PAINTING

文章論[4断片]

ウジェーヌ・ドラクロワ

アシル・ピロン編|青山民吉訳|ARCHIVE編集部改訳

Published in January 1929|Archived in April 12th, 2024

Image: Eugene Delacroix, “Liberty Leading the People”, 1830.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿の原本は、ドラクロワの「知人であり弟子でもあった〔エリザベス・マリア・〕カヴェ夫人〔Marie-Élisabeth Cavé、Madame Cavé〕のデッサン教育論〔“Le Dessin sans maître, méthode pour apprendre à dessiner de mémoire”、1852年〕に対する書評」として『両世界評論』誌に発表されたものであり、「写真に関するドラクロワの最も透徹した理論的考察が見出される」論考として今日的に興味深い(村上康男「E・ドラクロワの写真観」(『美学藝術学研究室紀要研究』。76ページ。1987年)。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。変更点と修正点は膨大になるため、凡例ではなく末尾に付している。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ウジェーヌ・ドラクロワ(1798 - 1863)訳者:青山民吉改訳:ARCHIVE編集部
題名:文章論[4断片]原題:文筆に就いて
初出:不明
出典:『アトリヱ 第六巻 第一號』(アトリヱ社。1929年1月。24-27ページ)

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〔青山民吉による説明〕ここに訳載された一文は、ドラクロワの手記、写生帳などの断片の集遺である。この題名のもとに文章として集成したのは、〔アシル・〕ピロンの編集に基づく。ただ、この題名〔文筆に就いて〕が内容にまったく適応するものとは言いがたい。
 
〔以下、本文〕
 
一般に言って、美術家はほとんど文筆をとらない。かなり有名な幾人かでも、充分な教育を欠いていたのであった。したがって彼らの体験の結果をめぐる算定を、文字を通じて与えることは不可能だったのである。自分の芸術について筆をとって書くことは、美術家には遠くにあるものだった。一般に、美術家たるものは、理論のようなものについて心を苦しませることはしないのだから。彼らにとっては、彼らがその業務のなかで学び得た実際とか、その実現のあいだにつかみ得た法則などが、一個のまったき芸術そのものとなっているのだ。加えて、句切りをつけ、選び分け、あるいは思想の発展についての顧慮するというような、文字による表現のむずかしさが、そこに諸々付随してきたのである。しかも、彼らは、それを遂行しつづけるというようなこともあまりしない。もし、職業的文人の類でない人が、彼に浮かんでくるままにその思想を書き下そうとして、ただ衝動にたよって筆をとり、そのうえ部分と全体を同時につかみ、読者の注意をつなぐべき重要な事柄をすべて浮かび上がらせるように、それぞれの部分を充分考え抜かれた一つに結合させて組み合わせるような能力に欠けるのだとしたら、どうやって彼は一冊の本を書くことができるのだろう。
 
一切の芸術において、その手法すべての練達は、必要欠くべからざるものである。一方向を定めて、その方向にそってその精神を絶えず鍛えぬくことは、一個の創造的天才者にとっても欠くべからざるものである。これを欠いたなら、光り輝く思想といえども、たちまち色褪せるだろう。



私はほとんど文学的努力に関心を寄せたことがない。一般的に妥当でもあり、かつ文筆の士によっても示されている一つの意向に対しては、私はつねに反対的な印象を抱いたものであった。すなわち、一つの作画の計画・実現などよりも、むしろ書かれた章句の計画・実現により多く従属しているという印象である。私はこのような 機構 からくり を、一個の創作としては見ない。これはまったく明白な事実である。それはむしろ、インスピレーションをもって取り組むことを要さない一職業的事実であり、すなわち職業的 熟練 メチエ であると見るのである。私は、自分の経験からいっても、絵画に付随する諸種の困難のなかに、文人がよくその制作において示すような、拙劣な語音や反復を防ぐために言語や章句を絶えず変換するような事実と似たような種類のものをーー私の数少ない文筆上のこころみを想起してーー見出しえないことを付言したいと思う。私は、幾人かの文人たちが、自分たちの仕事は地獄だと言っているのを聞いている。たしかにそこには、まったく倦怠させるところがある。いかに敏活な表現でも、そういうことからは救えない。こういったことは、絵画には存在しない。真の画工にとっては、最も小さい余事の形成すら魅力に満ちていて、絶えずインスピレーションがその画筆を助け支えていく。しかし、こう私が言うのは、ほとんど多くの画工がそうであるように、筆をとって描く工匠について論じているのでないことは、当然である。
 
文筆の士は、彼らが決して腕で労作しないので、彼らが工匠の類でないことを信じている。



ヘロドトスを読むと、オリンピアの競技ではつねに一つの会合が催され、非常な細心のもとに、徒歩競走やケスタ競走の勝利者や、種々な体育上の演習の優者の彫像や像を創らせていた。この委託は、すべて一流の芸術家たちに依頼されていた。そして、これらの彫像・画像が完全にその人を現わしていないときには破棄されて、よしと観られた肖像だけが集められ、注意深く保管されることになっていた。このような種々の闘士選手の様式にしたがって、その体格の均り合いに応じて、彫刻家たちや画家たちは、神々や英雄たちの理想の姿の工夫に、その創意を凝らした。



文筆の士とよばれる人々がつねに言おうとしているのは、彼らの芸術には、我々の芸術にあるようなむずかしさがない、ということである。その幻想をもち、自己の言葉を自由にし得る人は、何人でも短期間に文筆をとることを学ぶのだろう。言おうとすることがある人は、それをよく語るのだろう。彼は書かれるべきものの形や風より、むしろその本質的内容に心を向けるから、職業的文人などより巧みに語るのだろう。(しかし安心したまえ、詩人たちと散文家諸君! だからといって、私にホメロスやヴォルテールを 貶下 へんげ する意志はないのだから) その理由は、つぎの事実のなかに得られるだろう。すなわち、文筆の士といえども、画家や音楽家同様、とくに光り輝いてはいないのだし、彼らうち誰一人も、その古典的な七弦琴を投げ捨て、コンパスを手にし、宮殿を築こうなどとはしなかったのであるからーーもしそうなれば、その人は魔術師オルフォイスになれるだろう。同時にまた我々は、一人の画家が、一人の音楽家が、そして一人の将軍が、それぞれの時代の一流の文筆家として現われている事実を、しばしば見てきたし、また今日でも絶えず見ている。私の見解では、ナポレオンのもっていたような様式は、最も玄人らしい。彼は過多な従属的な部分から自由であり、私がこの語をこれに結び付けて考える限りの意味で「ホメロス的」である。失礼を承知でいえば、かのテトス・リディウスのような者は、決して共和暦第1月13日のトゥーロンの包囲〔1793年9月18日 - 12月18日〕や、アルコレの戦いや、そのほかの素晴らしい手並みを現わしえたとは言えないと考える。ナポレオンにならっていえば、我々は、何ものをもこれ以上賞讃すべき必要はないのである。
 
文筆を職とするいわゆる文人以外から生まれたよき文学的作品の価値は、その人がまったく未知の芸術的領域に一飛翔をこころみて真に知っていることのみをただ語るという境地に存するのである。そうすると、他方、文学にその身を捧げようと誓いを立てた文土たちは、その一切の可能なことすべてについて語るために、往々にしてその柔軟曲折自在な言葉によって駆り立てられる。すべての事柄について、けばけばしいシャレたやり方で語り得るという可能性が彼らを駆って、一切万事を美しい外見にしたがって支配し、統合しようと信じこませる。そのすべてが、こうした言葉の誤用の犠牲者である憐れな美術家諸君、諸君に向かって、私はただこう言おう。すべての者みな文人諸氏に裁かれて、あるいはよしと、あるいはあしきとさせられる、と。
 
文筆は、一切の権勢をみなその玉座からひき下ろした。政治的政略すらも、彼女にはかなわない。人の心を観察することから遠のいた小説家は、 消閑 しょうかん と気晴らしから、彼の著作から体験を借りて生かそうとしている画家や音楽家たちに対して、批評家となるのである。
 
私一人の見解から考えても、絵画が多弁な芸術でないことは、絵画にとって決して小さな卓越点ではないと考えるものである。