PAINTING

ベルナールへの手紙[3通]

ポール・ゴーギャン

式場隆三郎訳

Published in 1888, 1890|Archived in April 23rd, 2024

Image: Alphonse Mucha, “Gauguin playing the harmonium in Mucha's studio”, circa 1895.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿については式場隆三郎による解説に詳しい(収録に際し、冒頭から末尾に移した)。
旧字・旧仮名遣い・旧語・文語は(文意を変えない範囲で)現代的な表記・表現に改め、WEB上での可読性を鑑み、適時句読点を打ち、傍点による強調は太字に統一した。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ポール・ゴーギャン(1848 - 1903)訳者:式場隆三郎
題名:ベルナールへの手紙原題:ゴーギャンの手紙ーーベルナールへの書簡ーー
初出:1888年、1890年
出典:『アトリヱ 5月 第306號』(アトリヱ社。1952年5月。3-8ページ)

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僕は大衆にとっては一つの謎で、少数の人々にとっては詩人であろう。

ポール・ゴーギャン
 

1888年 アルルにて。 

親愛なベルメール

 

僕は君のお父さんの手紙を忘れてしまったが、君も多分その意味が全然わからなかったろうと思う。しかし、こんどのことは、君にもよくわかっているだろう。僕はあの田舎っぺをすっかり怒らせたまま、君と一緒に残して引きあげてしまったが、それが君をあまり不快にするようなことは決してなかったろうと思う。僕らの言をもってすれば、君は仕事をして騒ぐのだからね。

 

僕は板紙が粘土にには十分に密着しないのではないか、と思う、表面が固くて、はげやすい木でも、やはり同じことだと思う。しかし、吸着性をもった絵具をよく吸う画布の上に、粗い紙のような柔執な材料をつかったら、非常にいい成果をおさめることだろう。装飾はそうすれば、堅牢なものになる。

 

君は〔シャルル・〕ラヴァル(1)と影について議論して、僕が影なんかバカにして問題にしないのではないか、と聞いてきたね。光についての説明が到達する結論は、まさにその通りなのだ。すばらしい素描をかく日本人を研究してみたまえ、そうすれば君は自由な自然と太陽の光の下の人生が、影を用いずに描き出されているのを発見するだろう。日本人は色彩をただ種々の色調の結合、あたたか味などの印象を与える種々の調和されたものの結合として用いるだけなのだ。それにまた、僕は印象派なるものを一切の機械的なもののーーたとえば写真などーーから決定的に遠ざかっている一つのスタイルだと考えている。だから僕は、夢幻流的な効果を与える一切のものから、できるだけ遠ざかろうと思っている。影は太陽の夢幻的要素であるから、それを用いることをひかえたいのだ。影が結合されたもののなかで、一つの必要かくべからざる形式を組成するときには、それはまったく別のものなのだ。だから君が一人の人物の代わりに、人の影だけを描くとする。そうすればそれは特異な出発点となり、その顕著な効果は君の予想通りのものになるだろう。同様にまた、画家の選択によってパラス女神の頭上に 鸚鵡 オウム の代わりに鶏が描かれているのは、故意にそれを選んでかいた作品なのだ。だから君は、必要だと思うときには影を用いて、そう思わないときには全然用いないようにしたまえ。そして君が、自分が影のとりこではないと思っている限り、つねにそうするのだ。ある意味では、影は君の従者だ。僕は自分の思想について、およその概略を説明しただけだ。君は僕の手紙の行間の意味をくみとるべきだ。

 

クロアネックに280フラン、フレデリックに35フラン支払うための金をおくる。5フランは、絵を送る運賃だ。5フランは君たち二人が僕の健康のために飲むのに使ってくれたまえ。

 

ヴァン・ゴッホ(2)によって道が提供されたと同様に、それが僕ら一派の有能な画家たちすべてにとって可能なものとなって生み出されると僕は信じている。だから、ひたすら一路邁進したまえ。僕はスァーヴ(3)と君のことについて相談したが、君はアフリカで君の芸術のために大変有利な、しかもかなり気楽な地位を得られると僕は信ずる。君が採用されずにまたここへ戻ってきたとしても、そのために君の生活が苦しすぎるほどになるようなことはあるまい。僕は金の問題を検討してみたが、僕が明日からやろうと思っていることを実行すれば、僕らは安上りに生活していける。それは食事を家でつくらせることだ。

 

奇妙なことだが、ここでヴィンセントはドーミエ的な画題を見出し、僕は反対に多彩な〔ピエール・〕ピュヴィと日本画の混合されたものを見るのだ。ここの女たちは、優雅な髪形をしてギリシャ的な美しさをもっている。彼女たちの肩掛けは原始人のようにひだ を打たせている。それはギリシャ系のコルシカ女のようだ。街中を歩き回っている娘たちは、どれも一様に淑女然としていて、またジュノー(婚姻を司る神でジュピターの妻)のような処女らしい様子をしている。とにかく僕らは、観察してみよう。いずれにしろ、ここは一つの近代的スタイルの源泉なのだ。

 

君たち二人に握手をおくる。そして君は、ラヴァルと仲良くしたまえ。彼はコサック気質を出すときにはひどい短所があるにしても、きれいな気高い天性をもっている。君も知ってるとおり、僕らにはみな欠点がある。君にもおそるべき短所がある。僕らはそういうものだ。観察して、すべてを忍んでお互いにしっかり団結していけるようにしなければならない。

 

(1)ゴーギャン、ベルナールの親しい画家。
(2)ヴィンセントの弟テオを指す。

(3)ミリエ、陸軍少将で、ゴーギャンとヴィンセントの尽力でベルナールを兵役につかせて、自分の部下にしようとした。

1888年 アルルにて。

親愛なエミール
 
二つの観点から興味のある君の手紙に感謝する。第一には、君の年齢(1)の特性である熱狂性という点においてだ。僕のようにそれが涙に対して冷淡なものに固化してしまうまでには、まだ年数がかかる(僕が泣くのは、歓喜か感謝からの場合だけだ。)第二に君は、いうまでもなく一つのスプリングボード(踏台)ではあるが、それ自身が目的でない技巧の時期をすぎて、いま第二期(芸術的な意味で)に入っているという見地から、君の手紙は興味がある。君はあらゆる有利な条件を手もとにもっているのだ。君は軌道から大部分の障害がとりのぞかれたときに、青春の力に溢れて身支度を十分にととのえて、好機会に最上の道にあらわれるのだ。君はすばらしい天分に恵まれているが、もし君がいまとはべつの時代、十年前ごろに生まれていたら、君を賞賛し尊敬する人を一人も見出すことができなかっただろう。だから君は、ますますもって恵まれているのだ。
 
ついでにいっておくが、ヴァン・ゴッホがヴィンセント(ゴッホの弟テオ)へ注目に値することを書いてきた。彼は、僕が自分の作品を愛する勉強家の風格があらわれている習作を描いた〔ジョルジュ・〕スーラのところにいたといっている。シニャックのところでは、僕はいつもさまって冷淡だそうだ。スーラは僕にとっては、点描派のなかの旅行者のように思われる。彼らは(その宣伝の根城である「独立評論」でもって)僕らに対して戦闘を開始するそうだ。それでドガ、とくにゴーギャン、ベルナールなどは悪魔よりもひどい連中で、伝染病に対すると同様に絶縁しなければならないと主張するのだそうだ。ーーざっとそういった噂があるのだ。ーー君はそんなことはいいたいようにいわせておいて、ヴァン・ゴッホにはそんなことは決していってはいけないよ。でないと、君は僕が軽率な男だという評判をたてられることにしてしまうからね。僕はポン・タヴァンでの自分の習作に対して、およぶかぎりの満足感を与えている。この習作とアヴァンでの二人のブルターニュ女の絵とは、ドガに売ってやれるものだろうと思う。それはこのうえもなく僕の歓心をそそることだ。君も知ってるとおり、僕はドガの批評に対して最大の信頼をおいている。そのうえ、それは商人的の見地から考えて非常に上出来の滑り出しだ。ヴァン・ゴッホは僕の絵を全部買いたいものだと期待している。もし僕にこの幸福が考えられたら、僕はマルティニークへ行こう。僕はあそこで美しい作品を生み出すことができると確信している。それに僕は、もっと多くの金をもうけることができたら、あそこにアトリエをつくるために家を建てて、友人たちがほとんど気がいらずに暮らしていけるようにしたいものだと思っている。僕はヴィンセントと少しばかり共通した考えをもっている。それはまだ誰も描いてない熱帯を描く画家たちが将来性をもっているし、画題の点で愚劣な買い手の大衆に何か新しいものを提供しなければならないということだ。たとえば、どんなことがあろうと、もし君が兵役についている義務がなくなったら、すぐにここへ来られるのだ。僕はいまの生活をきりつめて、三倍も安上りにやっていけるようにしてあるから、もし君のお父さんが君の生活費を一文も出さなかったとしても、君はここで生活を保証されるのだ。
 
僕は一つ君に頼みたいことがある。ヴァン・ゴッホが僕の最初の絵に払う代金のなかから、君が僕のつかっている絵具ーー僕はヴィンセントの絵具を好かない、タンギー(2)のがほしいーーを送ってくれるだけの金をくれるように頼んでくれないか。ーー僕はこの手紙をパリへ出す。君が10日ごろに出発するつもりだということを知っているからだ。
 
さて、僕はもう沈黙すべきだが、ベルナール大人によろしく、君の魅惑的な妹さんに心からの挨拶をおくるという僕の意を伝えることを頼んでもいいだろう。
 
心からの握手をおくる。
 
(1)ベルナールは、当時20歳の若い画家だった。
(2)パリのクローゼル街の絵具と絵を売る店。ヴィンセントの肖像画で有名なベール・タンギーの店を指す。

1890年 ル・ブールドゥにて。

親愛なベルナール
 
僕は数日間〔シャルル・〕フィリジェと〔メイエル・〕デ・ハーンと一緒に、ポン・タヴァンに滞在してから、ここへ帰ったところだ。帰ってみるとシュッフから一通、君から一通の手紙がきていた。哀れむべきシニッフは、あまり興味のあることはいっていない。彼は恐ろしく浅薄な男だ。彼の信ずるところでは、シャルロパンの取引ができるまでには、僕はまだ長いこと待たなければならないという。それで僕は、完全に気おくれしてしまった。待つことくらい僕にとってやりきれないものはない。僕はいまこの渡航という壮挙に期待をもつあまり、制作が手につかないほどなんだからね。
 
僕はヴィンセントが死んだという知らせを受け取ったが、君が彼の葬式に参列したことは嬉しい。このヴィンセントの死が、どんなに悲しげなものであろうと、僕にとってはそれほどひどく慰めかねるようなものとは思えない。僕は彼の死を連想していたし、この哀れな若者の狂気と戦う苦悩を知っていたのだから。いま死ぬということは、彼にとって大きな幸福を意味し、同時にまたそれは、彼の苦悩の終結を意味する。そして、彼があの世に生まれかわったときには、彼はこの世での美しい所業の成果をうるだろう。(仏陀の因果律によれば)彼は弟に見捨られず、数人の画家たちに理解されたという慰めをもって いたのだ。………
 
僕は君の素描の木版画を受け取った。これは技法上、まさに興味がある。君のこういう素描に対しては、僕はあまり讃辞を呈することはできない。僕はむしろ君のブルターニュ風の線の扱い方がより抽象的な素描のほうが好きだ。この木版画には、僕にはその傾向がわずかしかない。ミケランジェロ風の解剖学的の顧慮が深く用いられていることを示している。僕はこの技能にけちをつけるのではないーー本当にそうなのだから、信じてくれたまえーーしかし、僕はジョット〔・ディ・ボンドーネ〕の偉大な愛の力をはるかに好む。さて、そういうことはすべてあとで僕らが仕事をするときに話し合うことにしよう。
 
現在僕は、自分の画家としての全知能を休息させて、まどろんでいる。僕は何ものかを理解できるような気分にはなっていない。
 
僕の彫像による写真を送る。その彫像は、あいにくこわしてしまった。だが君は、それをフィリジェのところで見たはずだ。この写真は、この状態では僕が両脚の動きで表現しようと試みたものをあらわしてはいない。……
 
真心を君に捧げる。

訳者解説

ベルナール、ゴッホとの交友
 
1868年、リール生まれの若い画家エミール・ベルナールは、1886年の夏、ブルターニュのポン・タヴァンで画家のエミール・シェフネッケルの紹介で、はじめてポール・ゴーギャンに会った。ベルナールはパリのコルモン画塾で、ヴァン・ゴッホを知った。ゴーギャンは1886年にパリへ帰り、モンマルトルでヴァン・ゴッホにはじめて会った。そしてこの三人は、互いに親しくなった。ヴァン・ゴッホの弟のテオドルス〔・ヴァン・ゴッホ。以下、テオ〕は、パリでグーピル画廊につとめており、兄の世話をするとともに、若い画家の援助もしていた。テオはゴーギャンの才能を認めて、その後彼を助けるようになった。
 
ヴィンセントは1886年2月、パリを去って南仏のアルルへ行き、やがてゴーギャンとの協同生活を計画した。
 
テオもこれに賛成して、ゴーギャンはその年の10月20日、アルルへ行き、ラ マルティーヌ広場にあるヴィンセントの「小さい黄色い家」に一緒に住むことになった。しかし、二人の生活はうまくゆかず、12月24日にヴィセットの耳切り事件が起きて、彼は精神病院へ入り、ゴーギャンはパリへ戻った。
 
これより先、ベルナール、ゴーギャン、ヴァン・ゴッホの三人は、友情を記念するために自画像の交換をしたことがある。
 
ヴィンセントはその後、サン・レミの脳病院へ入り、1980年の7月29日に自殺した。しかし、ベルナールとゴーギャンとの友情は1981年までつづいて、絶たれた。今日、ベルナールに宛てたゴーギャンの手紙が21通残っている。この書簡集は、ベルナール自身の編集による1926年版のトンネール版と、ハンス・グラーベル訳による1936年刊行のドイツ訳がある。この二つの書簡集は、いろんな点で違っている。ベルナールの手によるものは、年代の順序に誤りがあり、また場所の点でも信じられぬものがある。それらはグラーベルのものでは、すべて是正されている。私はここにグラーベル版から数通を紹介してみたい。