SCIENCE

原子力時代

ロバート・オッペンハイマー

『思索』編集部

Published in September, 1949|Archived in March 10th, 2024

Image: Los Alamos National Labora, “Trinity Test Fireball”, July 16, 1945.

CONTENTS

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EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

冒頭の「人間のいまだかつて見たことのないある閃光」とは、1945年7月16日に実施された人類史上初の核実験「トリニティ実験」における核爆発を指す。ロバート・オッペンハイマーは、自身が関与したマンハッタン計画の指導部として、この実験に臨席していた。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕内に入れた。
旧字・旧仮名遣い・旧語的な表記・表現は、WEB上での可読性に鑑み、現代的な表記・表現に改め、誤植・脱字は直し、一部漢字にルビを振り、用語統一を施した。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ロバート・オッペンハイマー(1904 - 1967)訳者:『思索』編集部
題名:原子力時代
初出:1949年9月
出典:『思索 26号』(科学と人間。1949年9月。49-51ページ)

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1945年夏のある未明、ニューメキシコ〔州アラモゴード〕の 荒蕪 こうぶ 地帯にあるホルナダ・デル・ムエルトの丘に、人間のいまだかつて見たことのないある閃光がしばしひらめきわたった。当時その地にあった我々は、我々のまえに新世界が横たわっていることを知ったのである。ここにこの新世界の輪郭について我々の知る限りを述べることは、私の特権とするところである。
 
まずひとつのことを明らかにしておこう。あの最初の原子力爆裂に際して、偉大なる新原理が発見され、もしくは啓示されたのでは決してなかったということである。我々がそこでテストした爆弾は、物理学の一世紀にわたる広範な礎石にもとづくものであった。右の試みにおいて、前世紀の末期および今世紀の初めの30年間に苦心して解かれた放射と物質との働きにかんする偉大な原理が具現されたのである。この爆弾は、原子核とその反応を研究する全世界の研究所の経験から生まれたものである。この爆弾には、開戦のわずか二、三ヶ月前の発見がもりこまれているのである。その発見とは、中性子が最も重い原子核をほとんど等しい二個の部分への破壊ないし分裂に導くということである。この核分裂は 厖大 ぼうだい な量のエネルギーの発散をともない、さらにもしその物質と環境とが好適であれば、この核分裂を導いてはるかに多くの原子核に拡大させるに十分な中性子にともなわれるのである。戦争計画にあたっての我々の仕事は、その環境を好適ならしめることにあったのである。
 
この最初の爆発に際しなにか驚異的なことがあったとしても、それはなんらかの偉大な新発見に属するというようなものではない。むしろ、我々が惹起するであろうと思っていたとおりのことが起こったという事実にすぎぬのである。そのことは換言すれば、この新兵器を達成するにいたった物理学が、それほど確実な信頼しえる指針であったということなのである。
 
わずかの例外はあるが、地球上で用いられている一切の力は、太陽中で起こる原子核反応より導き出されるものである。ニューメキシコの荒野に発生したその原子核反応は、別種のものであり、まったく異なる方法で人間の制御下に置かれるものなのである。
 
このエネルギーの放射を支配し、それを社会の目的に有用ならしめることが重大な、かつ根本的な問題であるということは一般に考えられていることであろう。この見解には誤解がある。ニューメキシコでの実験に2年以上も先立って、シカゴの 冶金 やきん 研究所でべつの大きな実験〔1942年の世界初の原子炉(シカゴ・パイル1号)実験〕が行われた。この実験においては、一つのウラニウム原子の核分裂が、莫大な量のウラニウムとグラファイトのなかに起こされ、これによってつくられた中性子により、第二の原子核分裂が起こり、それが無限に継続していくような条件が整えられていた。その実験は、核分裂の速さと、エネルギー放出の速さを単純な制御によって広い範囲で規正することによって進めることができた。これは最初の持続的核分裂連鎖反応であった。
 
爾後 じご 、数多くの種々な工夫が考案され、つくりだされていったが、そのいずれも、エネルギーの多少の量を生み、すべてが制御された核連鎖を維持することにもとづいている。あるものは小さくあるものは巨大であり、それが生み出す力は大きなファクターによって異なる。しかしすべて原子爆弾開発計画〔マンハッタン計画〕の一部としてつくられ、共通した一つの特徴をもっている。すなわちそれらは高温度のエネルギーを発生することがないものだということである。
 
そのような装置単位で電力を起こすため、または加熱用ないし工業的使用のための蒸気をつくるに役立たしめるに十分な高温のエネルギーをつくりだすように働かせるという技術的問題は、非常に近い将来において、多くの方法で可能になると思われる。我々は核燃料の利用力に実際的な限界をまったく認めない。それゆえ我々は将来の世界経済・技術に、そのような力の源泉を広範に利用することを期待しえるのである。
 
一言注意しておくのが適切だと思う。すなわちこの種の単位は、いわば1000キロワットの作用を示し、10トンのラジウムからの放射に等しい放射を起こす。もし人々がそのような単位の周囲のどこかに存在しえるなら、この放射は相当の容積をもった防護物によって吸収されねばならない。ただこの理由によって、ーーすくなくとも我々の現在の知識を新しい考えが補うにいたるまではーー我々は自動車や飛行機が原子核単位によって走るようになるとは思わぬのである。
 
しかし、核エネルギー単位が、微細な量の燃料しか必要としないという事実は、核燃料が我々の経済上の現在の動力の使用を拡大するに適用されるようになると我々に考えせしめるのである。我々は、石油や石炭が燃料として見放されてしまうとは思わない。有用な発電所は、わずか二、三年後にはおそらくできるだろうけれども、生活経済へ新しい可能性を完全に適用するには、それ以上何年もかかる事柄であろう。
 
ほとんどの科学者たちが原子力時代の最大の利益の一つを見るのは、発電所をそれほど扱いにくくさせるところのそれらの放射と放射能とにおいてである。これらの放射は、生物学上、生化学上、医学上の研究領域に特別の希望をもたらすものであり、それらの領域で、病患の処置のためにも、基礎的な諸問題の 攻究 こうきゅう のためにも、莫大な力をもった道具を備えるにいたるであろう。
 
もちろん、時間と努力とはこれらの開発の内容たるべきものを示すことができる。物理学の領域にとってさえも、新しい可能性がもたらされよう。たとえば、中性子は原子核の構成要素であるが、その性質が研究できるように、自然において遊離して存在するのではない。中性子は、連鎖反応する組織の諸断片のあいだに非常に多数生ずるのであって、それらの十分見慣れぬ状態が非常によく調べられるのは、その連鎖反応する組織においてである。この研究の全範囲について、我々は水夫が氷山について知るよりもはるかにわずかにしか知らない。それはなお研究さるべきところである。
 
ニューメキシコでの爆破は、制御された動力源でもなく、研究の道具でもなく、それは兵器であったのだ。二、三週間もせぬうちに、1945年8月6日および9日の攻撃で、人間を的に用いられた武器となったのである。今日これは我々すべてのものの思想において、最も卓越したものーーそして最も正当に卓越したものであるところの原子力時代の様相である。原子力兵器が製造しえること、大量に製造されえること、安価に製造されえること、そして実際我々がニューメキシコにおいてテストしたところのものよりはるかに破壊的な力をもって製造されえるということは、疑うになんら確実な根拠ももたないと思われる。そのような武器に対する防御施設が、不意打ちによる攻撃に対して有効につくられえるということ、あるいは敵軍基地や敵軍の運搬機などの破壊によりもそのような武器に対する特殊な防御施設が、未来において開発されようという希望にも、なんら確実な根拠がないように思われる。私の考えでは、大戦争により分裂した世界において、これらの武器は、戦術的ないし人情的な理由のために、利用されずにおわるであろうと信ずることにはほとんど確実な根拠がないのである。
 
従来しばしば人々は、武器は戦争が消滅するほどに恐怖すべきものと見られるようになればよいと考えた。また、増大しつつある世界民衆の技術的、社会的独立を指摘して、また戦争の消滅すべきことを論じてきた。これらの主張がその実をあげずにきているという事実は、かれらが今日その実をあげようと努力しないでいることを意味しはしないのである。一層恐ろしい戦争を我々が行うであろうということを意味しはしないのである。この意味において歴史はすでに準備されてしまっているのではない。なんとなれば、世界は共通の危険を冒すまえに、法律において、共通の理解、共通のヒューマニティにおいて、統一されるべきであるということーーこのことは原子力時代における新しい事態であるからである。