PAINTING

美をめぐる問い

ウジェーヌ・ドラクロワ

阿部次郎訳

Published in July 15th, 1854|Archived in April 15th, 2024

Image: Eugene Delacroix, “The Barque of Dante”, 1822.

CONTENTS

TEXT

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

WEB上での可読性に鑑み、旧字・旧仮名遣い・旧語・文語的な表記・表現は、現代的な表記・表現に改め、脱字を補い、一部漢字にルビを振り、(形式的な範囲において)若干の文言の調整(ex.「〜如く」→「〜ように」、重複表現の割愛 etc.)を行った。
人名は、すべて現代的な表記に統一した。その際、底本にあったローマ字表記にカタカナでルビを振る人名表記は、すべてカタカナ表記に統一した。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ウジェーヌ・ドラクロワ(1798 - 1863)訳者:阿部次郎
題名:美をめぐる問い原邦題:美の問題に就いて原題:QUESTIONS SUR LE BEAU
初出:1854年7月15日
出典:『學藝論鈔』(改造社。1922年。194-200ページ)原本:Julius Meier-Graefe, “Delacroix's Litterarische Werke”, 1912.原本:Revue des Deux Mondes, Vol. 7, No. 2 (15 JUILLET 1854), pp. 306-315.

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真正に美なる事物については、深秘な本能が我らにその価値を告げ、たとえ先入主と慣習的偏癖がこれに反抗するときといえども、なお我らに驚嘆を強いる。心の正しい者のあいだにおけるこうした一致は、あたかも人間が愛や憎みやその他のあらゆる情熱を同様に感知するように、また同様の歓喜が彼らを酔わさせ、同様の苦痛が彼らを痛めつけるように、彼らは美によって、自ら高まり、醜によって、換言すれば不完全によって、傷けられることを覚えるものであることを証明する。
 
しかるに、最初にはこうして一致して驚嘆する者が、会話において、もしくは筆を手にして、自説を主張し第一印象を征服するだけの時間を持つにいたれば、もはや、主要事についてさえも、相互のあいだに了解を欠くという事態が出現する。流派や教育の先入主と慣習が精神以上に権威をほしいままにする。この時に当たっては、批判者が重きをなしていればいるほど、彼らはますます異を立てるに傾くということになるのである。思うに想像力なき輩は、総じて心を捕えることがないか、もしくはその第一印象を保持するものである。我らは、この二つの階級のなかに、およそ美なるものが存在することを願わない、独尊者流の群を算入することを欲しない。
 
我らが「これは何という美しさだ!」というとき、ラファエルの前でもレンブラントの前でも、またシェイクスピアの一場においても〔ピエール・〕コルネイユのそれにおいても、美の意識が同様に我らを掴むのであるか。もしくはそれは、それ以外に美というものなきある種の類型に限られているのであるか。したがってーーアンティノウスやヴィーナスや「戦士」や、一般に古代の純粋な類型が不易の法則を、 規準 カノン を、与えて、彼らのみが優美と生の概念を規範的にするがゆえに、人は(怪奇に陥ることを欲しない限りは)これを離れることを許されないのであるか。
 
古代人は我らに、こうした純粋な類型のみを残したのではなかった。セイレーンも美しく、ファウヌスも美しい。ソクラテスといえども小さい獅子鼻、膨れた唇と、ちっぽけな眼を持つその顔といえども、なおその美しさを持っている。それは面相の整斉と高貴な組み立てに基づくのではなくて、相好にあらわれる溌剌たる精神に、内面的崇高に、基づいているのである。さらに古代には、セイレーンやファウヌスや、その他多くの、石より成る特性的彫像がある。しかも、人がただちに理解し得るように、石や黄銅や大理石は、面相の表情にある程度の整頓を加えて造り出さざるを得ないものである。人が絵画においてこれを模擬するとき、それは硬固となり乾燥となる。絵画はその色において、もっと直接な模倣の効果を収めるべき可能性を持っている。絵画は、さらに活発な、さらに束縛の少ない、さらに常套的でない個々物を許容し、またさらにはるかに、厳酷な形式から遠ざかることができるものである。
 
絵画における近代の傾向は、常規的な古代から遠ざかった一切のものを呪詛する。人はファウヌスやセイレーンさえも美化し、老齢の皺をのばし、不可避にして往々特性的・自然的な、体験と労苦の表号を抑圧する。こうしてこれらの素朴者流は、彼らにとっては美とはただ処方の集成において成り立っていることを証明するのである。彼らは計算を数えるように美を教える。しかもこれを教えるに止まらず、また廉価な実例を与える。明らかに世界にはこれほど簡単なことはないのである。一切の性格はただ一つの類型に帰せられる。自然においては年齢と 気稟 きりん を区別する深い差別も、払拭されるかもしくは全然除き去られる。面貌や四肢の平衡を破壊するところがあるように、表情の一層豊かな形と激しき運動は忌避するところとなる、約言すればそれは、人が、いわば美をその手の平に丸めて置くための原理である。それは楽々と生徒にやることもできる、 質草 しちくさ のように他から他へ運び伝えることもできる。



しかしあらゆる時代の成功した作品は、美とはこのような条件の結果ではないことを証明する。それは親譲りの形式のように賃貸したり運搬したりできるものではなくて、強い神来と強項な継続的な労作から発芽するものである。それは、生きなければならぬ一切のもののように、痛みと悩みをもって産み落とされる。それは、人間の祥福でありまた慰藉である。それはとりとめない心と凡常な習慣から発生することのできるものではない。卑俗な栄誉は卑俗な行為の報償になり、気軽な賞賛は、成果の継続する限り、移り気な子弟を取り巻いていることができる。しかし、永続する勝利は、それと異なる戦闘を要望する。まことなる栄誉の一つの微笑を獲得するためにさえ、激しき戦いが行われなければならない。戦士の力の外にもなおより多くのものがーー千百の天賦の結合や運命の恩寵がこれに加わらなければならない。
 
単純な伝承のみでは、人を「実に美しい!」と叫び出させるような作品を産み出すことが決してできなかった。大地から生え抜いた天才は、天恵を被る無名氏は、何人にも無用にしてしかも誰にも気に入るような学説の、人為的な足場をことごとく破壊する。〔ハンス・〕ホルバインのようなものは、そのモデルの顔の皺の精刻な模倣をもって(人は、彼はそのモデルの髪の毛を数えたということもできるであろう)、レンブラントのようなものは、最も深い表情に充されたその普通人をもって、ドイツおよびイタリアの原始画家は、古代芸術について何の知るところもなき、彼らの痩せた歪んだ顔貌をもって、美のために輝きわたっており、今日の人が尺度を用いて探査している理想に充ちているのである。彼らは彼らを取り囲む自然において、また彼らの深い感触において、知識の汚損のおよぶところがない、あのような神来を発見した。彼らは貧者にも貴人にも感激を与え、一切の人が感ずる感触に形を与え、また 浮誇 ふこ な科学がいたずらに経験と規則によって期待するところの高価な珠玉を、自然の命にしたがって発見した。
 
ルーベンスはイタリアと古代芸術を見た。しかし彼を支配するものは、一切の見学したものの上に位する本能であった。彼は美に恵まれたる国土から、一人のフラマン人として帰ってきた、そうして常にフラマン人であることを失わなかった。彼はその「漁り〔《奇跡の漁り(The Miraculous Draught of Fishes)》〕」において、民衆と民衆に属する使徒たちの美を発見したーーシモンに向かって「汝の網を棄てて我に従え、いまより後汝は人間を漁らざるべからず」といった彼の 基督 キリスト と共に。神の子は、彼がラファエルの絵のなかで教えを説いている、綺麗に頭髪をまく らした使徒たちにも、同様のことをいったかどうかを私は疑う。ラファエルの驚嘆すべき構図なしにはーーそれは賢明な区分を用いて、基督をただ一人一方に立たせて、使徒たちを一まとめにして彼に対させて、彼の側に鍵を受け取りつつ跪けるペテロを置いているのであるーーおそらくその姿態と衣裳の整頓は我らに面を背けさせたであろう。これに反してルーベンスは、きれぎれの連続なき線と、刺激なき衣裳を見せる。その衣裳は偶然が着せたものらしく、それは崇高にして単純な人物をむしろ不恰好にしているのである。しかも、それはまさにそのゆえに、いっそう美しくなるのである。
 
人がもしラファエルの《聖体の論議〔DisputaないしLa disputa del sacramento〕》と〔パオロ・〕ヴェロネーゼの《カナの婚宴〔Nuptiae in Cana factae〕》を比較するならば、前者においては、線の調和と、構想の優美とが、眼と心を恍惚とさせる。しかし対向的に配列された人物の運動と、一般に形式のわざとらしさは、この絵のなかに一種の冷たさを持ちきたす。これらの聖者や学者たちは、あたかも相互のあいだになんの近づきもないかのように振る舞っている、そうして各人が一人一人、永遠にわたってモデルに立っているように見えるのである。ヴェロネーゼの絵においては、人たちは、私が日常眼前に見るように、それぞれに異なる姿態と気稟を持ち、相互にーー喜ぶ男は不機嫌な者と、媚多き女は粘液質なもしくは心散れる者とーー言葉を交し思想を交換している。約言すれば生命と運動である。しかも私は、空気と、光と、色彩のたとえようもなき効果を論外に置いているのである。
 
美はこの二つの作品のなかにもあるか。たしかにーーただ異なる方式において。美に程度の差別というものはない、ただ美の感情を喚起すべき種類の相異があるのみである。様式はこの両画家において同様に強い。なんとなればそれは力強い独自性において成立するがゆえに。人は、一つの構図内の諸線を協和させるために、衣皺を規律的にするために、ある種の法則を模倣することはできる。人は形式の最も純美な形態を求めることはできる。しかしラファエルの思想の高貴と優美には決して到達しないであろう。人は自然のあらゆる個々相にしたがってモデルを、また幻想に役立つあらゆる色彩効果を、模写することはできる。しかし生命をーー「カナの婚宴」の魔力ある絵を貫いて燃えている、いたるところに感じられる暖かさを、掴まえ得るとはいえないのである。
 
人はルーベンスの《十字架磔刑〔キリストの磔刑〕》に対するーー一般にフラマンの最も 不羈 ふき な絵画に対する〔ジャック=ルイ・〕ダヴィッドの熱情的崇拜が、これらの作品と古代芸術の類似の認識に基づいている、と信じるのであるか。
 
フラマン風景画家の魅力をなすものはなんであるか。イギリス人〔ジョン・〕コンスタブル(近代風景画の偉大なる父)の力強い動的な絵画は〔ニコラ・〕プッサンの風景と何物を共有するか。そうしてクロード・ロランの絵は、その前景の多くの常套的な樹木における、ある種の様式強調によって、少しも失っているところのものがないか。
 
〔ドゥニ・〕ディドロがその父の肖像をーーそれは老ディドロを、単純に労働服においてする代わりに(彼は小刀鍛冶であった)その最も美しい衣裳において表現していたのであるーー持って来た画家に向かっていった言葉は人も知るところである。ーー「君は僕の日曜おやじ を描いてくれた、僕は僕の普段の爺が欲しかったのだが。」老ディドロの画家は、自然が人間をそのあるがままに造るのは自然の過誤であると空想する画家のほとんどすべてがするようにそれを描いたのである。彼らは顔を紛飾し、 日曜化 ・・・ する。それは単に普段の人間でないのみではなく、およそ人間というものではない。その丸められた髭の下には、その小ざっぱりした衣裳の下には、何物も隠れていない。それは精神も肉体もない仮面である。
 
もし実際古代の様式が極限を確立しているとすれば、もし芸術の標的が絶対的な合律性の上にあるとすれば、諸君はミケランジェロと、彼の大層な意匠と、彼の苦悩する諸形式と、誇張された、往々にして全然真実を離れた、もしくはただ極めて表面的に自然に適合させられた組み立てをどこに置くのであるか。諸君は、彼に美しさを許さぬために、彼を嵩高と呼ぶことを余儀なくされるであろう。
 
ミケランジェロは、我らにも劣らず古代の彫像を見た。歴史は、古代芸術の驚くべき遺物に対する彼の崇拝を伝えている。彼の驚嘆はたしかに我らのと同程度に達していた。しかもこれらの作品の観照と崇敬は、彼の天分を、彼の自然を、変更していない。彼は決して彼自身であることをやめなかった。そうして人は、古代のそれと並べて彼の作を景仰することができるのである。
 
同一の大家の作品のなかで、最も普通なものが、必ずしも最も完全に近いものではない、ということは注目に値する。私はその例としてベートーヴェンを挙げよう。彼の生涯作はただ一つの長い喚叫に比べるべきものであるが、そのなかには三つの相互に異なる句節が認められる。第一期においては、彼の天才はなんの苦もなく最も純粋な伝統にしたがう。しかも神のごとき歌唱者モーツァルトの模倣のかたわらに、人はすでにかの憂鬱をーー内面に燃ゆる炎の、たとえばいまだ火を噴かない火山の鈍い唸りにも比べるべきものを裏切るかの激情的痙攣をーー感ずる。思想の豊富が、未知の形式を創造することを、いわば彼に強制する程度にしたがって、彼は規律を、厳格な組み立てを、無視する。同時に彼の円周は拡まって、彼はその創造力の最強の程度に到達する。もとより私は、智者や音楽通が彼の作品の最後の句節までしたがいゆくのを拒むのを知っている。この時代の、大仕掛けな、稀代な、暗黒な作品は、おそらく永久に暗黒のままにあるべき運命を負うものであって、芸術家や専門家はこれに対して判断を下すことを躊躇する。しかし、第二期の作品も最初はいかに解すべからざるものとされていたか、しかもようやく一切の人の同感を略取して、今日においてはいかに傑作として、通用しているかーーこのことを回想すれば、人は自己の感情に逆らって芸術家が正しいことを認めざるを得ない。私はこの場合においても、ほかのきわめて多くの場合におけるように、天才が正鵠を射当てているものであることを信ずる。
 
批評家たちは、完全な本質的条件に関して、つねに一致しているものではなかった。今日、秩序と純粋の名において、ベートーヴェンやミケランジェロの様式を呪咀しようと欲する人たちも、ほかの時代において、異なる原理が支配していたときには、彼らを天上に持ち上げたかもしれないのである。こうして流派は、ある時には素猫に、ある時には色彩に、表出に、そうしてほかの時にはーーほとんど信じがたいことであるがーーまさにあらゆる色彩とあらゆる表出を交えざることに、重きを置いた。前世紀のイギリス画家たちはーー重要でありながらしかも我らの国においては尊重されることが少ない一流派はーーすなわち本質的なものを光と影との効果において認めた。しかるに今日、人はそれをただ輪郭において、したがって光線的効果の全然たる欠乏において見ようとするのである。
 
我らは、あらゆる時代の偉大な画家は、このような区別に拘泥しなかったと想定することを許されている。色彩も素猫も、彼らが自ら用いるべき必然的要素であるがゆえに、彼らはそのなかのいずれかに偏するようなことは考えなかったのである。彼らの人格的傾向は、彼らの素質のある種の特殊性を発育させるように彼らを導いた。人は、ある程度までこの芸術の必然的諸要素の結合を表わしてないような、絵画上の傑作というものを考えることができるか。あらゆる偉大な画家は、彼の精神に適応するようなーーそしてなによりもまず彼の作品に、いかなる流派も取り扱わず、いかなる教師も教えられないあの至高の特質を、換言すれば形式と色彩の詩を、与えるようなーーそのような色彩もしくは素描を使ったのである。この点においては、あらゆる流派のあらゆる大家がことごとく一致していた。
 
露にぬれた朝の景色ーー鳥の諸声によって生気を添えられ、自然にして人の心を動かすあらゆる魔力を持ってる朝の景色に対するとき、智者も凡夫も、線のことや明暗などのことを考えはしない。彼らはただ魅せられるのである。彼らの心が神秘的な幸福感情によってーープッサンがこれを絵画の唯一の目的と認めたかの歓喜によって貫かれるのである。
 
〔ロジェ・〕ド・ピールは、彼の有名な『La Balance de Peintres』において、あらゆる名高き芸術家の制作法において発見されている、色彩と明暗と素描のさまざまな割合を、大真面目に確定する。彼はどこにも完全なものを発見しない。二十という数が最高点と定められる。そうして例えばラファエルは素描十八点を、ミケランジェロは同じく十九点を得る。これに反してティツィアーノ〔・ヴェチェッリオ〕やルーベンスは、色彩については高点に恵まれながら、素描家としては重大なる破綻を示している。このようにして、とにかく彼は画家の長所と短所を指摘するのである。
 
偉大な人たちをこう分析する術を知っているのは、おかしい化学のようではないか。偉大な者を批評家の趣味にしたがって再び合成し、例えばミケランジェロからその充実によって彼を圧殺する素描の一部分を取り去って、その色彩の横溢のために溺死する不幸なルーベンスを救助することを許すような発明は、いかに価値あるものでなければならないか。〔アントニオ・アッレグリ・ダ・〕コレッジョがその輪郭を殺すさいに、これを取り囲む巨匠的明暗をもってすることを見て、プッサンが優に十人の画家に分与し得るほどの構図能力をもてあまして死にかけていながら、そのクレール オブスキュール の貧しさによって我らを戦慄させることを見るのは、この哲学者にとっていかに苦痛だろうか。善良なド・ピールは、これらの卓越した人たちの各々が、善良な意志と些少の労苦をもってすれば、この歓迎すべき諸要素間の平衡を獲得することができたであろうとーーしたがって彼の意見にしたがえば真正の美に一層接近したであろうとーーたかく信じているように見えるのである。
 
自然はあらゆる天才に対して 殊別 しゅべつ 護符 タリスマン を賦与した。それはかの、数千の高価な金属の結合によって成立するーーそうして合成された部分の成分が異なるにしたがってあるいは微妙にあるいは咆え猛って響き渡るーー至高の金属に比すべきものなのである。そこには、容易に自ら満足しない、微妙な琴線を持つ天才もいる。彼らは精神を征服するためにあらゆる芸術手段を使用する。彼らは一つの場所を百度も改め、表出の統一と深さのために、多かれ少かれ個々の部分に適う美しい描線と賢い手法を犠牲にする。かくてそれはレオナルド〔・ダ・ヴィンチ〕やティツィアーノのような人をこしらえるのである。他種の芸術家、例えばティントレットもしくはさらに適切なのはルーベンスのようなものはーー私にとっては後者のほうが一層心を惹く、なんとなれば彼はその表出において一層徹底的であるがゆえにーーその血と手に潜める 高興 こうきょう によって追い立てられる。彼らが手を触れずにそのままに残しておくある種の筆触の強さが、これらの大家の作品に、もっと落ちついた手法では容易に到達しがたいような一種の生命、一種の力を与える。人はこのような効果を、演説家の高揚にーー対象により、瞬間により、聴衆によって突然として偉大に到達し、もっと落ちついた瞬間においては演者その人をも驚かすような高揚にーー比較することができる。人は、聴衆と演説家を一様に魅了するこのような高揚を、 即興 アンプロビゼーション と名付けることに一致している。容易に看取できないように、このようないわゆる即興は、絵画においても演説においても、つねにただ 陳套 ちんとう なものを産出するにすぎないーーもしその効果にしてある程度まで前もって予察されることなく、そうして一般に芸術に関する真摯な考察によって、もしくは演説家あるいは画家の特殊な対象によって、適当に準備されていない限りにおいては。人は普通、この種の効果は、細心に仕上げられた作品の形式におけるそれのように、立ち入った検査に堪え得ないことを主張する。実際我らが〔オノーレ・〕ミラボーの演説を読むとき、それは彼の同時代者が我らに報告するところの驚くべき印象にふさわしいものではない。とはいえ、そのゆえをもって、それが演説された時においてーー彼がこれによって単にその集会のみならずまた国民全体を興奮させこれを漂わせ去る時においても、その演説が美の条件を充たすことが少なかったということになるか。それと反対に、研究を積んだ、室内の静かなところにあっては実際好印象をさえ与える、多くの演説にして、後に数千の聴衆を相手にする市場においては、ただ冷ややかな賛成を得たにすぎなかったようなことはないか。画室において非難すべきものはないと思惟された絵画の一切が、展覽会場の自由な空気において、もしくはその正当な高さに掛けられ、定められた場所の正当な枠に められたとき、つねにその崇拝者と群集の期待を充たすものであったか。
 
人は芸術家がそれを狙ったところに美を見なければならぬ。人は〔バルトロメ・エステバン・〕ムリーリョのマドンナにおいて、ラファエルのマドンナの処女のような熱心と面映げな羞恥を求むべきではない、むしろ顔と姿勢における神のごとき恍惚と、未知の国に昇りゆく人間の、勝利をともなう不安について自ら喜ぶべきである。両画家はともに、処女の栄光の図のなかに、時として喜捨者もしくは伝説中の聖者の敬虔な姿を導き入れた。ラファエルにおいて我らを歓喜させるものは、彼らの高貴な単純と、彼らの姿勢の優美である。ムリーリョにあって我らの驚嘆するところは、なかんずく彼らの深く突き入る表情である。ムリーリョが荒野もしくは小屋のなかに、十字架のまえに平伏すものとして我らに示すところの僧侶や隠遁者は、敬虔な禁欲に笞うたれ打ち砕かれた肉体とともに、また諦念と信仰の感情を我らに与えるのである。
 
これほどまでに人心に突き入る存在、かくもはるかに我らを我らの日常の環境の上に高めるもの、懐疑と子供らしい時間潰しに充ちた我らの生活のただなかにおいて、感官を殺すことと自己犠牲ならびに信心深い静観の力を我らに理解させるものーーこのような作品に対して美は遠く隔たっていることができるか。そうしてもしある程度まで美が彼らのなかにあるとすれば、彼らはさらに古代との類似を増すことによって、よりよくなるであろうか。
 
人は、なんの古代芸術をも所有しなかった古代芸術家が、いかにして彼らの芸術を作ったかを問題とした。レンブラントもまた、彼は一度もオランダの低地を去ったことがなかったがゆえに、ほとんど同様の位置に立っていた。しかし彼はその顔料摩砕器を指して、「これが僕の古代芸術だ」といったのである。もとより人が古代模倣を賞賛するのは当然であるーー人は彼らのなかに、つねにあらゆる芸術を支配する法則と、表出の適当な分量と、自然なものと崇高なものの結合とを発見するがゆえに。また古代芸術家によって適用された実際手段は、最も合理的な、最も効果を収めるに適するものであるがゆえに。しかしこれらの手段は、もはや我らのものでないオリンピアの諸神や古代の英雄をいつまでも表現すること以外、ほかのものにも使用することができる。レンブラントが 襤褸 ぼろ を着た乞食の肖像を描いたとき、彼は、フェイディアスがそのゼウスやそのパラスを造ったときと同様の法則にしたがったのである。統一と多様と、割合と表出との、偉大な根本的な原理は、前者の作からと同様に後者の作からも発出する。芸術的性質は、その表現している対象にしたがい、芸術家の特殊な気禀にしたがい、またその時代の支配的趣味にしたがって、種々の高低の度において現れる。
 
人は〔ジャン・〕ラシーヌを非難するのに、彼の主人公がギリシャ人でもローマ人でもないことをもってする。私はむしろ、まさにそのゆえに彼を賞賛したい誘惑を感じる。そうして彼はたしかにそんなことを念頭に置かなかったのである。シェイクスピアは古典主義者が信じるよりもはるかに多く古代に類似する。彼の人物はプルタルコスのそれにしたがって作られている。彼のコリオレイナスや、彼のアントニーや、彼のクレオパトラや、彼のブルータスや、そのほかきわめて多くの者は、歴史上の英雄である。とはいえ、彼らが真でなかったならば、彼の功績は些少であったであろう。彼は人間を描こうと欲した。そうして彼もラシーヌも人間を描いた。〔セクストゥス・アフラニウス・〕ブッルスや、ネロや、〔小〕アグリッピナが〔コルネリウス・〕タキトゥスから来ているとしても、それが我らになんの関するところだろう。私は舞台の上で、タキトゥスにもプルタルコスにも拘泥しない公衆の前で、彼らを見ることを欲する。彼らの実録以上に私にとって重要な、魅力ある詩的な動作のなかに織り込まれつつ、彼らと彼らの激情のあらゆる 蕩搖 とうよう を見ることを欲する。
 
人は幾度か劇場において、一歩一歩に大戯曲家たちのあとを追う珍しい模倣劇を上場した。人はかの原始的単純の外観を少し装い得た。しかしその単純はもはや我らの慣習に適さず、また我らを熟させることもないものである。
 
アメリカの野蛮人のための悲劇は、もう我らを驚かすことがないであろう。先日、ある有力な文士が『オデュッセイア』中の出来事を舞台にかけたとき、彼は、私の意見にしたがえば、そのきわめて興味の多い、美しい詩句をもって述べられた画図を、我らが今日なんの理解をも持たぬような歴史的習慣の、誇張された強調によって傷つけた。神のごときラーエルテースの牧豚者たちは、私の心を掴むというよりもむしろ私を 喫驚 きっきょう させた。同様のことはオデュッセウスとテレマコスがペネロペの侍女に対していった呪いにも、また成功した物語においては興味を高め得るものでしかも舞台においては一切の行為を破壊するような、ほかの千百の人文史的些事にも、また通用する。
 
古代人はその作品のなかに 歌舞団 コーラス を導き入れた、それは劇中行為について省思している民衆の人格化にほかならぬものであった。我らの今日の感情よりすれば、 看客 かんかく はその見たところのものから自ら教訓を獲得する。彼はこのような省思をきくことによって何物を始めることをも解していない。彼は自ら、しかも省思が彼の注意を戯曲のさまざまな出来事や性格の発展からそらさないように迅速に、これを行う。ギリシャ人は連結手段を用いるように歌舞団を用い、そうして出来事の繋がりを予感させるためにこれを利用した。その代わりに彼らは、戯曲の構成や場面の論理的連続からくる効果の細心の利用を、きわめて多くの場合に看過した。そうしてまさにこの点において近代人は偉大であるのである。
 
気まぐれをもって才能を 桎梏 しっこく し、一切のことについて手短かに決断を下すところの流行は、美の問題に対していつも多くのことを添加した。流行の放縦な影響は、不易なものに れ近くのことをさえ恐れない。美の影像はあらゆる人間に現存するものである、我らの子孫は数百年の後といえどもなお同一の表徴において美を認識するであろう。この表徴は流行によっても書籍によっても説明されない。一つの美しい行動、一つの美しい作品が、瞬間的に霊魂の一つの能力にーーたしかに霊魂の最も高貴な能力にーー作用するのである。もとよりある程度に達した教養は、美の受用にある特殊なものを付加することができる、練習に欠けた眼には不可解な多くの美をあばくことができる。しかしこのような教養は時として高慢にすぎ、一方にはまた同様に判断を誤らせ、自然な感情を迷路に導くこともあり得るのである。
 
人は美が、一つの自然な欲求が、我らの最も純な歓喜の一つが、ただ選ばれた国にのみ咲くものと仮定し、それを我らに近いところに求めることは我らに禁止されていると仮定することを許されているか、ギリシャの美が唯一の美であろうか。このような美の冒瀆に信仰を置ける人々は、いかなる緯度の下にも美を感じることを許されなかったに違いない。彼らは、あらゆる偉大な物と美しい物の前にふる えるところの、かの内面的反応を持っていない。私は神が、我ら北国の者の心に適うものを生産することを、ただギリシャ人にのみ許したとは信じることができない。眼と耳がこの点について罪を犯している、なんとなれば彼らはーー認識しようと欲せず驚嘆しようと欲せざる識者はーー自らを閉鎖するがゆえに。驚嘆する能力を欠くことは、自己を高める能力を欠くことの一部分である。しかし精神上真正の選民は、彼らの愛好を、あらゆる異なる形式の完全に向けることに成功する。しかるに学者はただ、これらの諸形式のあいだに横たわる深淵を見るのみである。偉大な人たちの集団の前には、この種の長々しい論弁は決してあり得まい。私は芸術の諸星のーーラファエルやティツィアーノやミケランジェロやルーベンスや彼らの者のごとき、優美と力との規範のーー一つの結合を想像する。我らは、彼らが芸術家を裁き名声を分配するためにーーしかも単に真価をもって彼らの足跡にしたがってきた他人のあいだだけではなくてまた彼ら相互のあいだに、数世紀のあいだ彼らに拒まれているかのような公正を行わさせるためにーー集合していると仮定する。そのとき彼らはたちまちにして相互に認識し合うであろうーー一つの共通の標識によって、各々の人が自己のみち にしたがって到達する美を表現すべきあの力によって。
 

(Revue des Deux Mondes〔『両世界評論』〕 15. Juli 1854.)