POETRY

うつろなる人々

 T・S・エリオット

 深瀬基寛訳

Published in 1925|Archived in January 22nd, 2024

Image: Paul Klee, “Es Weint(It Is Crying)”, 1939.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

原文ママ。
エリオットがエピグラフに掲げた「クルツァさァーーはァ死んだだよ」(“Mistah Kurtz—he dead.”)は、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』(Heart of Darkness)から採られている(参照:野谷啓二「コンラッドの眼の下でーT.S.エリオットの見た闇の奧ー」。『コンラッド研究 第7巻』。2016年。1-23ページ)。

BIBLIOGRAPHY

著者:T・S・エリオット(1888 - 1965)訳者:深瀬基寛
題名:うつろなる人々原題:The Hollow Men
初出:1925年翻訳初出:1960年
出典:『エリオット全集』中央公論社1960年。139-148ページ)

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クルツァさァーーはァ死んだだよ

うつろなる人々 The Hollow Men

このガイの張りぼてにどうぞ一銭を

われらはうつろなる人間
われらは剥製の人間
藁つめた 木偶 でく 頭を
すりよせる ああ!
われらのひからびた声は
囁きあうも
声ひくくして意味なく
枯草のなかの風
またひからびた穴蔵に
くだけたガラスをわたる鼠の音

 

相貌なき形 色なき陰
麻痺せし力 動きなき身振

 

ひたむきにまなこ 張り
かなたなる死の王国にわたりし人よ
心あらばわれらを記憶したまえーー
激しき堕獄の魂としてならず
ただうつろなる人間
剥製の人間とのみ

死の夢幻の王国にありて
夢にわれその凝視を怖るる眼
この眼 現われず
かしこにてはその眼は
砕けし円柱にさす陽の光
かしこにてはひともとの樹ゆれいて
人声は
風の歌のなか
うすれゆく一顆の星よりも
なお遠くなお重い風の歌
 
死の夢幻の王国にありて
なおさらにわれを行かしむるなかれ
またことさらに
われを装わしめよ
鼠の衣 鴉の皮 十字なす杖もちて
野中に立ちて
風の身ぶりを振舞わしめよ
なおさらに行かしむるなかれーー
 
この薄明の王国にて
かの究極の出会いをわれは願わず

ここは どこ 死の国
ここは どこ  仙人掌 さぼてん の国
ここに 石の像
い竝び ここにもろもろの石像
一人の死者の手の 嘆願を受く
うすれゆく一顆の星のまたたく下に
 
かなたなる死の王国にても
それかくの如きか
ひとり 眼覚めて
接吻 くちづけ せんとせし唇の
砕けし石への祈りとなりて
哀憐 きわまり
われらの心うちふるう時

かの眼 ここになし
ここにかの眼あることなし
消えゆく星々のこの谷間のなかに
うつろなるこの谷間のなかに
われらがもろもろのほろびの王国の砕けたるこのおとかい ーー
 
いや果てのこの出会いの場所に
われらともどもに手まさぐり
ことさらに言葉を避けて
腫れあがりたるこの河の岸辺に群れるよ
 
盲人 めしい なり かの眼
再びあらわるるにあらざれば。
死の薄明の王国の
悠遠の星
八重の薔薇
これのみぞ
虚しき人々の望み。

ぼくらは サボテン かけまわる
サボテンさん サボテンさん
ぼくらは サボテン かけまわる
もう夜も明ける 五時なのに
観念と
実在とのあい間に
発動と
行為とのあい間に
影が落ちる

それ御国は主のものなればなり

 
  構想と
創造とのあい間に
情緒と
反応とのあい間に
影が落ちる

とてもいのちは長いもの

 
慾望と
痙攣とのあい間に
潜勢力と
実存とのあい間に
本質と
現象とのあい間に
影が落ちる

それ御国は主のものなればなり

 
それ主のものは
いのちは
それ主のものはその
 
これでこの世はお終いだ
これでこの世はお終いだ
これでこの世はお終いだ
バーンと終らぬ めそめそと。