CRITICISM

三つのデモクラシー

笠信太郎

 

Published in 1963|Archived in December 20th 2023

Image: Unknown, “Swiss Federal Parliamentary” from the Swiss Federal Assembly, 2006.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

原則として原文ママだが、原本で表記が混在していた「頗る」と「すこぶる」は後者に統一した。
傍点による強調は太字に統一した。
底本の行頭の一字下げ・三字下げは一字上げ・三字上げに変えた。

BIBLIOGRAPHY

著者:笠信太郎(1900 - 1967)
題名:三つのデモクラシー
初出:1963年(単行本は1950年刊行だが、本項で底本にした角川文庫版において、本稿は「附録」とされている。定かではないが、文庫収録時の増補か)
出典:『改訂新版 ものの見方について』(角川書店。1963年。194-200ページ)

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同じ言葉でデモクラシーといっても、いろいろの型があって、どうも一様ではないようだ。それも、古代ギリシャなどは問題の外におくとして、同じ時代で、国の境を接していても、それぞれ癖がちがう。
 

イギリス

 
やかましい詮索は専門家の仕事に任せて、ここでは素通りの旅行者の眼に映ったスケッチ・ブックを開いてみるだけだが、デモクラシーの家元がイギリスであることにはまず誰れも異存はあるまい。そのイギリスのデモクラシーの性格が「討論」だということは、これも多くの人が認めているところだ。「討論」というと、だいぶやかましく聞えるが、イギリス人やアメリカ人が、「一つその話は明日ゆっくりディスカスしましょう」というときのディスカッション(討論)ということは、あまり肩の張った討論ではなく、全く「話し合い」という意味である。だから、日本でよく「デモクラシーは討論である」というその討論も、そのほんとの性質は「話し合い」である。日本で近頃流行の「討論」をラジオや何かで聞いていると、それは文字通り「果し合い」であり、討ち合いである。相手の議論を真向から叩きつけ、相手の議論に勝つことが主眼で、ちょうど剣道か柔道の仕合のようなものである。学生対校討論会にいたると、全国高校野球戦と同様で、勝抜きで最後に優勝校というのが出てくる。これはただ勝てばよいというのであって、討論の結果として何か役に立つ結論を出してこようというのではない。そんなことは、とんと考えられていないようだ。しかしイギリスのディスカッションというのは、こういった討論のようなものではないようである。
 
イギリス下院の討議を見ていても、二間ほどの長さの机をへだてて、野党の弁士と大臣は向き合いになっていて、ひどく大声を張り上げなくとも、お互に話しかけるような調子でやれる。もっとも、イギリス紳士の悪いくせで、相手が話している間、アトリーでもクリップスでも、腕ぐみして足をのばし、靴は机のかどにどっかともたせかけて、靴裏を相手に見せている始末だが、これは男の癖でたいして無礼というのではないらしく、ただくつろいでいるといえるなら、大いにくつろいで聞いているということになろう。
 
労働者の集まりでも、学生の集合でも、お互に話をはじめると、すぐに誰れかが議長格になって、その話をまとめてゆく。話し合いだから、何か結論が出なくてはならぬ。その結論をまとめるために議長が出来るのであって、それが極めて自然にゆく。国民のあらゆる方面がこういうふうに、クラブでの話し合い式にやってゆく。こういう一つ一つが、いってみればデモクラシー政治の細胞であって、この細胞が積み重なっていって、一ばん大きな形になったものが議会で、それが国の政治をやはり話し合い形式で進めてゆく。

そこで私は、かりにこのイギリス人のゆきかたを「話し合うデモクラシー」といっておこう。

フランス

海をへだてたフランスはどうだろうか。ここでは、イギリスとはもうだいぶ行き方が違うようである。
 
現代市民社会の暁鐘を打ち出した大革命をもつフランスであるから、フランスこそ現代デモクラシーの家元であるべきはずであるが、このフランスの大革命に抗議した当時の「反動家」エドマンド・バークに代表されるイギリスが、いまはデモクラシーの本家顔をしているのは、一体どういうわけであるか。やかましくいえば、実は、イギリスの方がこの点でも古いのだといえようが、こみ入った歴史を抜きにして、フランス革命の情熱こそ、いまのフランスのデモクラシーをイギリスのそれと区別する標識といえるのではあるまいか。
 
大革命の後、一世紀半を越えて、世は第四共和国の時代となり、さらに第五共和国となって、そこにはもうフランス革命が主張しそして確立した共和制に反抗する何人もいそうにはないのに、フランスの政党には依然としてその名に「共和主義」を冠するものが多く、共和主義の敵がまだどこかフランスの隅に残ってでもいるかのように、敵を追いまわしているような趣きがある。大革命は遠い昔にすぎ去って、人はもうその頃から四代目にも五代目にもなるのに、いわばあの革命を罐詰にして、今だにフランスでは革命の罐詰を食っているようなところがある。
 
こんど解放後のフランスにあらわれた三大政党ーー共産党と社会党と人民共和党ーーとこれら三大政党が一九四七年の五月までつづけて来た連立内閣制の動きをすぐ隣の国から眺めていた私は、やはりその行き方にフランス革命の血が流れていると思った。連立内閣であるから、これらの政党の間には、野党と与党との間にあるような緊張はなさそうなはずであるが、実際はその反対であって、三つの大政党が内閣の中で果し合いをやっていたのである。そのうち共産党だけがとうとう内閣を飛び出してしまったが、そうなるとこんどは野党になった共産党と与党との対立となって、形式の上では二大政党対立の伝統的デモクラシーの形式には近くなったものの、実際はこの果し合いの気配がますます激烈になって来た。それは、どこから来るかというと、やはりフランス大革命の根にもあるドクトリン主義がその土台であって、三大政党はそれぞれはっきりした三つのドクトリン(教理)の上に立っている。あるいはそれぞれ三つのちがった世界観の上に立っているといってもよい。その奉ずる原理は、各々ちがった平面に足場をおいている。それぞれの平面はどこかで鋭角なり鈍角なりを描いて、いずれは互に交叉する。足場が全くちがうので、ほんとうの意味では妥協のしようがない。そして平面と平面の交叉は勢い衝突の形をとらざるを得ない。どちらかが負けるまでは、どちらも後には引かぬといった調子が、この自由の国フランスのデモクラシーの気分を覆うている。

その奥の奥を詮索することはここでは断念して、かりに私はこれを「果し合うデモクラシー」と名づけておく。

スイス

さて、フランスからユラ山脈を越えただけで、まったく違った天地がアルペンの要害に囲まれて、静かなデモクラシーを作っている。いうまでもなくスイスである。
 
この国も、デモクラシーではかなり古く、従って著名でもある。三つの郡を代表してやってき農民が出会って、今後仲よくやってゆこうという誓いから始まったという謂わゆるスイス盟約国で、その盟約は今日まですこぶる堅く守られていて、東ではドイツ語、西ではフランス語、南ではイタリー語やロマーニッシ、それにドイツ語系のスイス語を語る寄り合い世帯にもかかわらず、平穏無事な四民平等のデモクラシーを作っているのであるが、寄り合い世帯の誓約を基としたものであるだけに、一旦きめた約束はお互に固く守るのでなければ国は立ってゆけない。そこで、制度はすこぶるかたく固定しておって、なかなか動かそうとしない。それは、この国の政治を見でもわかる通りで、戦後各国で政党分野に大異変が起っているのに、この国の社会民主党はごくじりじりとしか伸びてゆかないし、共産党も戦時中の禁止から解放されたけれども、大して気勢はあがらない。いうまでもなくデモクラティックな議会制で運用されている制度ではあるが、その制度そのものはなかなか動かさぬ国である。その動かぬ国にどうして進歩というものがあることになるだろうか。
 
制度が動かぬとなれば、やはり不都合が出てくる。その不都合は、約束は約束でもやはり人間のことだからぶつぶつ言わせる。そういうわけで、スイスの人は、ぶつぶつ文句を並べることがすこぶる得意である。雨が降る。スイスの人は、「天が文句をいっている、天が reklamieren レクラミーレン している」という。しかし、この文句をいうことは、ただいつも不平を並べているというだけの意味ではない。もともと消極的な意味をもつこのレクラミーレン、英語でいえばコンプレーンを、積極的に使うことがスイス人の得意とするところである。すなわち「抗議」するのである。制度は固定している。だが、あなたはレクラミーレンしなければいかぬ! 抗議をなさらなければならぬ! 文句をいったらよい! こういうわけである。
 
そこで、私なども、ついにレクラミーレンすることを覚えてしまう。例えば私が東京と電話する。月末になって、四十五分間の通話で一千フラン也という勘定が届けられる。しかし電話は空中状態がわるく、話は思うようにはゆかなかったのである。初めの十五分は「もしもし」で終り、次の十五分間でやっと話が出来たが、最後の十五分間は最初の十五分をもう一度繰り返さねばならぬ状態であった。依って、この勘定書通りに支払えぬと思うから、もう一度通話のときの状態をコントロールされ度い、と私はレクラミーレンしたのである。すると数日の後に、電話局から手紙が来て「お申出により調査致しましたところ、過般東京とのお通話中は、当方においてコントロールを怠っていたため、東京よりの通告にもとづき料金を請求致しましたが、貴下の今回の申出が正当であると認め、料金は三百五十フランに訂正致します。今後も東京とのお通話が快適にゆくことを祈ります」と書いてある。
 
こういう次第で、若し制度の運用に少しでもおかしいと思うことがあったら、あなたはいつでも文句を言わなければいけない。その抗議によって、固定した制度の幅がほんのわずかではあるが変更される。そしてそういったことがつづくことによって、制度そのものが少しずつ変えられてゆく可能性が出てくる。いわば、ぶつぶついう文句が、あるいは文句をいう自由が、または抗議することの自由が、固定して動かぬものを、急激に変革することから起る危険を避けながら、少しずつ動かしてゆくというデモクラシーで、そこに漸進的ながらふだんの進歩が保証される。
 
これが山国に住む堅気のスイス人の行き方で、かりに私はこれを「文句をいうデモクラシー」という名前をつけておく。
 
そのほかの国のデモクラシーは、ここにはさておく。さて、それならば、わが日本のデモクラシーには、一体何という名をつけたらよいものであろうか。