PAINTING

モロッコ・スペイン旅行記

ウジェーヌ・ドラクロワ

伊藤睛作訳

Published in January 26th - May 19th, 1832|Archived in April 12th, 2024

Image: Eugene Delacroix, “The Smoker”.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

収録にあたり、モロッコの旅の「1月、2月、5月、3月、4月」の順序を、時系列に沿って「1月、2月、3月、4月、5月」に直した。
WEB上での可読性に鑑み、旧字・旧仮名遣い・旧語的な表記・表現は現代的な表記・表現に改め、一部漢字にルビを振った。誤字・脱字と思しき箇所を直し(ex.「ことで見ていて」→「ことを見ていて」、「澄んだ空気」→「澄んだ空気、」、「走る塵煙り」→「走る。塵煙り」、「すっと」→「ずっと」、「乗組だ逃げよう」→「乗組だ。逃げよう」、「賑やから食事」→「賑やかな食事」、「一平原に着き。」→「一平原に着き、」、「我々ついて」→「我々について」、「吾は」→「我々は」、「平安となり吾々はどうかと言えばさらに」→「平安となり、我々はどうかと言えば、さらに」、「画飯」→「画版」etc.)、用語統一を施した(ex.「浮きだし」・「浮き出し」・「うきだし」→「浮き出し」、「登り」・「のぼり」→「登り」、「セヴ」・「セブ」→「セブ」、「つぎ」・「次ぎ」→「つぎ」、「小道」・「小道」→「小道」、「我々」・「吾々」→「我々」、「続く」・「つづく」→「続く」etc.)。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ウジェーヌ・ドラクロワ(1798 - 1863)訳者:伊藤睛作
題名:モロッコ・スペイン旅行記原題:モロッコの旅
初出:1832年1月26日〜5月19日
出典:『美術 第十巻 第七號』(東方美術學院。1935年。56-61ページ)

FOLLOW US|REFERENCE / INTERACTION

XINSTAGRAMLINKTREE

モロッコの旅

1832年1月26日、タンジェの港にてーー総督の家にて。
 
お城に入る。中庭にいた衛兵の身体、城の正面、城壁の間の小道。 穹隆 きゅうりゅう のようなものの突き当たりに坐っている男、空色がかった上に褐色を浮き出たせている。
 
露台〔バルコニー〕、木の欄干のある三つの窓、横手のモール風の門から兵士達や家僕が出て来る。
 
奥深く葡萄棚の下に兵士達は並んでいる。黄色の下着に帽子の色はさまざまでチュルバンでなく尖ったボンネをかぶっている。
 
袖の緑色をした美男子。
 
お茶をついだ混血児の奴隷は、黄色の下着に、うしろで結んだ外套に、捲帽子を、薔薇をくれた老人は頭布をして濃い空色の下着。
 
総督は、頭布を二つ重ね、外套を着ている。三人が一緒に 印度更紗 インドサラサ に包んだ長い四角な一枚の白い羽布団の上に、雑色な長い小さなクッションに、もう一つは毛のさまざまな図案に……。
 
庭園は葡萄畑に被われ、いくつもの小道で分かれており、大きな実のたわわに地に垂れているオレンジの林。
 
古い宮殿を曲りくねって行く。大理石の中庭、中央には泉がある。柱頭はよくない混合式、非常に簡単な石造りの屋根部屋は全く損なわれている。寝台も、小さな部屋までも、その天井は薔薇色に彩った彫刻でみたされている。
 
右手の階段の方をかえって来る時、あとをつけて来る一人の男の横柄な態度に気がつく。銃を持たない兵士達がずっと二列になって戸口のところにいる。
 
R夫人に非常によく似たユダヤの一婦人を見る。
 
マホメット教堂をななめに見て、モール人が一人泉で足を洗っている。彼は中央にいて、もう一人は縁のところにうずくま って洗っている。

1月29日
 
海につづく城塞にそって降りて来る恍惚とする眺め。異様な仙人掌と伽羅木、甘蔗の塀、砂上に褐色の草の斑点、
 
馬の戦いを挑む光景。はじめ彼らは立ち上がり、猛烈にうたれる。乗っている人々のことを見ていてふるえる。だが絵にすれば実にすばらしい。たしかにグローやレンブラントがことさらに空想的に、軽快に思いついたものが見られる。

2月4日
 
ユダヤ人区を通りすがって、珍しい家の内部を見た。一人の婦人が赤い球帽に白い覆いをし、黒い衣裳につつまれて鮮やかに浮かび出ていた。

5日
 
画にアブラハムの家へ行く。彼の姉妹の門をくぐった時に、二人のユダヤ少女が中庭で敷物の上に座っていた。家内中が小さな小舎のような所に、またその上のバルコニーにいた。バルコニーでの女の美しいモチーフ。

12日
 
ユダヤ女のディチチャに、アルヂェリア人のふうをさせてデッサンする。それからある庭園へ行く。道がなんともいえない。伽羅木と菖蒲にかこまれた墓、澄んだ空気、モルネー氏も僕もこの自然の美に打たれた。
 
まったく暗いものの上に白。巴旦杏の開いた花とリラ。小さな中庭の門口に立っている。大きな木、黄黒色のオレンジの木。
 
領事達と一緒に食事をし、夜はリコー氏がスペインの歌をうたう、南国の人だけがこういう情調を出す、夜は一人、庭にうつる月を眺め、快い夢にふける。

15日
 
マホメット教の御堂の高いところから祈禱の時刻を告げている僧を見る。
 
男の子の小学校。どの板も、どの板もアラブの文字。十戒板の文字も、古えの書式であらわしたものが、みんな木の板であったことがわかる。インキ壺と上靴が入口の前に。

21日
 
ユダヤ人の婚礼、モール人とユダヤ人が戸口に。二人の楽人、ヴィオロン弾きの傍には美しいユダヤ女が一人、金色と鶏頭色をした胴着と袖、彼女は半ば戸口に、半ば壁に浮き出ている。老婦人が沢山の白人にかくされている。ひどく反射している影、暗い中の白。
 
一本の柱が闇の中にうかんでいる。女達は花壺のようにその左手に列んでいる。白と金色とが基調となっている。子供達がその前に坐る。
 
ギターを奏でる人の傍で、ユダヤ人の男が鈴のついたタンブールを奏でている。その姿がうき出て、ギターを弾く人の手が一部かくされる。前には足を組み合わせ皿を持った若いユダヤ人、着物は灰色で、その肩に十歳位の子供がもた れている。
 
梯子段のところにプリシリアン教〔マニ教〕のプリシアダが頭にも頸にも薄紫色の手巾を巻いている。階段にはユダヤ人達が坐っていて、鼻の上に強い光りがきて、戸口に半身をみせると、梯子の下に、長い影が壁に薄黄色をして浮き出る。
 
上にはユダヤ人が屈んでおり、一人は左に栗色の頭をあらわに太陽の光りで壁に浮き出し、隅には不格好な鬚をした老モール人がいる。
 
土間の前の方には老ユダヤ人がタンゴールを振っている。頭には古風な手巾、球帽は黒。戸口の近くの蔭になっている人達がくっきりと反映している。
 
夜ーーユダヤ女の化粧、老女達のわめき声。顔を彩った若い既婚の女達が、花嫁の化粧のあいだ 蠟燭 ろうそく をかざしている。顔に薄ものをかけ、少女達は床の上に立っている。
 
新婚者は壁によりそっていて、近親の者が侍女のように傍にいる。女は床から降り、友人達はその上にぢっとしている。赤い顔被い。新婚の女達がハイジュグを着て到着する。美しい眼。
 
両親が来る。蠟燭の松明、別々の色で塗った二つの松明、喧騒、光りに照らされた顔、混雑するモール人、両側から支えられたユダヤ女、一人は後ろで帽子を支えている。
 
道端で、スペイン人達が窓から見ている。二人のユダヤ人かモール人の女が、露台の上の闇の中に浮き出ている。
 
アブラハムの家で、三人のユダヤ人がトランプをしている。町の大門の傍で女達が、オレンジや白い榛の実を売っている。麦藁棒や帽子なしの野人が、乳壺を持ってとどま っている。

3月22日、皇帝に拝謁。
 
驢馬に乗った土人の士官を先触れに、後に少しの兵士が徒歩で、贈物を持った兵士がそれに続いて9時か10時に出発。モハメット教堂の前を通ると家から見てた美しい塔があった。板で張った。小さな窓が一つ。
 
アルカサール地方と同じ甘蔗で埋まった道を横ぎる。
 
大門に面した広場に着く。群集は縄や棒で打たれている。いくつもの鍵が備えつけてある鉄の門。
 
馬から降りて第二中庭へ入り、兵土の人垣の間を通る、左手に大きな物見場があって、天幕や兵士や繋がれた馬がいる。
 
しばらく待って、それからまた中へ行き大広場に行く。ここで皇帝を拝するはず。
 
貧弱な小門から、最初、黒衣に尖帽の兵士が7人か10人ずつ途切れ途切れに出て来て左右に列ぶ。つぎに槍をもったものが二人、そのつぎに皇帝がずんずん我々の方へ進んで来られて間近のところに止まられる。我々の皇帝ルイ・フィリップに非常によく似ておられて、一層若く髭も濃く普通のブリマン色である。綺麗な外套は前でつまっており、帽子の下から胸高く、腿から脚のほとんど全部を包み、右腕に碧色の絹糸のついた白い数珠をまかれ、金のあぶみ に黄色の上靴、薔薇がかった金色の馬具に鞍、馬は灰色で、たてがみ は短く切り、無地の木の柄のついた日傘、その尖に小さな金の玉が一つあった。上の方は赤く区切りがしてあり、下は赤と緑。
 
慣例の挨拶をうけられた後、この種の歓待では普通でないところの、自らフランス皇帝からの書を受けとるように一宮臣に命ぜられ、我々には宮廷内拝観の前代未聞の恩恵を与えられて、我々に別れの身振りを残されてから、くつわ をかえて楽の音ととも右手の群衆の中へ消えられた。その後から行った御車は緑色の毛織物で被われ、赤く飾りつけられた一頭の驢馬が曳いて、車輪は金色だった。
 
門を出ると両側に兵士が列んでいる。大きな城壁の間の小道に出る。
 
小門の前で馬を降り、しばらく戸を叩く。やがて真ん中から水の注がれている水磐のある大理石の中庭に入る。大半は黒人である子供達の小さい部屋部屋を通って、庭から露台へ出る。戸は朽ち、絵は消えている。小さな亭が一つあり、細工をした竹のカナッペに布団のようなものがまいてある。美しく着色してある門から入ると、左側に非常に美しい中庭、中央に泉。陶製の壁が人の高さにめぐらされており、二方から回廊のついた部屋部屋へ行ける。室の内部は、穹隆まで見とれるような絵、ある高さまでは陶製。右手にはやや英国風の寝台、左には綺麗な真っ白なマトラ、すぐ地面へ床右の隅には自在鏡、地面に床が二つ、緑色の美しい敷物、前の方は入口までむしろ
 
それに面した部屋には、 歐羅巴 ヨーロッパ 風な飾りの寝台があるだけで、他に何の家具も見えない。重い布の帳までまくし上げてあり、凹んだところに風景画か鏡のようなものがある。
 
庭園の亭へは、側面の緑と赤の柱で支えた葡萄棚から入る。もう一つの庭園には、板小舎のようなものの前に泉があり、野生の花の咲いている水盤の前に低い安楽椅子があり、案内者はここで暫く我々の賞讃の言葉をきこうと足を止めさせた。
 
騎士の総司令官が腕の戸口に屈んでいる。この門から引き返すところは画的効果がある、下方は白い塀。そこに我々の馬がいる。群集はまだ兵器をもっている。
 
それから我々はまたひな びた庭園に出た。兵士、人民など我々について来る。シャツを着た子供は絵のように美しい。

24日
 
ユダヤ人町へ行く。市場で赤い下着を男が案内してくれた。ユダヤ人町の門番も赤いのを着ている。
 
アブラハムの友人の家へ入る。ポール・ヴェロネーズ風に薄曇りの蒼空に浮き出ている露台の上のユダヤ人。若い小さな女が入って来て我々の手に接吻した。モール人が食事をしている。塗ったテーブル。

30日には皇帝が、マガドールのユダヤ人達を我々に差し遣わされた。これはこの国での最もすぐれたものだ。アブーがそれを聞きに来た。我々の名を書きつけようと捲帽子から紙片をとり出した。私の名を発音するのは、彼にはそう苦痛ではなかった。
 
ユダヤ人の墓。
 
石工達は普通墨縄を用いないで全然本能的に城廓を建てるから、この種の職人は、さきに造ったものを、もう一度造るということは困難だった。とアブラハムが言った。

4月1日
 
朝、中庭に 駝鳥 ダチョウ がいる。その中の一羽が 羚鹿 かもしか の角で叩かれた。どうして血を流させないようにしたらいいかと当惑。
 
外に出る。髪を組んださきに花をつけている子供。
 
市場に入る。わかりにくい小道を行く。しゃがんでいる回教徒が太陽に強く照らされている。うしろに甘蔗の枝が沢山ある。庖丁を吊り下げた貧弱な店の中の男。
 
私を露台に案内したユダヤ人の家でーーユダヤ酋長の家では、婦人が坐って女の着物の刺繍をしていた。白壁に浮き出た人物に対して、着物の非常に強い色彩。男の子が傍にいる。

6日、セブ川にて。
 
多くの山々を越した。いろいろな花で、黄に、白に、紫に彩られた大きな広場。岸では天幕を張った場所。着く前に休んでいた時に、走って来る人に出会った。この人はフランスからの幾通かの手紙を持って来てくれた。つよい喜び。

7日、レッダにて。
 
馬でセブ川に沿って行く。実に気持ちのよい水。左手に天幕、村落、駝鳥。
 
画版のあと山に入る。美しい木の繁った麗わしい谷に降りる。灰色の岩石の上の橄欖の林。
 
あまり深くないワラー川を渡る。とても大きなひきがえる 、遠い彼方の山間、レッダという良い野営に着くまでに暑気が襲って来た。日没後出発。人の住まない果てしない平野の淋しい眺め。蛙やその他のいろんな声がしきりにする。マホメット教徒。同じ時刻に彼等の祈りをしている。夜、召使達の口論。

4月28日、タンジェにて。
 
昨日我々の窓の下を太鼓や木笛の楽を入れた行列が通った。これは一人の男の子が初等科を終えたのでその祝いに一同がやったことで、その子供が歌をうたう学友達や近親と教師達に取りまかれていた。
 
人々は太古のままだ、外から見た生活もそう、家々は念を入れて閉ざしてあるし、女は引きこもっているし、いつぞやも水兵達があるモール人の家へ入りたがって口論をはじめた。すると一人の黒人が古靴をその鼻に投げつけた。
 
我々を案内してくれたジェネラルのアブーが戸口のしきい のような所でさえ坐っていた。そして腰掛けにはちゃんと我々の料理人が腰かけていた。彼は我々が通る時、ほんの一寸だけ身をかがめたきりだ。こんな無雑作なところに何かしら共和党風なところがある。土地の堂々とした人達が、道の隅の日向にうずくまって一緒に話をする。こういう人達が沢山で、少数の何をやりとげるはずの人、租税を課せられる人、また何かの事情で刑罰を受けている人など種々あるけれど、どれも我々の近代的治安で、おしつけられるような不断の不快さや小さな干渉は無く、古えの習慣がすべてを支配している、同じく彼等は貧しい食物や衣服を神の恩恵だと思い、それ以上のものを所有するのは幸福過ぎると思っている。
 
この太古の習慣の中のあるものは、もっと重大な場合でも我々には欠けている荘厳さがある。
 
婦人が市場で買って来た小枝をもって、金曜日には墓に参るとか、正式の婚約日には楽を奏して、肉汁の上で蒸した団子や麦袋を驢馬に積み、一頭の牛には座布団の上に若干の反物をのせた贈物が両親のあとから運ばれる。
 
基督教の邪魔になる精神や彼らを新しく導く不安を、容易に抱いていてはいけないことになっている。我々はこの人々に欠けているものを沢山知っている。彼らの無智が彼らの不安となり、我々はこの人々に欠けているものを沢山の無知が彼らの平安となり、我々はどうかと言えば、さらに進んだ文化というものが生み出すことができたもので行き詰まっている。
 
衣服にしろ、靴にしろ、いろんなことで、彼らの方が自然に近く、彼らの作りだすものはみんな美が一致している。それなのに我々は、コルセットや窮屈な靴や、おかしな刀の鞘だとか、情けないことをしている。神意が我々の科学に復讐しているのだ。

5月5日、出発第一日、アイン・エルダリア。
 
野営に着く、自然のままの山々、太陽を上に、小さな棕櫚の木のある茨と礫の中を行進する。全部族が左手に列をつくる。遥か向こうに騎士がおり、ずっと空にまで続くように見える。なお遠い所に沢山の天幕。
 
夜、野営内を散歩する。白い服と背景とのコントラスト。僧が夜の祈祷をつげている。

6日。ガルビアにて。
 
7時か8時に出発して丘に登る。太陽は左手に、澄んだ大空に山がくっきりと浮かび出る。
 
いろいろな部族にあう。空中に銃の発射、部族が我々のあとについて来る。混乱。ほこり 。騎兵がさきに埃の中を走る。塵煙りの中の馬。

8日、アルカサール・エル・ケビル。出発のとき雨、丘に登り緑の柏の美しい森に入る。
 
アルカサールに着くまで、民衆と音楽と果てしない火薬の打ち上げ。総督の兄弟が棒と刀で打つ。一人の男が群がる兵卒の中を押し切って我々の鼻先で発射しにやって来た。彼はほどけた捲帽子をアブーに引き掴まえられた。彼の狂乱、ずっと遠い所へ連れて行って寝かす。私は恐怖した。我々は駆け出した。刀を鞘から抜いて。
 
左手の丘の上には種々の軍旗。赤、青、緑、黄、白などの地色に、図模様もさまざまだ。我々のアルカサール到着を報じる 喇叭 ラッパ が盛んに鳴り響く。

9日
 
雨をついてアルカサールに入る。群集を兵士が革帯でひどく叩いている。険しい道、尖った屋根、どの家の上にも教会の上にも鵠がいる、それが建物に比較してばかに大きい。
 
河岸。岸には橄欖の木、危険な傾斜。
 
川の真ん中まで来たとき両岸から発砲される。この間約20分間以上だった。かなり人を脅かす射手の包囲を切りぬけて別の岸に着く。我々の馬の足に発砲。
 
総督の父が来た。薄紫の外套で快い様子だ。彼の部族の上位であることを示す小さな牌章。馬は灰色。
 
山の中、泉の側で食事、しのつく雨。

11日、セブ川にて。
 
これが三日間、きっと贈物が貰えると思って後からついて来る者が一人ある。
 
モール人は御礼のしるしとして何か貰いたいと思う時には、断られないような方法で天幕の傍へ羊か牛を贈物として引っ張ってくる。そして供物のようなやり方でそれを殺す。この手で、誰もよく義務を負わされてしまうのだ。

12日
 
朝、セブ川を渡る、おかしな乗組だ。逃げようとした馬は、舟に乗せようと打たれて疲れ切っている。大勢の裸体の男が馬を追いたてている。
 
ビアスの話では、泥棒をなお容易に捉えるためと、税をとるためと、 土匪 どひ を捉えるためとで橋を造らないのだとのこと。この世は、蒙昧とその他の二つに分けられると言ったのも彼だ。
 
人々は舟にすがってそれを押している。岸では見物人が足を水の中につけており、猟犬や馬は地上に寝転んでいる。
 
待っているのにとても退屈する。やっと一時頃船出。流れに沿った道、着く間際に大へん綺麗な花火。
 
往來で、一人の酋長が我々の所にやって来て、アブーは前へ引き出され外套を少し裂かれた。営舎に入ってから、アブーは、利用されるくらいなら焼いた方がましだと言って、外套をずたずたに裂いてしまった。誰かが彼のパイプを壊してしまった。彼は怒りにもえていて、兵士達はもてあましていた。
 
夜、賑やかな食事がすんでから、セブ川の岸近くへ一人で降りた。美しい 月明 げつめい の中の道路。

13日、シディ・カセムにて。
 
焼けつくような太陽、果てしなく、平原の中の道路。

14日、ヅァール・ホーン。
 
朝の美しい太陽を浴びて出発。まず小さな川に沿って行く。のぼる太陽に横から照らされた人物、白い背景に鮮やかに浮き出た山々、自然のもの、色、すべて生き生きとしている。
 
山中の峡間へ入る。男は大人も子供もハイジュを頭から脇の下で結び、下の方はむき出しにしている。回教の隠者達。
 
平坦な岩伝いに小川の縁まで降りて食事。
 
峽間を、否、それよりも少し広く深い堀をめぐっている小道を行く。ペルシャの旅のことを話す。
 
一人の女にあい、言いつけたら飲物を持って来た。金ボタン 止めの着物を着ている。
 
一平原に着き、遠くからヅァール・ホーンを望んだ。ある美しい川岸へ降りた。小さな月桂樹が岸を覆いかくしている。礫と廃墟の中を、山腹を進む。ヅァール・ホーンに近くなったところで耕作者を見た。鋤、遠方から見た泉。

スペインの旅

5月16日夜。
 
7日間の退屈な検疫期がすんでカディクス上陸が許された。非常な喜びだ。
 
入江に対する山々、くっきりとした美しい色。近づくとカディクスの白い家は晴れた 碧空 あおぞら に金色をしている。

18日。
 
フランシスカン赤院で12時がなる。こんなに異常な国での異常な気持ち。この月光、それに照らされた真っ白の塔。
 
私の部屋にデビュクールの版画が二枚かかっている。その中の一つに19世紀の第一日に刊行としてある。すでにこの時、私は生れていた。幼い時から 此方 こなた へ、実に様々の時勢だ!
 
夜、散歩。ある家でマリヤ、ジョセファー夫人に邂逅する。
 
一人の紳士と我々は一緒に夕食をとったが、風変わりだ。
 
オーギュスタン派の僧院へ行く。陶製のもので飾りつけた階段と食堂の上部に僧達の合唱の間もあり、以前はこの部分が長くて絵もあった、僧達の壁に張り出され、陶製のもので立派なものだ。僧庵の壁に貼られた悪い肖像まで立派な法政の影響がある。
 
食事中水きりより飲まず実に物静かな人だ。デセールに際して煙草を辞退した時に、彼は言った。節制は単なる養生のためだ、と。実に永年の間、彼は日に3、4ダースの煙草をふかし、葡萄畑は別にしてブランデーを50本ぐらい飲んだ。健康を害してからも摂生には構わず6、7本のビールを平らげていることだ。
 
女についても同じこと。この人の性格にはどこか全くホフマンのような所がある。すべてのことを、しかも極端に享楽したこの人は。

19日、キャンプシン僧の僧院。
 
非常に簡粗な四角い中庭。壁に聖像、右手正面に会堂がある。ムリリョの聖母は、頬が立派に描かれ、聖らかな眼。会は非常に暗く、聖器、黒い木の戸棚に腰掛け、修道院長の小さな花園、うしろに内陣、廊下が続く。