごろになって、やっとこさここに達するとはなんたることでしょう?  畢竟 ひっきょう するに、芸術は、純粋なるものの一切を捧げて仕えよと頑固に要求する司祭職にでもたとえられましょうか?……

シャルル・カモアン宛
(エクス、1903年2月22日)
 
親愛なるカモアン君。
 
私も六十四のよわい を迎え、さすがに老衰の甚だしきを覚えます。君に返事を出すのが大変遅れてしまったことも、これに免じて許してください。……
 
君の手紙はうれしく拝見しました。せっかくのお言葉ですが、どうあっても私は仕事をしなければなりません。ーーところで、自然との接触のもとに養われかつ翻って自然の理解に役出すところの理論こそ、とくに芸術の場合もっとも肝要なものです。……
 
考えてみると、人をしてこれぞと目指す目標へ達せしめる基となる力は、その人の 素質 テンペラメント 以外にはありません。

P・セザンヌ   

シャルル・カモアン宛
(エクス、1903年9月13日)
 
……〔トマ・〕クチュールは弟子たちにいったそうです、「名作に親しめ」と。なるほどそうにちがいない、「ルーヴルへ行け!」です。しかし、そこの壁面に憩う巨匠連の名画を眺めたのち、すみやかにそこを立ち出ておのれ に帰り、己の内に棲む本能と芸術感覚を自然との接触のもとに生き生きと働かせるべきであります。……
 
君にくれぐれも望むのは、自然を前に据えて吟味熟読することです。これこそ最上の勉強ですよ。……

ルイ・オランシュ宛
(エクス、1904年1月25日)
 
親愛なるオランシュ君。
 
……君は手紙のなかで、私の芸術上の 実現 レアリザシオン について語っておられる。ところで、私はすでに、易々とではないにせよとにかくこの実現に毎日少しずつ達しているつもりでいます。それもそのはずでしょう。一体、自然に対する旺盛な感覚ーーもとより私の内にもそれは溌剌と生きていますーーというものが、あらゆる芸術創造にとって抜くべからざる根底であり、生まるべき作品の偉大と美を支えるところの地盤であるとすれば、自身の感受内容を表し示す方法について十分な弁えをもつことはおなじく肝要なのです、そしてこの弁えはきわめて永きにわたる経験の末にようやく得られるものなのです。
 
人に褒められることも励みにはなりますが、場合によっては、褒められても真に受けぬ心構えが大切です。自身は人を謙譲ならしめます。……

エミール・ベルナール宛
(エクス・アン・プロヴァンス、1904年4月15日)
 
親愛なるベルナール君。
 
この手紙が届くころ、君はもう一通、ブルゴン街に宛てたベルギーからの手紙をすでに受け取っているでしょう。お手紙の文面に窺われる芸術に対する君の深い理解を、うれしく思っています。
 
さて、過日君に話したことの繰り返しになりますが、ーー自然を円柱体、球体、円錐体として取り扱うこと。すべてを透視画的に眺めるなら、物体、面の各々の場所が中心の一点へ導かれていくのがわかりましょう。地平線に並行するさまざまな線は広さを、すなわち自然の一断面をーーもしくは、お望みならこう言い換えてもいい、全知全能にして永遠なる神が我々の眼前に拡げるスペクタクルの一断面をーーもたらし、一方、地平線に垂直なさまざまの線は深さをもたらします。一体、我々人間にとって自然は、表面においてよりも一層内面の深さにおいて成り立っているのです。そこで、赤と黄系統の色によって表される光の波動のなかへ、空気を感じさせるために青味を帯びた色の一定量を導き入れる必要も生じてくるわけです。
 
君が私のアトリエで描いて残していった習作をあらためて拝見しましたが、あれは良い出来栄えです。君はいまのままで推し進めていきさえすればいいのだと思う。それに君は、どうすればよいかは自分でちゃんと心得ている人です。いずれまもなく、ゴーギャンやヴァン・ゴッホのような画家に飽きたらなく思う時がくるでしょう!
 
奥さんにくれぐれもよろしくお伝えください。子どもさん方にゴリオ爺さんの優しい接吻を送り、あわせてご当家の皆さんに謹んで敬意を表します。

エミール・ベルナール宛
(エクス、1904年5月12日)
 
……前にもお話ししたが、ルドンはなかなかすぐれた才能をもっていますよ。ドラクロワの真価を知って賛美している点でも、私はまったく彼に共鳴できます。ドラクロワといえば、彼のアポテオーズを描こうという私の年来の夢は果たして実現されえるかどうか、自分の心細い健康状態を思えば、いたって怪しいものです。
 
私はゆっくりゆっくり歩んでいます。なにしろ自然は、手に負えぬ複雑さをもって私の両面に立ちはだかっているのです。だが、おもむろながら、行うべき前進は不断に行っています。大切なことは、 対象 モデル を凝視し、正確に感受すること、しかるのちに確信をもって力強く表現すること。
 
趣味 ガウト は最上の審判者です。これを備えている者は稀です。けだし、芸術の道は、限られたごく少数の者にしか開かれてはいません。
 
芸術家は、彼の特質に対する正しい観察に基づいておらぬ他人の意見などを相手にしてはなりません。また、文学者流の考えというものは往々にして宙に浮いた思弁の世界へ人を迷い込ませ、あるがままの自然に即しての研究という画家の採るべき道から画家を遠ざけてしまうものであるから、うっかりこれに心を許してもなりません。
 
ルーヴルは参考とするには良い書物ではあるが、単に何事かを取り次いでくれるというだけの役にとどまらせねばなりません。企てるべき実際の大々的な勉強は、自然という無類の名画の千種万様を前にしてのことです。……

エミール・ベルナール宛
(エクス、1904年5月26日)
 
……どう考えてもやっぱり、画家は自然を学ぶことに全力を尽くさねばならぬもの、そして作品のそれぞれが翻って作者に教訓をもたらすがごとき作品の制作を心がけねばならぬものだというところに結局は帰着します。芸術について口でとやかくいうことはほとんど無益です。自分の仕事に進歩をもたらすところの骨折りにともなう人しれぬ悦びは、愚衆から理解してもらえぬマイナスの埋め合わせを十分してくれるものです。
 
文芸家は抽象の文字をもって自己を表現しますが、画家はデッサン と色によって自分のサンサシオンを定着せしめます。そこでまた、自然に対し小心すぎても、几帳面すぎてもいけないのであって、扱う対象ととくにまた自身の表現方法とをある程度マスターしていることが必要となってきます。要は、対象となるものの内にのめり込むこと、そしてあたうる限り明快適確に自己を表紙しようと力を尽くすことです。……

エミール・ベルナール宛
(エクス、1904年7月25日)
 
……〔ドミニク・〕アングルは、独個の 様式 エステール をもち多くの賛美者を得てはいるが、要するに取るに足らぬ画家です。最も偉大なのは、君の方がよくご存知だが、ヴェニス派とスペイン派の画家たちです。
 
画家の成長を促す糧は自然のほかにはありません。この糧を得て肉眼が養われるのです。そしてまた、懸命に物を見つめ、懸命に描くことの習線を重ねたあげくに、まなこ の集中力というものが養われてきます。また私は、蜜柑、林檎、毬、頭などに、それぞれ一つの 絶対点 ポワン・キュルミナン があるといいたい。この一点は、明暗、色感の行う妨げにもかかわらず、つねにたやすく見出せるものです。それゆえ、人は、ある種の素質を多少とも備えてさえおれば、たしかに画家になれます。ことさらに 調色家 アルモニスト 色彩家 コロリスト でなくとも、けっこう絵は描けます。芸術感覚があればいいのです。ところで、この芸術感覚というものこそ、まさしくブルジョアの性に合わぬものだ。そうなってくると、芸術院とか奨励賜金とか名誉賞とかいうものはどれもみな、世の馬鹿者や道化者のためにつくられているとしか考えられない。
 
評論などはやめて、絵を描きたまえ。これが挨拶だ。
 
君の手を固く握る、君の年老いた朋友が。

P・セザンヌ   

シャルル・カモアン宛
(エクス、1904年12月9日)

 

……扱う 対象 モデル をしっかり読み取ること、そして読み取ったところをキャンバスに定着させること、させること、それは我々にとって時にはなかなか暇のかかるわざ です。ーー君の崇拝する大家がたとえどんなに偉かろうと、要するに彼は君にとって単なる手引きにすぎぬはずです。こんなことがわからなければ、君は一介の 模写画家 パスティシュール にとどまってしまうでしょう。とにかく君は、自然に対するいくらかの 感受力 サンチマン と、幸い君に備わっているある種の 天稟 てんぴん を縦横にふる って、すべからく囚われのいまし めから脱せねばなりません。第三者の助言や方法が、君の生来の「物の感じ方」を変えてしまえるはずがないのです。君が一先輩の影響のもとに 暫時 ざんじ 身を任すのはよい。しかし、君がやがて自身の内に湧き出る固有の衝動を感知するとともにたちまち、君の自信が堂々と立ち上がり、ついにはすべてを制して君臨するであろう主導を握るであろういうことをくれぐれも信じていたまえ。自信こそ、作品を真に築き上げるための 秘訣 メトード なのであって、君がぜひとも手に入れねばならぬものです。デッサンは、君の眺める物の外形を写し取るわざ にすぎません。

 

ミケランジェロは築き上げた人です。それに反し、ラファエロは、どれほど偉いにせよ、要するにお手本にしがみついて終始した技芸家にすぎません。彼がそのことに気づいて立ち直ろうとする時はすでに遅く、偉大な敵手の脚下に力なく伏しているおのれ を見出すのです。さよなら。

P・セザンヌ   

エミール・ベルナール宛
(エクス、1905年、金曜日)
 
……官展サロンがかように見苦しい沈滞を続けている原因は、程度の差こそあれいずれも月並みと化した傾向の作品ばかりを選んでいるからです。それよりむしろ、個性的な衝動、観察、性格の明らかな作品を取り上げるのが賢明でしょう。
 
ルーヴルは読み方を教わる本です。しかし我々は、高名なる諸先輩の美事な公式を単に踏襲するのをもって満足すべきではありません。美しい自然を学ぶためにそこから脱し、精神をそこから解放し、各自固有の素直に応じて自己を表現する道を探らねばなりません。一方、時を経、省察を重ねていくうちに次第に視覚が整えられてきます。そしてついには悟達が得られるのです。
 
……辛抱強い努力は、ほかの点の理解と同様に、隠されている内面をも理解しえるにいたらしめるのです。警戒しなければならないのは、年をとって焼きのまわることで、これが我々の明知を曇らせます。明知は、曇らぬようつねに鞭打たれている必要があるのです。
 
……デッサンをやりたまえ。ただし、物を包んでいる反映を描くこと。この場合、反映を全般的に取り扱えば、光線もそこに含まれてしまいます。

P・C   

エミール・ベルナール宛
(エクス、1905年10月23日)

 

親愛なるベルナール。

 

君の手紙は二重の意味で私にはうれしい。一つは、ごく個人的理由だが、類のない唯一の目標を絶えず追求しているところに生ずる単調さから 暫時 ざんじ 私を救い出してくれたことで、この単調さは肉体の疲れと同時に一種の知的衰弱をもたらすものです。も一つは、眼前に現れて我々に画想を与える自然の一態を描き出そうと日頃努めるに当たっての私の頑固な信念を、くどいようだが繰り返して君にまた述べる機会が与えられたからです。そこで私のいいたいのは、自然を前にして、自身の資質ないし力量がたとえどうであろうと、人のかつて試みた一切のものを忘れ去って、虚心坦懐、自身の眼にえい じたままのイマージュを描き出すことに努めよということです。この心がけこそ、芸術家をして大なり小なり自身のまったき個性の獲得へ導くはずのものです。

 

七十歳に手が届こうといういまにして、ようやく私の内に輝き出た新たな 色彩感覚 サンサシオン・コロラント は、画布に塗りたくるわけには到底ゆかぬような、また仮に行いえたとしても、物と物との接触があるかなきかの微妙な関係を有している場合には、それらのあいだの境目を決めようにも決められぬ 仕儀 しぎ に立ちいたるような、一種異様な幻を惹き起こすのです。すなわち、私のイマージュないし絵が不完全ならざるをえない所以です。ところで一方、物のさまざまな面が重な合っているというところから、濃い線で物の輪郭をつけるという、いわゆる 新印象派 ネオ・アンプレシオニスム の技法が生ずるにいたったわけでしょうが、あれはまずいやり方で、すべからく排斥すべきものです。でその場合どういう手段を講ずればよいかという問題になりますが、それを会得するには各自が自然に問い質してみるほかはありますまい。

 

……これが人生でしょうか。この 年齢 とし になって、私はなおもさまざまな経験を積んで、世間でいう善き行いに役立てねばならぬのでしょうか。私は君から絵のことではずいぶん励まされもし、整えられもしました。まったくですよ。奥さんと子供さん方によろしく。

君の年老いたる       
ポール・セザンヌ   

息子宛
(エクス、1906年8月3日)

 

……咳はだいぶ軽くなった。ブレモンのおばさんが湿布としてくれたおかげで、 咽喉 のど の具合が大変楽になった。いまにしてようやくものになった私の 色彩感覚 サンサシオン・コロラント のことを思うにつけ、つくづく自分の老齢が恨めしくなる。……

 

私の思想と感覚の見本をどっさり作っておけないことは、いかにも残念だ。コングール兄弟、〔カミーユ・〕ピサロ、そしてまた、光と大気の表徴である色というものに対し敏感な資質を備えているすべての人々に祝福あれと祈ろう。……

息子宛
(エクス、1906年9月8日)
 
……真の謙譲とは、自分が謙譲であることにさえ気づいていないことだ。
 
自然に対する私の画家としての肉眼は、以前より一層明るく澄んでいる。しかし、私の場合、 感覚 サンサシオン の表現にはつねに並々ならぬ骨折りがともなうのである。自分の感覚の内に 遥曳 ようえい する うねり 、、、 の強さに私は歯が立たない。自然を生命づけているあの色彩の豊穣な富を私は手中におさめていないのだ。
 
私がいま来ているこの川のほとりには、モチーフが実に豊富で、同じ一つの物でも眺める角度を変えるにしたがい興味深い新たな研究題目が次々に生ずるといった具合で、そのため、いろいろと場所を変えなくとも、一つのところで体を左右に転じたりかが み込んだりしておれば悠に二、三ヶ月は不自由しないだろう。……
 
……それにつけても思うが、人の世の行路において最も確実に成功を促す条件は、やっぱり後天的、先天的なものの両者が兼ね備わることであろうか? 我々の努力に栄ある成果をもたらすのは、この両者の好運な一定の結びつきによってであろうか?……

息子宛
(エクス、1906年9月13日)
 
愛するポール。
 
エミール・ベルナールから来た手紙を同封してお前に送る。私は、このすこぶる舌の肥えた耽美主義者に、自然との接触による芸術の深化というきわめて健全な力強い正しい唯一の思想をぜひとも呑み込ませたいと思っているが、身近におらぬため意の達せられないのが残念だ。私は彼の手紙をろくに読んでもみないが、間違ったことは書いておらぬと思う。しかしながら、彼の文章に現れている考えといい、彼の事実行っていることといい、いずれも、自然に接しての素朴な感動によってではなく、美術館で学びえたものやさらにまた自分の崇拝する巨匠についての過大な認識に由来するある種の哲学的精神によってそそのか された芸術の幻というものに憑かれた、所詮は古風陳腐な企てにすぎないのであって、こうしたものをやがて彼が 弊履 へいり のごとくに捨て去るときが必ず来るに違いないのである。私のかような観察が誤っているかどうか、お前の返事を聞きたいね。……
 
探求は、私にとって興味津々たるものだ。どうやら私はベルナールに秘伝を授けえたつもりでいる。すべからくおのれ みずからに頼って感受し、十分に自己を表現しえる境地にしかと達せねばならぬ。私はいつも同じことをくどくどしく述べるようだが、これも、分からず屋の田舎者に取り巻かれて話し相手のない私の寂しさに免じて許しておくれ。……
 
なんといってもボードレールは傑物だ。彼の「ロマン派芸術」はすばらしい。彼は、俎上にのせる芸術家に対し評価を誤らぬ。……

エミール・ベルナール宛
(エクス、1906年9月21日)
 
……かくも久しいあいだ私が一心不乱に追い求めている目標に、果たしていつかは達するときがあるのだろうか? もとより私はそこに達することを願ってはいるがなかなか容易でない。……
 
……君の手紙を読み返してみて、私の返事がいつも見当を外れていることに気づきました。お許しあれ。それというのも……目指す仕事に我を忘れているためです。自然についての研究はつねに怠っていません。そして、おもむろながら進歩は現れているように思います。君がそばにいてくれたらと思う。孤独のやるせなさをいくらかは感じているせいです。私は年寄りで、病人だ。永くはない。だが私は、せめて絵を描きながら死にたいものだと念じている。感覚知能の衰えに自ら匙を投げて、なされるがままに身を任せる世の老人がいずれ落ち込むあのぶざまな病衰のしとね に空しく朽ち果てるよりは、どれだけいいかしれません。
 
今度君と会うおりがあったら、お互いの考えを腹蔵なく話し合いましょう。話はいつも同じところへ帰着しますが、とにかく私は、我々の眼が捉え感受するところのものを自然の研究に基づいて確実に発展させるのがなにより肝要なことで、表現手法の点は後回しにしてかまわぬと信じています。我々にとって表現手法というものは、我々自身の感じたところを第三者に感じさせる、つまり我々を了解させるための一方便にほかならぬからです。我々の敬う偉大な先輩たちの行ったことも、結局はその埒内にとどまっているにすぎぬと見なしてよいのです。
 
では、頑固爺のねんごろな挨拶をお受けください。

ポール・セザンヌ

息子宛
(エクス、1906年9月22日)

 

愛するポール。

 

エミール・ベルナールに長い手紙を書いた。自分の仕事の上での日頃の確信をそれとなく述べたのだ。しかしながら、私と彼が資質の点でも物の感じ方の点でも相異があるにしたところで、たしかに私の理解は彼よりいささか深く達しているのであり、私の考えをどんな筆法で伝えてみても到底彼を しん 、、 から揺さぶり動かすことはできないのである。結局、人は他人をどうすることもできないものだと悟らざるをえない所以なのだ。ベルナールは研究家たる素質を備えているのだから、もとより彼は彼なりに理論を存分に押し進めてみることはできる。

 

私は毎日風景を描きに出かけている。モチーフは豊富だ。こうして私は、ほかの何をするよりも楽しく毎日をすごしているよ。

 

心をこめてお前と母さんを抱擁する。
 

お前の忠実な父     
ポール・セザンヌ   
 

愛するポール、いつかお前に知らせたとおり、私はこのごろ、頭の具合が悪い。手紙にもそれが現れていよう。それに、視力もたいぶ衰え気味だ。こうなってくると、私もいよいよお前を唯一の慰めとし、お前を東方の光と仰がずにはいられなくなるよ。

息子宛
(エクス、1906年9月26日)
 
……昨日は、マルセイユ生まれの好漢カルロス・モアンに久々出会った。……エミール・ベルナールの描いた肖像画の写真を彼が見せてくれたのが口火となってベルナールのことを二人で話し合ったが、要するにベルナールは知的な男だが美術館の幻に取り憑かれていて自然を十分見ていない男だ、という点に二人の意見が一致した。 流派 エコール を脱すること、あらゆる流派から脱れ出るということがたしかに肝要なのだ。ーーその点でピサロは道を誤らなかった。ただし、彼が芸術の墳墓〔美術館の意〕を焼き払うべしといったのは、少々いいすぎだったね。……
 
私は相変わらずアルク川のほとりで出かけて、自然に親しんでいるよ。絵の道具は、ボッシーという男の家でそっくり預かってもらっている。……

息子宛
(エクス、1906年9月28日)
 
……ボードレールを読んでいる。ドラクロワの作品を論じた文章さ。ドラクロワの栄光を思うにつけ、私は自分を振り返る。そうだ、私はいつまでもひとりぼっちでいるにちがいないのだ。世人の弄する術策には困ったものだが、私は結局そこから逃れ出ることはできぬだろう。
 
それにしても自然は実に美しい。……私の 実現 レアリザシオン は一向はかばかしくない。情けなく思う。……

息子宛
(エクス、1906年9月28日)
 
……私の神経組織はひどく衰弱している。私を元気づけてくれるものは油絵のほかにはない。ぜひともやるべきだ。私は自然に倣って 実現 レアリゼ せしめなければならない。さまざまなエスキースやトアル を私がたしかに描いているといえるなら、それらはモデルによって示唆された幾多の方法、感覚、展開を基として、自然に倣って築かれたひとつの建築にほかならぬだろう。だが、私はいつも同じことばかりいうね。ーーときにお前、巴旦杏入りのパンをほんの少しでいいから送ってくれないかい?……

最後の手紙:某画家商人宛
(エクス、1906年10月17日)
 
貴店に絵具ラック・ブリュレ第七号十個の注文を発してよりすでに八日になるが、いまだになんの音沙汰にも接していない。どうしたわけでしょう。
 
なにとぞご返答のほどを。

  草々 
ポール・セザンヌ