HUMANITIES

デ・レ・メタリカ[序・第1巻・解説]

ゲオルグ・アグリコラ

三枝博音訳・解説

Published in 1556|Archived in April 7th, 2024

Image: “6th Transport Machinery”, from ‘De Re Metallica’, 1556.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

原則として原文ママ。
『デ・レ・メタリカ』本文のうち、とりいそぎ「序」と総論に当たる「第1巻」を収録した。
本稿については、三枝博音による解説も併せて参照されたい。
なお、①通念的に難読とは思われない漢字へのルビ②重複しているルビは割愛し、「もうけ」と「儲け」を「儲け」に、「<訳 注>」と「<訳注>」を「<訳注>」に用語・表記を統一し、脱字脱字(ex.「住民たもたちまち」→「住民たちもたちまち」、「時代なのである.」→「時代なのである。」、「仕事場みたようなもの」→「仕事場みたいなようなもの」、「金属をさしています.」→「金属をさしています。」、「方法を論じます.」→「方法を論じます。」、「きつぱりと」→「きっぱりと」、「すべて鉱山技術」→「すべての鉱山技術」、「」とくに良質な鉄鉱石……」→「「とくに良質な鉄鉱石……」)を直し、一箇所の旧字「晝」を新字「昼」に変えた。
「第2節 今日のアグリコラ研究(遺稿1)」内の「デ・レ・メタリカ」と「デ・レ・メターリカ」の表記の混在は、誤植と判断する論拠がなかったため、原文ママとした。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ゲオルグ・アグリコラ(1494 - 1555)訳者・解説:三枝博音
題名:デ・レ・メタリカ原題:「序」「第1巻」『デ・レ・メタリカー全訳とその研究  近世技術の集大成』
初出:1556年(1533〜1555年とも)
出典:『デ・レ・メタリカー全訳とその研究  近世技術の集大成』(岩崎学術出版。1968年。3-24、547-558ページ。キービジュアルは175ページより)

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叡聖文武 えいせいぶんぶ なるザクセン公,テューリンゲンの 方伯 ほうはく ,マイセン 辺彊伯 へんきょうはく ,ザクセンの宮中伯,アルデンブルグおよびマグテブルグの城主,ブレーナ代官,プライスナー国の領主神聖ローマ帝国の式部長にして選挙候なるモーリッツ殿下ならびに 御弟 おんおとうと アウグストゥス殿下に奉る。

ゲオルグ・アグリコラ
 

尊厳なる諸元主,私はしばしば鉱山業の全範囲を,かつてモデラトゥス・コルメラが(注1)農業の全範囲について企てたように,あたかもひとつの巨大な身体を観察し,身体の四肢関節などのようにそれぞれ個々の部分にわたって観察してみますたびに,はたしてその全体をとらえることができるか,ましてやそれを書物にすることが私の一生のうちにはたしてできるか,このことについて危惧いたしました。鉱業はどんなに多岐のものであるか,鉱山の人たちはその経営には,多くのかつ有意義な学問の中からどんなに重要な知識を必要といたしますかは,この書物が語ってくれるでありましょう。よしたとえ,鉱山業がどんなに広汎でありましょうとも,(私たちに知られていますギリシャ語およびラテン語の著述家たちからはゆきとどいたものとしては少しも取り扱われていないのであります)そしてまたそれを説明してみることが困難でありましょうとも,私たちはうち捨ておくことはできないと存じます。なぜかと申しますに,鉱山業はたいそう古いものであり,人間にとってぜひ必要であり,なくてはならぬものでございますから。鉱山業は産業経済のすべての部門のうちで,決して農業より古くはないかのように見えるでもありましょう。けれども鉱山業は事実農業よりは古く,少なくとも同じくらい古いのでございます。なぜかと申しますに,道具がありませんでしたら農耕はできなかったのでありますし,そうした道具は,その他の諸技術も同様でありますが,金属からつくられますか,それともまた金属の助けをかりないではつくられなかったのでございますから。かようにして,鉱業は人間たちにとってこの上なく必要なものでございます。人間がかような手細工仕事をなしですますことができますなら,ーーそして手細工仕事の数は実はたいそう大きいのでございますがーー道具なしになにものもつくられはいたしません。それに,大きな富が上品なやり方で得られますもののうちで,鉱業の技術よりもいっそう貴重なものはございません。もとよりよく耕作された畑からは(その他のことを除外いたしますれば)豊饒な実入りはございます。けれども鉱山業からはもっと豊かに収穫があがります。たった一つの坑穴でもたくさんの畑よりもずっとたくさんに利益をあたえてくれます。ですから,私たちは,ほとんどあらゆる世紀の歴史のなかから,多くの人びとが鉱山の仕事によって富有になったこと,多くの王侯の財産をふやしたこともこの仕事のおかげであったことを知るのでございます。ここではこれ以上は申しません。といいますのは,それらの点につきましては,この書物の1の巻で,または『旧い鉱山の仕事』(注2)(注3)という書名のほかの書物の同じく1の巻で述べましたから。またそこでは,鉱山の仕事や鉱山の人たちに対してあげられています非難を反駁することをもいたしておりますから。

 

私が鉱業とくらべました農業も,もちろんたいそう広汎のものでございますが,それにしてもほんとうには鉱業ほどの諸部門に分かれてはおりません。コルメラが農業の学問について取り扱っていますようにたやすくは鉱業の学問について述べることはできません。と申しますのは,コルメラには彼が見出すことのできましたかなり多くの農業関係の著述家を利用することができましたから。ギリシャ語のほうでいいますと,M・テレンティウス・ヴァッロ(注4)が数えあげましたのにしたがいますと,50幾人もの著述家がいます。ラテン語のほうでいいますと,これはコルメラ自身があげたのですが,それも10人以上はあります。ところが,私の仕事で教えをうけますのはカイウス・プリニウス・セクンドゥス(注5)だけであります。しかしこの人は鉱脈を掘ることや鉱山の仕事に手をつけることについて,それもわずかばかりそのやり方を述べているに過ぎません。だれか昔の著述家が鉱業全体について述べていてはくれまいか,というようなことは期待できません。たとえ無秩序にあれこれのことを書きつけた人たちがいるといたしましても,鉱業の個々の部分の一つについてすらも述べつくしたといったようなものはございません。またそういう人たちの数だってほんのわずかしかございません。すべてのギリシャ人のうちで,テオフラストス(注6)の後継者ランプサコス出のストラトン(注7)が鉱業上の諸器械について一書を著しただけです。もっとも詩人フィロンの書いた『坑夫』が坑夫のわざのほんの一部に触れているといったようなものはありもいたします。これに似た題名のある喜劇のなかへフェレクラテス(注8)鉱山で働いている奴隷や鉱山にいる流刑者をとり入れたように思えるものはございます。すでに述べましたように,ローマ人のうちではプリニウスが鉱山業者たちの活動のほんの一部だけをつたえました。次に昔の著述家たちのほかに,新しい著述家たちをあげねばなりますまい。と申しますのは,たとえその人の書いたものがたいしたものでございませんでも,その人の受くべき名誉を詐取するという当然のそし りはのがれませんから。私たちの国語では二つ書かれています。そのなかの一つは, 冶金 やきん の素材になるものと金属に関するものと(注9)でありますが,書き方はかなり混乱していまして,著者もわかっていません。もうひとつは鉱脈に関するものでありますが,鉱脈についてはパンドゥルフス・アングルス(注10)もラテン語で書いたということです。もっともしかしフライベルグの著名な医者カルベ(注11)にはドイツ語の著述がございます。しかし以上の二人とも彼らの著述目的を決して十分には果たしておりません。ところが最近に能弁家で博識のシエナ出のヴァノンキオ・ビリングッチオ(注12)が,学問語でないイタリア語で,『金属の溶解・分離・合金』という題目で論述いたしました。ある鉱石を溶解して不純物をとる方法を簡単に述べましたし,ある種の塩をつくる方法を従来よりもずっと明快に説明しました。その製塩法のほうを読みましたとき,私はイタリアでつくられていた塩のことを思いおこしました。私が本書で述べますその他のことについては,ビリングッチオはただほんの付けたしに述べたか,それともぜんぜん触れていないかでございます。この書物を贈ってくれました人は,ヴェネツィアの貴族で聡明なまたすばらしいお仁でございます。あのフランキスクス・バドアリウス(注13)です。この方は,フェルディナンド王のところヘヴェネツィア国民の公使として参っていられましたが,王といっしょに数年まえマリエングにいられましたとき,私に贈与の約束をしてくださいました。

 

さて,以上のほかに鉱山業についてだれかが著述をしたということは,私は存じておりません。かようなわけで,これらの側面からは,たとえストラトンの書物が現存いたしておりましても,鉱山技術の仕事の半分だって述べられていることはありませんでしょう。そうしましたところで,鉱業について書いた人たちの数があんなに少ないのでございますが,そうであればそうであるだけ,私に不可解に思えますのは,ある金属を他の金属に変える術をもっていたあの錬金術師たちがいたということでございます。高貴の方で教養の聞こえ高かったヘルモラウス・バルバルス(注14)は,たくさんの錬金師をあげています。私はもっとあげたいと存じますが,ここではとくべつ著名なものだけにとどめましょう。よりすぐったというところにとどめましょう。オスタネス(注15)は Χυμευτικά という著述をいたしました。ヘルメス,ハーネスもそうです。アレクサンドリアのゾシモスが彼の姉妹あてに書いたものがあります。さらにアレクサンドリア出のオリンピオードール,つぎにアガトデーモン,デモクリトス(もっともこれはアブデラのデモクリトスではございません,別なのでございます)オルス・クリソリキテス,ペビキウス,コメリウス,ヨハネス,アプレイウス,ペタシウス,ペラギウス,アフリカヌス,テオフィルス,シネシウス,ステファーヌスがヘラクレウス・カエサルにあてて書いたもの,ヘリオドロスからテオドシウスにあてたものその他ゲベルス,カリデス・ラカイディブス,ヴェラディアーヌス,ロディアーヌス,カニデス,メルリヌス,ライムンデゥス・ルルス,アルナルドゥス・ヴィッロノヴァヌス,ヴェネツィアのアウグスティヌス・パンテウス,といったぐあいでございます。さらに三人の女性,クレオパトラ,タフヌーティア嬢,ユダヤ婦人のマリアもあげることができます。そして,これらの錬金術師はみな洗練されてないことば〔つまり散文〕で書いております。もっともアリミヌウムのアウシリウス・アウグレッルスだけは詩で書いております。その他にも錬金術についての書物はたくさんございます。けれども,みながみなわけのわからぬものでございます。なぜかと申しますと,それらの著述家たちは,まるでものごとを指すのにそれ本来の呼び方をもってしませんで,金属に無関係な呼び方でいたします。同じ事物をある人たちは こう ,, ,他の人たちは ああ ,, といったふうでございます。あの先生たちは弟子らに次のような教え方をいたします。まずつまらない金属をさまざまな溶解方法で破壊しておき,つぎにそれを何とかして原の物質に還す方法,さらにそれらの金属のなかにあるいらざるものを取りつけ,欠けているものをそこに入れ込み,こうしてそこから貴重なものたる金銀をつくり出す,つまり精錬において砕いても溶かしても変わらないもの(注16)をつくり出すという術,これらの方術を授けるのでございます。彼らが実際にそれができるかどうかについては,私は決定いたすことができません。あのようにたくさんな著述家たちが成功すると申して,懸命になって私たちに確信させようとしていますのですから,これは彼らのいうことに信頼をおかざるを得ないということになるように思えるのでございます。しかしです,私たちが読んで知りました範囲でも,だれひとりあんな方術によって金持ちになっていないのですし,そしてまた,私たちが自分で実見しましたところでも,いたるところあんなにたくさんな錬金術師が過去にいましたし,また現にいまして,彼らの力と根のあるかぎりを昼夜となくつかい,山なす金銀を生み出そうといたしておるのであります。それなのに,人がそれで金持ちになったということをついぞ見ないのでございますから,けっきょくおおいに疑ってよいものだと申せましょう。こうなりますと,方術でもってたくさん金をもうけた先生たちの名まえを著述家たちが記録にとどめなかったという怠慢に帰すべきだということになるかもしれません。たとえそういたしましても,次のことはなんとしても確実でございます。すなわち,弟子たちは先生の指図がわからなかったか,それともまた,わかっても実行することができなかったということ。でも,もし弟子たちが実行しましたら錬金術師はあんなにたくさんおりましたのですし,現在もいるのですから,彼らはもうとくに街々を金や銀でいっぱいにしているというものでございましょう。彼らの書きました書物,これにはプラトンやアリストテレスその他の哲学者たちの名まえがのせてありまして,質朴な人たちに対しては 麗々 れいれい しい表題が博学の見せかけのきき目を奏しているようにしてあるのですが,これがだいいち彼らの空虚さを露呈しているのでございます。なおこのほかに錬金術師の第2のグループがございます。この人たちは,つまらぬ金属の実質を変えたりなぞいたしませんで,それらを金や銀の色でもって着色いたしまして,新しい装いをさせ,ほんらいのものとはちがって見えるようにいたします。こうした外観が,あたかも他人の着物でも脱がせるように,それらの金属からとり去られますと,それらはもとの 自性 じしょう の外観にもどります。これらの錬金術師は人を欺くのですから,もちろん憎まれるだけでなく彼らの詐欺は極刑でもってむくいられます。錬金術師の第3のグループも同様に狡猾な詐欺をいたします。この人たちは予め炭(注17)のうちに金か銀かをしのばせ,これを 坩堝 るつぼ のなかに投入します。こうしてあしらいものを混入しますと,それがある新しい物を不思議にもつくり出す力をもっていて,これで 雄黄 おうゆう (砒鉱石)(注18)から金を,あるいはすず もしくはこれに類する金属から銀を,生み出せるのだというぐあいに見せかけます。まあこれが方術というものでございますなら,錬金術なるものについては私は他の場所でもっと申したいと存じます。

 

さて私は鉱山業にもどります。いかなる著述家たちも,まだ鉱山業について端折ることをしないで完全に述べることをしておりませんし,また他国人たちには私たちの国語がわかりませぬし,たとえわかりましても,上述のような著述家たちからは技術のほんの一部しか教わることができない有様ですから,私は鉱山業についてのこの12巻の書物デ・レ・メタリカをここに書きましたしだいです。1の巻には,その技術に対しまた鉱山について鉱山の人たち(注19)に対して反対者たちから出てきますかぎりの事柄が含まれております。2の巻では,鉱山業者(注20)はどうあるべきかについて知らせ,さらに鉱脈(注21)の発見の説明へと移っております。3の巻では,同じく鉱脈および亀裂(注22)とさらに鉱脈つぎ目(注23)を述べております。4の巻では鉱脈の走りのあり方(注24)を分析し,さらに鉱山の人たちの役目を述べ,5の巻では鉱脈を掘ることおよび測量の術(注25)を示します。6の巻では鉱業の道具と機械(注26)を記します。7の巻では鉱石を試験することを取り扱います。8の巻ではどういうように鉱石は 焙焼 ばいしょう され,砕かれ,洗鉱され, 煆焼 かしょう されるかについてわからせます。9の巻では鉱石の熔融の技術を分析します。10の巻ではどうして銀は金から,鉛は金と銀から分けられるかについて熱心に知りたがっている鉱業者たちに教えます。11の巻では銀はどうして銅から分けられるかとのやり方を示します。12の巻では,塩, 曹達 ソーダ 明礬 みょうばん 礬油 ばんゆ ,硫黄, 瀝青 れきせい および 硝子 ガラス はどうしてつくられるか,その要項を示します。

 

私が企てました課題,これは何にせよ事物が広汎にわたりますので十分には成し遂げ得なかったのでございますが,とにかく解いてみることを試みました。私はこの課題のために多くの労苦と努力とを払いましたし,出費をもいといませんでした。と申しますのは,鉱脈,道具,器物(注27),流しどい (注28),機械,炉(注29),などについて記述しまのみならず,すぐ形が浮かんでくるようにと思って,図の書ける人を雇いました。ことばでもって記されていますいろいろの事物のうちには,今日の人にも将来の人にも知れていないようなものが多うございますので,それらがわからずじまいにならないようにと思ってでございます。上にあげましたような品々の物は,その時代その時代ではだれにでも知れていましたから,昔の人たちは説明ぬきでつたえてくれたようなことばを少なからず背負っておるのでございます。

 

かようにいたしまして,私は私が見なかったもの,もしくは信ずべき人びとからじっさいに聞かなかったものは,すべて叙述から除きました。ですから,私が見なかった読まなかった,また聞かなかった,さらに試さなかったものは,いっさい書きこんでおりません。ただし,私がぜひそうあるべきだと規定いたした場合も,またはそうあるのが普通だと報告いたした場合も,さらにまたそうだったがそれはよくないと非難しました場合でも,私が教えてあげたいという点ではこれらのどのひとつも別に変わりはないのであります。いったい鉱業の学問と申しますものは叙述の優雅さには欠けておりますが,私のこの書物もそのことを免れません。少なくとも私たちの学問が取り扱わねばなりません事物は,正規のいい表わしをしばしば欠いております。といいますのは,一つにはそれらの事物は新しいからですし,またもう一つには,たとえば旧くからのがありましても,昔それらがもっていました名まえを思いおこすことができなくなっているからでございます。それで,私は,これは大目に見てもらえるかと存じますが,いくつかの概念はやむなく多くのことばの複合で呼び,また他のいくつかの概念はやむなく多くのことばの複合で呼び,また他のいくつかの概念は新しいことばですましたしだいでございます。後者の例は,打ち手,砕き手〔分け手〕,とか し手,とか し手などでございます(注30)。若干の物は旧くからあることばで呼びました。たとえば,手押車(注31)でございます。もっとも,しかしノニウス・マルツェッルスは,これは二輪つきの運搬車(注32)だと書いていますことを承認しない方がありましたら,適当なのを申し出てくださるか,それとも古人の文献に用いられているものをもち出してくださるかしてもらいたく存じます。

 

諸元主さま,かようにいたしましたところで,この書物は多くの理由からあなたがたのお名まえのもとで公刊されるのでございます。なによりも鉱山業はあなたがたにとって有用であるからでございます。と申しますのは,たとい諸元主さまの御元祖がすばらしく,そして豊富な鉱山地方でたくさんな収益をおあげになったことがございましょうとも,またことに外国人たちの通行税で,あるいは内国人の10分の1税のごとき租税から同様収益がおありであったでございましょうとも,なんといたしましても鉱山業から御先祖はまことに仰山な収益をおあげになりました。少なからざる立派な街々ができましたのも,鉱山業のためでございます。フライベルグ,アンナベルグ,マリエンベルグ,ガイエル,アルテンベルグ,その他は略しますが,みなそうでございます。私の考えますところでは,じつに御元主さまの国ぐにの山岳地方には地下に巨大の富が埋蔵されているのでございます。それは地上にあって眼に見えているようなものの比ではございません。

 

御健勝を祈ります。
 1550年12月1日

ヘルムンドゥーレンランド(注33)のケムニッツにて
 

<訳注>
(注1)Lucius Junius Moderatus Columella. 1世紀の中頃。農業論の De re rustica で知られている。
(注2)Georg Agricora: De veteribus et novis metallis II. Froben Basiliae MDXLVI.
(注3)ラテン語の metallum はまず金属をさす。しかしまた,金銀その他土中から掘り出されるもの,大理石のようなものまでさすこともある。さらに,鉱山をさすこともある。metallicus は金属に関するもの,鉱物に関するものをさす。さらに,鉱山業者,坑夫をさすこともある。この書名では,広い意味の「鉱山」としておいた。
(注4)M. Terentius Varro. 前116 - 27年。Dererustica(農業論)で知られている。
(注5)Caius Plinius Secundus. 23 - 79年。何よりも Naturalis Historia(博物誌)で知られている。ナチュラリス・ヒストリアは37巻の6冊。そのなかの33,34巻その他で鉱物や鉱山のことを述べている。
(注6)Theophrastus. アリストテレスの学友でかつその弟子,前372 - 288年。学問は広博だが,自然誌系統でいえば De causis plantorum(植物原因論),Histori aplantorum(植物誌)がある。鉱物学のほうでは石についての研究がある。
(注7)Strato. ギリシャの地理学者。前3世紀の後半のころ。自然哲学者。アグリコラのいう一書『鉱業上の諸器械について』(これについてはフーヴァー訳序文では De machinis metallicis としているが,原書(1561年)では De materiae metallicae et metallorum experimento となっている。現存しない。
(注8)Pherecrates. 前5世紀の頃。喜劇作家。
(注9)ラテン語では,De experimento materiae metallicae et metallorum.
(注10)Pandulfus Anglus. 15,6世紀の著作家によってとりあげられているが,その著書も詳しくは不明。
(注11)1523年ライプチッヒ生まれの医者,市長で鉱山業の著書,Urlich Rühlein von Kalbe.フライブルグで鉱業に対する最初のドイツ語の本を著した。書名は『鉱業袖珍』(“Bergbüichlein")初版は1505年にアウスブルグで出たといわれ,のちには,著者名なしで,再版された。詳細はEダルムシュテッテルの“Berg-, Probier und Kunstbüchlein(München 1926, S. 110)を参照。
(注12)ここはあげてある彼の著書の題名は,Dela Pirotechnia で,1540年にヴェネツィアで出た。Dr. Otto Johannsen のドイツ語版(Braunschweig 1925)に詳しい。
(注13)Franciscus Badoarius.
(注14)Hermolaus Barbarus. 明確には知られてないが,1450 - 1493年。パドゥアの大学の哲学の教師であり,医学および自然哲学の著述があったといわれている。
(注15)Osthanes. 以下ここにアグリコラがあげている錬金術関係の人びとは確実のことはわからない。オスタネスはエジプト人であったろうともいわれ,ゾロアスター教の教師であったろうともいわれている。フーヴァーの英訳注ではかなりせんさくしているが,その成果は少ない。
(注16)フーヴァーは「これらいっさいの方法を彼らはひとつの坩堝のなかでやってみせる」というように読んでいる。原文は quae in catillis aut catinis perdurent. Perduro を ausdauern というようによむ独訳のほうがあたっていよう。
(注17)Kohlenstück(独),英訳では Coal に原文では Corbo となっている。
(注18)原文では auripigmentum. 独訳では,Auripigment(Arsenikerz),英訳では Oriment(注19)原文(ラテン語)では contra hanc artem et metalla atque metallicos,uel ab eisdem dici possunt.(その技術および鉱山の仕事および鉱山の人たちに対して反対してまたはそれらについて好意をもっていわれ得ることというようになっている。ここは独訳のとおりにしておいてある。「鉱山」,「鉱山の人たち」は,metallum と melallicus の複数のかたちをそれぞれそう読んだのであるが,独訳では Bergwerke und Bergleute となっている。しかし英訳は metals and mines にしている。metallum は金属のことをもさし,鉱山のことをもさすからである。
(注20)「鉱山業者」は der Bergmann の訳だが,原文は metallicus である。
(注21)鉱脈は venu(ラ),Gang(独),vein(英)。
(注22)亀裂はfibra(ラ),Kluft(独),stringer(英)。
(注23)つぎ目は commissura(ラ),Verwerfung(独),seem in the rocks(英)。
(注24)この語は鉱脈の傾斜や走りをいうつもり。
(注25)測量師の術は arsmensoris(ラ),di eKunst des Markscheidens(独)。
(注26)道具と機械は instrumenta et machinas(ラ),ei eWerkzeuge und Maschienen(独)。
(注27)器物は vasa(ラ),Gefäsze(独)vessels(英)。
(注28)流し樋は conoles(ラ),Gerinne(独)sluices(英)。
(注29)炉は fornaces(ラ),Öfen(独),furnaces(英)。
(注30)ラテン語では,ingestor,discretor,lotor,excoctor.
(注31)手押車は cisium(ラ),Laufkarren(独)。
(注32)ラテン語では cisium.
(注33)こう呼ぶことは,P .Knauth の Orsrnamenkunde des östlichen Erzgebirges,Freiberg(a)192-751頁を参照。人文主義者たちはヘルムンドゥーレン人をエルベ河の両岸に住んでいるゲルマン民族として知っていた。それはローマの文献(ヴエッレイウス・パテルクルス,大プリニウス,タキトゥス)およびギリシャの文献(ストラボー,ディォ・カッシウス)によったのであるが,ヘルムンドウーレンランドというとチューリンゲン方伯の領地およびマイセン辺彊伯の領地の境界範囲と理解していた。

1の巻

多くの人は, 鉱山 かねぼり の仕事は何かゆきあたりばったりのもので,汚ない仕事であり,技術も学問も,また肉体的な骨折りもいらない仕事だと考えている。しかし,採鉱の部門部門をこまかに思いめぐらしてみると,決してそうではない,と私は思う。なぜなら, 鉱山師 やまし はその技術について最大の経験を持っていなければならない。まず,どの山または丘を掘り,谷間や野原のどこを掘ればうまくいくか,あるいはいかないかを心得ていなければならない。次に鉱脈,亀裂,断層がわからなければならない。あるいはまたいろいろと錯雑した土質を知り,溶解物,宝石類,普通の 砂礫 されき ,大理石,岩石,金属,その混合物などの種類に通じ,さらにそれぞれの採掘が地中でどのように行なわれなければならないか,その方式にも通暁していなければならない。最後にあらゆる素材を試験してこれを溶鉱できるようにするその技術を知っていなければならない。この技術だけでもなかなか複雑である。なぜなら,金と銀でこの操作は異なっており,銅,水銀,鉄,鉛類それぞれ異なった操作を必要とする。しかもこの鉛類が,錫, 蒼鉛 そうえん (注1),鉛でそれぞれまた異なった方式がいるのである。
 
また希薄な溶液を煮沸して凝固させる技術は,採鉱法とは切り離して考えねばならぬように思われるかもしれないが,やはりそうはいかない。なぜなら,同じ溶液が地中では凝固した形でも掘り出されるし,あるいは鉱夫の掘り出すある種の土質や岩石から製出され,しかもこのうちのあるものは金属を含有しているからである。さらにこの製出がまた決して簡単ではない。塩の製出,曹達の製出,明礬,礬油,硫黄, 地蠟 ちろう とそれぞれ製出法が違っている
 
このほかになお鉱山師は多くの技術や学問に無学であってはならない。まず,埋蔵物の起源,原因,性質を知るために,哲学が必要である。なぜならそれらがわかれば,より容易に,より楽に採鉱事業にあたることができるし,採掘された鉱石をよりよく利用することができるからである。二番めには医学である。医学の心得があれば,鉱夫その他の鉱山労働者が病気にかからないように世話することができる。鉱夫たちはとくに病気になりやすいものである。またもし,いよいよかかったときは,自分で直してやるなり,医者にかけるように世話してやることができる。三番めには方位を知ってそれに従って鉱脈のひろがりを判断することができるために,天文学がいる。四番めには測量の学問である。一面では採掘のため掘り進まれた横坑に達するにどれぐらい縦坑を掘らねばならぬかをそれで測量できるし,他面それぞれの坑道をとくに地中深い個所で一定の長さにきめることができる。次に鉱山師はまた算数の術を心得ていなければならない。でないと鉱夫の使う道具類やその働きに要する費用を計算することができない。さらに種々さまざまな装置や基礎工事を自分で造築し,あるいは少なくともどういうふうに造築したらいいか,そのやり方を他の者に教えてやることができるために建築術が必要である。次にまた図学に通じていなければ,いっさいの工具の図面を引くことができない。最後にまた法律,とくに鉱山法に通じていなければならない。それに通じていれば,一方で他人の権利を犯すこともないわけだし,他方自分のために不当を要求することもない,そして他人のために法律問題を裁いてやる役目もつとまることになるのである。
 
だから鉱山関係のある仕事または学問に興味をいだく人は,私たちの本をあれこれと熱心にこまかな注意をはらって読むか,あるいは経験の積んだ鉱山師にひとつひとつの事がらを相談することが必要である。しかし鉱山の技術の全体に 通暁 つうぎょう した人は捜してもめったに見あたらないであろう。つまりたいていの場合が,ある人は採掘に長じており,他の人は洗鉱の知識を心得ている。ある人は製錬の術に得意であり,他の人は測定(鉱区測量)の秘密に通じている。また他の人は精巧な工具を製作し,さらに他の人は鉱山法に通暁しているというぐあいである。さて私の本は鉱山を開いてこれを仕上げる学問を,ここで完全に取り扱ったとはいえないかもしれないが,およそ鉱山に興味をもち愛着を覚える人ならだれにも私たちのいうことが,必ずいろいろと参考になるだろうと思う。ともかくこれから私たちの計画の実行にとりかかることにする。
 
人びとの間にはいつも鉱山業について非常に大きな意見の相違があった。つまりある人びとは鉱山業に高い賛辞を送り,他の人びとはこれをはげしく非難したのである。だから鉱山学を再述する前に,事がら自体を細心に考慮して,事の真相を明らかにするほうがいいと思われたのである。
 
さて私は利益の問題のほうから出発したい。利益の問題は両面ある。つまり鉱山学はその研究に従事する人びとにとって有益であるかどうかの問題と,鉱山学がその他の人びとに役に立つかどうかの問題である。鉱山学はこれに精魂を打ち込む人びとに何の利益にもならないという見解の人びとがとくに主張するところは,鉱石を採掘しあるいはこれに類する事業に従事する人びとのうちそれで儲けるものはほとんど百人に一人もないという点である。鉱山師たちはその安定し基礎のしっかりした全財産を,いかがわしい不安定な 僥倖 ぎょうこう に賭けるため,多くはその希望を裏切られ,経費と損失に無一文となって,ついには極端にみじめな苦難の生活をおくるようになるというのである。しかしこの人びとは学問があって経験も積んだ鉱山師が,なんにもわからぬ未経験の人とどれぐらい違っているかを,知らないのだ。無知な者はなんの選択も区別もなく鉱脈を掘る。経験者はそれに反してまず検討し試験する。そしてその鉱脈が狭すぎて堅すぎたりあるいは柔らかすぎて鉱石を含んでいないことがわかると,この鉱脈は採掘しても利益は上がらぬことが推定されるのである。だから経験者は粒よりの山だけしか掘らない。したがって鉱山に無知の人が損害をこうむり,経験の積んだ人が採鉱から大儲けをするのに,なんの不思議があろう。同じことが農夫についても起こる。なぜなら,乾燥していて堅く,やせた土地を耕してこれに種子をおろす者は, 肥沃 ひよく なやわらかな地味だけを耕して種子をまく人ほどの十分な収穫は決してあげないのである。ところが鉱山師たちの中には経験を積んだ者よりもこの技術に無経験な者のほうがはるかに多いところから,鉱山がごく少数の人だけの利益になり,多くの人には害を及ぼす結果になるのである。大多数の普通の鉱山師がしばしばさんざん骨を折って一文にもならないのは,鉱脈についてまるで正しい知識を持たないからである。たいていの場合鉱山業にとび込んでくる有象無象は,借金で首が回らなくなって商売を投げた人とか,仕事の目先を変えるために鎌と鋤を捨てた人たちである。したがって,もしこんな人たちが豊富な鉱脈あるいはその他の埋蔵物にぶつかるようなことがあっても,それは正しい考慮と経験に基づいたというよりむしろ僥倖によったのである。
 
しかし,鉱山が多数の人を富をもって祝福したということを私たちは歴史を見て知っている。なぜなら昔の学者たちの書いたものを読むと,多数の 殷盛 いんせい をきわめた国家,多くの国王多くの私人が,金属およびその製品のおかげで金持ちになったことが明らかなのである。私は私の著作の最初の本,『古い鉱山と新しい鉱山について』(注2)のなかでこのことをはっきりしたすてきな実例をあげて詳論し説明しておいた。あのなかの実例を見れば,鉱山というものが,これに従事する者に最大の利益をもたらすことが明らかになる。
 
次に鉱山の同じ非難者たちは,鉱山の収益というものは決して安定していないと主張して,農耕を極度にほめる。どういう論拠でそんなことがいわれるのか,私には理解できない。現にフライブルクの銀鉱などはすでにおよそ400年も無尽蔵に続いているではないか。ゴスラルの鉛鉱に至ってはおよそ600年に近い。これらの山の歴史を示すいろいろな記念物を見れば明らかである。さらにシェムニッツとクレムニッツにおいては,金銀共同の鉱山がすでに800年近く続いている。土地の人たちのもっとも古い免許状がそれを物語っている。ところが非難者は個々の鉱坑の収益が固定していないと主張する。まるで一人の鉱山師は一つの鉱坑だけにしばられている,あるいは一つだけ許されているかのような,そして多数の鉱山師が共同に一つの鉱山に投資することはないかのような口ぶりである。またおよそ鉱山師はその道の達人なら,最初の山の鉱脈が思わしくない場合は,次の鉱坑に取りかかるものだが,それもないかのようないい方だ。しかもフライブルクのシェーンベルク鉱山の採鉱は人の一生をはるかにしのぐ長期にわたって不変の状態を続けてきた。といって私は農耕の価値を低く見ようなどという気はない。農耕にくらべれば鉱山の収益が安定度が少ないということは喜んで認めるばかりでなく,いつも認めていることだ。というのは鉱脈はやがていつかは枯渇するが,畑は普通の場合どこまでも農産物を実らせるのである。けれども鉱山師たちの収益は不安定なだけ,それだけばくだいである。だから算盤をはじいてみれば,不安定の欠点が富によって償われていることがわかる。なぜなら一つの鉛鉱の年収益を一等地の畑の収穫とくらべると,3倍かあるいは少なくとも2倍にはなる。いわんや銀鉱,金鉱の収益においておやである。それゆえクセノフォンがアテネの銀鉱についていみじくも巧みにいった。種子をまけば何の実りもつけない国土がある,しかしこの地を試掘すると農耕によるよりははるかに多数の人びとの糊口をみたすことができる。だから農夫は豊穣な田畑を手元に残し,肥沃な丘陵を農産のために耕やすがよい。鉱山師たちのためには,しかし暗い谷間,不毛の山地を与えよ。さすれば鉱山師はそこを掘って,農産物だけでなく,およそ売買されるいっさいの事物の値の尺度になる,宝石や金銀を取り出すのだと。
 
さらに反対者たちは説き続ける。鉱山に従事することは危険だ,鉱夫たちはあるいは呼吸とともに吸い込む鉱坑の毒気にあてられて命を縮め,あるいは吸い込んだ塵芥が肺臓を化膿させる結果,労咳になってだんだん死んでしまい,あるいは山の崩壊に押しつぶされて非業の最後を遂げ,あるいは坑の出入り梯子から縦坑深く墜落して足,腕,首などを折ってしまう。経済上の利益をいかに高く評価するにしても,そのために人間の幸福と生命とが極度におびやかされるようなことは許されないと。これらの事がらはきわめて重大で,恐怖と危険にみちている,それはむろん私も認める。そこで私はこう判決をくださなければならない。これらのことを避けようとするなら,鉱山経営はやってはならぬと。ただしこれは鉱夫たちが人一倍この危険に陥るということ,あるいは鉱夫たちはこれらを予防することがどんな方法によってもできないということを前提としている。つまり金属類はまったく別として,世の中のすべての財宝を手に入れようとする努力でさえ,生命本能にくらべれば弱いのが当然ではなかろうか。もちろんそのような事情のもとに命をおとす人の場合は,「手に入れる」ということはもういえないわけで,「遺産として残す」ということにすぎない。しかしそんな場合はめったに起こらないし,それも不注意な鉱夫たちだけに起こることなので,起こってもそのため鉱山師たちが鉱山を捨ててしまうことはない。それはちょうど,大工の一人が不注意のため高い建物の上から墜落して命を失っても,それを恐れて大工がその職業をやめないのと同様である。
 
以上が,鉱山業はこれに従事している人にとって無益だ,なぜなら鉱山師たちが不安定な事業に投資するからであり,とくにはまた鉱山業自体が動揺する有害なものだからだと声を大にして叫ぶ人びとの非難に対する私の答えである。さて次の人びとへ移る。この人びとは鉱山業は鉱山に関係しない他の人間にとってもなんの役にもたたない,なぜなら,地中から掘り出される金属と宝石と岩石類はもちろんその人たちにとって無用の長物だからだと主張する。そしてこの主張を一面ではいろいろの証明や実例で証拠だてようとし,他面,悪口,雑言して私たちに認めさせようとする。持ち出される証明は,まずこんな調子である。大地はかくさない。人類に有益で必要な事物も人の目からかくそうとはしない。恵み深いやさしい母親のように大地は惜しげもなく出し与える。そして薬草や莢豆類や穀物や果物を眼の前に明るみに出す。これに反して大地は掘り出さなければならぬようなものは地の底深く押し込んでおいた。だからそんなものをほじくり出すのはいけないことだ。なのに鉄器時代が呼び起こす悪い人間どもがそれを掘り出すので,それでオヴィディウス(注3)がいみじくもその厚顔を次のような詩句に託して 叫咤 きょうだ したのだ。
 
「この肥沃な山野から奪い取られたものは,収穫と正当な食料だけではなかった。大地
の底深くまで侵入された。
大地が心を配ってかくしておき,三途の川波に差し寄せておいた,
あらゆる罪の誘因となるあの宝が掘られた。
たちまち有害な鉄が,
鉄よりも罪深い金が,掘り出され,
そして戦争が勃発した。」
 
この人たちの二番めの論証はこうである。金属は人間になんらためになる実益をあたえない。だから金属を捜し求めてはいけない。すべての人間は魂と肉体とからできているものであるが,この二つのうちのどちらも地中から掘り出されたものを必要としない。なぜなら,魂のもっとも甘美な養分になるものは自然の観照であり,最上の芸術や学問の知識であり,徳の認識である(注4)。魂はこれらの最上の事物の訓練を受けて,立派な認識の料理に満ち足りると,それ以外の何も別にほしがらない。さて肉体の性質であるが,すでに必要な衣食を得て,満足している肉体には,地上の果実と種々な種類の動物がすばらしくかつ十分な飲食物を与えてくれる。それらがあれば肉体は栄養十分であり,どんどん成長してなが生きする。しかも床と毛とたくさんの動物の毛皮は,柔らかで簡単に手にはいり決して高くなく衣服を提供してくれる。それに繊美で取り扱いの軽い衣は,セリクムと呼ばれる木の綿毛の紡ぎものおよび蚕の糸の紡ぎものからできているのである。だから肉体には,地中に深く埋蔵されていてその大部分は高価な金属などまったく不必要である。それゆえーーとこの主張は続く。学問のある人びとの仲間ではどこへ行ってもあのエウリピデスのことばが是認されている。ソクラテスがそれをいつも口にしたというのももっともである。
 
「銀色と真紅の色の宝は人間の生活には役に立たぬ,むしろ悲劇役者に役に立つ。」
 
非難者たちはまたロードス島のティモクレオンの次のことばをたたえる。
 
「盲目のプルトス神(富の神)よ,海にも陸にも姿を見せるな。お前は黄泉の国アケロンの流れに住め。なぜなら人間に降りかかるいっさいの災いの源はお前にあるのだから。」
 
またフォキュリデスの次の詩句をほめる。
 
「金と銀とは人間を損なう。
金は犯罪と滅亡へ誘い,人命を破壊する。おお,おまえが(それがおまえの本性だが)人を喜ばす天罰でなければどんなによかったろう。
おまえゆえに強盗,殺人,戦争がおこる。
兄弟垣にせめ ぎ,子と親と血で血を洗う。」
 
そのほかナウマヒウスのことばが彼らには喜ばれる
 
「銀と金とは,
海辺の砂浜で見つけられた砂だ。
川べりに散らばる小石だ。」
 
それと反対に,次のようなエウリピデスの詩句は非難される。
 
「プルトスこそ賢者のための神だ。
その他のものはいっさい茶番だ,うつろな 法螺 ほら だ。」
 
またテオグニスの次の句も同様である。
 
「プルトス,最善最平和の神よ,あなたを護持する限り,
私は善だ,悪意を抱く時さえも。」
 
スパルタ人アリストデモスは非難される。というのは,「お金が男をつくる,貧しい者は立派でもなければ尊敬も受けない」といったからである。次のようなティモクレスのことばも責められる。
 
「銀こそは人間の生命と血だ。銀をため集めて持っていぬ者は生きた人間の間を死人同様にうろつき迷う。」
 
最後にメナンドロスが,次のように書いたというので弾劾される。
 
「エピカルモスは水,風,火,土,太陽,星を神としてたたえる。しかし私は利益のある神は私たちの金銀だと思う。なぜなら金銀を山と積みさえすれば,欲しいと思うもの何でもこい求めるがいい,簡単に与えられるだろうから。畑でも,家でも,奴隷でも,銀器でも,友だちでも,裁判官でも,証人でも。精々うんとお金を出せ。そうすれば神もお前の召使いになるのだから。」
 
その他に非難者たちは次のような証明材料を強調する。金掘りのために田畑が荒廃する。だからかつてイタリアでは,鉱石のためになにびとといえども地を掘るべからず,極度に肥沃な山野,葡萄園,果樹園を損なうべからずとの禁令が出た例がある。森林やもり が切り倒される。鉱石を溶かすための建物や施設に無数の木材がいるのである。ところが森林や杜の乱伐によって,人間にすてきな美味としてたくさん役にたっていた鳥やその他の動物が根こそぎにされる。鉱石が洗鉱される。ところがこの洗鉱によって,小川や河が毒水になり,魚類が住まなくなるか,あるいは絶滅されてしまう。以上のようにその土地の住民は田畑の荒廃,森林,杜,小川,大河の損耗によって,生活に必要な事物をどうして手に入れたらいいか,すっかり困窮してしまうから,また住民は木材不足のため家を建てるのにこれまでより巨額のお金を支払わねばならないから,だから金掘りはその結果得られる金属がもたらす利益よりも害を生ずることのほうが大きいことがだれの目にも明らかである。
 
それからこの人たちは実例をあげて鋭くつめより,声を大きくして鉱山業を責め,まさに最もすぐれた人びとこそ,その修養し得た道徳に満足して鉱山などには手を出さなかったではないか,と主張する。そして僥倖をもてあそぶことはわが取るところにあらずとしたビアスをたたえる。外敵がビアスの故郷の町プリエネを占領し,市民たちが大事なものを身につけて逃げ出した時に,あなたはなぜ持物を身につけて逃げないのかとある人がたずねたのに対して,ビアスは,「私のものはみんな身につけていますよ」と答えたというのである。さらに 論鋒 ろんぽう は続けられる。ソクラテスは恩義に感じた弟子のアリスティッポスが届けてきた20ミーネ(注5)のお金を神の命令に基づいていやしみ,再びアリスティッポスに返却した。しかしアリスティッポスもこの点では師の例に従い,金をいやしめ,なんの価値もないものと考えていた。ある時奴隷たちと出かけたことがあったが,奴隷たちがかついだ金の重さにだんだん歩みがおくれてきた時,アリスティッポスは楽に運べるだけを持って行け,ほかは捨ててしまえと命じた。それどころか昔の有名な詩人のテオスのアナクレオンでさえ,ポリュクラテスにもらった5タレント(注6)のお金を,そのために二晩だけ不安な夜をすごしたあとで,ポリュクラテスに返し,さてこのためにさんざん苦労したが,あんな苦労するだけの値うちは金にはないといいそえた。同様に高潔勇武な将軍たちも金銀の蔑視の点では哲学者たちと軌を一にしている。たとえば,しばしば将軍となったアテネのフォキオンは,マケドニア王アレキサンドロスが贈った巨額の金を重視せずいやしめた。マルクス・クリウスは金を,ファブリキウス・ルスキヌスは銀銅をザムニト人(注7)に返せと命令した。さらに数ある国家のなかには法律と規定によって,国民が金銀を使用取引することを禁止しているところがある。たとえば,スパルタ人は法律に基づきまたリュクルゴスの教えによって,市民が金銀を持っているかいないかを細心に調査し,もし持っている者が見つかると,法律と判決に照らして罰せられねばならなかった。チグリス河畔のバビタケの町の住民はだれも使用しないように金を地中に埋めた。スキテン人の指導者たち(注8)は貪欲に染まぬために金銀の使用を排斤した。
 
次に金属それ自体が叱責される。まず反対者たちは金銀を勝手放題にいやしめて,このニつこそは人類の兇悪無道な堕落者だといいたてる。なぜなら,金銀はこれを持っている者は最大の危険のなかに漂うことになり,これを持たぬ者は持っている者を追い回す。このように金銀はこのどちらにもしばしば滅亡し堕落する原因となった。たとえばトラキアの王ポリムネストルは,金を入手するために,有名な賓客であり,彼の舅(ルビ:しゅうと)で古い友だちのプリアモスの息子であるポリュドロスを殺した。テュロスの王,ピュグマリオンは,金銀の財宝を奪うために血のつながりも忘れ,宗教上の畏怖も知らずに,妹の夫を刺殺し,さらに一人の牧師をも殺した。エリフュレは金のために夫のアムフィアラオスを敵に売った。ラステネスはオリントの町をマケドニアの王フィリップに売った。スプリウス・タルペユスの娘は金に眼がくらんで,サビヌス人どもをローマの城内へ引き入れた。クラウディウス・クリオは金ゆえに故郷の町を独裁官カエサルに売った。アポロの息子だといわれる高名の医者アスクレピオスにとっても,金こそ生命を縮める原因であった。かくてパルチア人の金に貪欲の手を延ばしたマルクス・クラッススはその息子および11の兵団とともに打ち破られ,敵のもの笑いとなった。敵は死人のあぎとに金を溶かして注ぎこみ,「お前は金をほしがった,さあ遠慮なく飲め」といったのである。
 
しかしなんのために歴史上の実例を数々あげる必要があろう。窃盗,教会荒し,襲撃,強盗などのためばかりに生まれたような,あの強欲残酷な人種の手にかかって,金と銀がほしいばかりに,戸が破られ,壁が崩され,不幸な旅人が殺されていくのを,私たちはほとんど毎日この目で見ているではないか。また一方にはつかまった盗人が絞首台にかけられ,寺院荒しが生きながら焼かれ,追いはぎの手足が車裂きにされるのを見ているではないか。また戦争も金と銀のために起こされる。しかも戦争はしかけられるほうに大害をおよぼすだけでなく,しかける側にも大きな災いである。じつに,と人びとは議論を進める。これらはさらに以上の他のいっさいの破廉恥行為,処女凌辱,姦通,近親相姦,強姦などの誘因となる。それゆえ詩人たちが,ツォイス神が金の雨に身を変えてダナエ神のひざにこぼれ降ったと歌う時,その意味はまったくほかではない,ただツォイス神が金の救けをかりて処女の塔へ登る道を開きこれを凌辱したというのにある。その他に金と銀ゆえに多数の人びとの信頼がぐらつき,判決が不純となり,数知れぬ犯罪が犯される。なぜならプロペルティウスがいうように,「げに現代こそは黄金の時代だ。金ゆえに最高の名誉があがなわれ,金をもって恋は買われ,実も信も金で追い払うことができる。権利は金で買え,法律も金のしりを追っかけ回す。やがて無法律になって,厚顔無知がはびこる。」そしてディフィロスはいう,「金ほど強力なものはないと私は思う。すべてが金によって決定され,金によって起こる。」だからいちばん立派な人びとこそ金をいやしめ,無価値なものだと考えている。プラウツスに出る老人のことばもそれをいっている。「私は金を憎む。金は多くの人に多数のまちがった忠告をした。」他の詩人たちも鋭いしかも申しんだ言葉で,金銀から鋳造される貨幣を叱咤している。なかでもユヴェナリスは,「私たちの間では富の権威は聖なものとして通っている。しかし呪われた金よ,おまえはまだ神殿に棲んではいない,私たちはまだ黄金に祭壇を建ててはいない。」といい,他の箇所で,「醜悪な金がまず異国の風習を私たちのところへ持ち込んだ,そして女々しい富裕が恥知らずの虚栄心で私たちの時代を骨抜きにしてしまった」。
 
そして非常に多数の人びとが,むかし貨幣の発明以前に人間が行ない,今でも少数の野蛮な民族が行なっている物々交換をひどくほめたてる。それからその他の金属,特に鉄を口をきわめてののしる。なぜなら鉄こそ人間の生活に最大の堕落をあたえた。人間を傷つけ,殺人追いはぎ,戦争がそれで行なわれる,なぜなら剣や投槍や槍や長槍や矢などが鉄からつくられるのだから。この事実に憤激したプリニウスは書いた。「今では私たちは鉄を格闘に使用するばかりでなく,速い擲弾としても用いる。この擲弾はあるいは投擲機であるいは腕で,あるいはまた羽のついた矢で飛ばされる。この羽矢となると人智の最ものろうべき狡計だと私は思う。なぜなら人間の死を一刻も早からしむるために,その翼をつけ,鉄に羽をしつらえたのだから。」しかし擲弾は一人の人間の身体に打ち込まれる。矢も同じである。弓で射られるにせよ, 投石器 スコルピオン 投にせよ,いしゆみ にせよ,一人である。ところが 臼砲 きゅうほう の鉄丸は発射されると,多数の人体をつらぬく。そしていかなる大理石も岩も,およそこれに当たればたたきつけるその貫通力で貫かれないということはない。だからこの鉄丸は最も高い塔をたちまち平地と変じ,どんなに堅い城壁でも引き裂いて,粉砕し崩壊させる。それゆえ石を搬出する投石機や,壁を打砕いて要塞をたたきつぶす昔の人の破壁器やその他の投射器は,この臼砲にくらべると,たいした力は持たぬように見える。この臼砲は恐ろしい轟音を発する,まったく雷鳴そのままである。そして空をつんざく火焔を放出する,まったく稲妻そのままだ。あらゆる建物を損ない,それを破壊し粉々に砕いて,火焔を吐いて火災を起こさせる,まったく落雷そのままである。現代の神を失った人びとについては昔ザルモネウスについて言われたより以上に適切に次のようにいうことができよう。この連中はツォイスから稲妻を奪い,その手からもぎ取った。まったくこの人間ペストは,一発でいく人もがたちまちオルクス神の地獄へ落ちるようにと,地獄からこの世に差し出されたものだと。
 
しかし今日では片手で持てる雷銃はめったに鉄では作られない。ことに大型のものは決して鉄ではつくられないで,銅と錫の合金で作られるので,人びとは銅と錫とを鉄以上に非難する。そしてその際ファラリスの青銅の牡牛,ペルガムス人の青銅の牛,鉄の犬,小馬(刑具),手枷,足枷,首枷,焼けた鉄板なども忘れずに挙げている。これらの刑具でむごたらしい拷問にかけられ,人間どもはまるで心に覚えのない悪事醜行を白状する。そしてまるで罪とがのない者が,種々の体刑で残酷にいじめぬかれたあげくに殺されてしまう。鉛も危険で有害である。溶かした鉛で人間どもは拷問される。そのことはホラティウスが運命の神のことを歌ったつぎの詩句にはっきりと見えている。
 
「鋼鉄の手に鋲と釘を持って,
残忍な必然がいつもお前の前を行く。
身の毛のよだつ 逆鉤 ぎゃくこう もちゃんと揃っている。
そして溶けた鉛も」
 
鉛に対する憎悪をさらにあおりたてるために人びとは鉛弾も,鉛で作る小型の雷銃の弾丸もいい添えるのを忘れはしない。そして負傷と死の原因を鉛に帰するのである。
 
さて自然は金属を深く地の底に蔵したのだから,そして金属は生活需要に必要なものではないのだから,それだからこそ金属は第一流の人びとに軽蔑され卑しめられた。だから金属は地中から掘られてはならない。そしてそれが掘り出されるといつも多くのひどい災いの源であったのだから,鉱山の技術もまた人類にとって有益なものではなく,有害危険なものであるという結論になる。
 
このようなぎょうぎょうしい議論によって事実いく人かの優秀な人びとが煽動されて,極端に金属を憎悪し,こんなものはなければよかった,有るよりほかに仕方がないならせめてだれも掘り出したりしないがよいと望んでいる。しかしこの人たちが純粋で純潔で誠実であることを認めれば認めるほど,私はどうしてもこの人たちの魂から一切の誤謬をえぐり徹底的に除去して,正しい考え,人類に有益な意見が明るみに出るようにしてやらねばならぬと思うのである。
 
第一に金属を非難しその使用を無用だと考える人びとは自分たちが神自身を非難し神に罪があると責めていることに気がつかない。なぜならその人びとは明らかに,神がある種の事物を故なくして空しく作ったと考えているわけだし,神こそ害悪の本家だと信じているのだから。これは何といっても信心深い人間,経験の積んだ人びとにふさわしくない考え方だ。
 
次に大地が金属を地中深く蔵しているのは,人がこれを掘るのを大地が望まぬからではない。それは慎重で賢明な自然がそれぞれの事物にそれぞれのありどころを与えたからなのだ。だからこそ自然は金属を鉱脈や亀裂や岩石の断層の中に,いわば金属に特有な物質の容器やかくれがのなかに創ったのである。なぜなら他の場所では発生に必要な物質がないために発生することができない。ごくまれには事実あるように,もし金属が空中に発生すると,金属は安住する場所を持たないことになる。だから自分の力と自分の重量とによって地上に落下するのである。こんなわけで鉱石はその特有なつねのありどころを大地の内懐に持っているのだから,先刻の非難者たちの反証は決してその意図する目的を十分達しているのでないことが,だれしもわかるはずである。
 
しかし非難する人びとはなお語を続ける。金属が発生の特有な場所として地中にあるとしても,金属は目に見えない所に閉じ込められてかくまわれているのだから,それを掘り出すのはやはりいけないことだ。このやっかい千万な非難者たちに私は金属の代わりに魚を持ち出そうと思う。私たちは魚が水中にいやそれどころか海中にかくれひそんでいるにもかかわらず捕まえる。海の内部を探るなどいうことは地上の生物としての人間にとっては大地のはらわたを探求することよりも何といっても縁遠いことだ。なぜなら鳥が自由に空を飛び回るように創られているごとくに,魚は水中を泳ぐように創られているのだから。他の動物たちには自然は大地をあたえた。そこに住むように,そして人間にはそのほかになお土地を耕して,地面の洞穴から鉱石その他の地下の事物を掘り出すように大地をあたえた。
 
それでもまだ人びとは答える。魚は私たちが食べる。しかし地下埋蔵物によっては飢えも渇きもいやされない。また着物としても用をなさない。これが反対者たちが金属を掘り出されてはならないことを証明しようと骨折る二番めの証明である。
 
しかし人は金属がなければ,衣食住に役立つ品物を作ることができない。なぜなら,私たちの肉体に生活物資の大部分を給与する農業にあっても,まず農具がなければ,どんな仕事もできないし完成され得ないのだから。地面は耕作鋤と鋤頭で耕されるではないか。 鶴嘴 つるはし で高い切り株や上根が切り出される。まかれた種子は馬鍬でならされ,穀物畑には草かきがかけられ,除草される。熟した穀物は茎の一部とも大鎌で刈り取られてから,たたきの上で打穀される。あるいは刈り入れられた麦は納屋にしまわれ,あとになってから穀竿で打穀され, でふるわれる。最後にふるい にかけられた穀物と豆類は穀倉に納められる。時がきて,あるいは必要があればまたそこから取り出される。さてまた果樹からよりよい果物をたくさんとるためには私たちは枝おろしや刈り込みや接枝をしなければならない。みんな道具なしではやれない仕事だ。同じように液体ーー牛乳,葡萄酒,油ーーは容器なしでは扱えないし,いろいろな種類の家畜を小屋なしでは長雨やひどい寒さから守ってやることもできない。農具はところがたいてい鉄でできている。耕作鋤がそうだし, 鋤頭 すきさき ,鶴嘴,馬鍬についた叉、草取り鍬,開墾鍬,草刈り鎌,麦刈りの大鎌,のこぎり ,葡萄の 剪枝刀 せんしとう ,踏み鍬,なた ,熊手,かご ,銅または鉛の容器がそうだ。しかも木の道具や容器でも全然鉄なしではできないし,また酒蔵,油しぼり,農場のその他の部分にしても全然鉄の道具なしにはできない。さらに牡牛や羊や山羊その他のこの種の家畜が牧場から肉屋へ運ばれる時,あるいは 家禽 やきん の番人が農場にいる禽類の中から雄鶏の雛,雌鶏,去勢鶏等を料理番に引き渡すとき,これらは肉切りや包丁なしに切ったり小分けしたりできるであろうか。鍋釜や銅製の台所用具のことはあげまい。なぜなら,肉を煮るには陶工の鍋でもできないことはないのだから。しかしこの陶器類がまた陶工の手でつくられるときに道具がいるし,木の道具がまた鉄なしには作ることができない。さてまた狩猟や鳥獲りや漁業が人間に食料を供給するとして,猟師は網にかかった鹿を猟槍で刺さないだろうか。立っているあるいは走っている鹿を矢で射倒さないだろうか。あるいはまた雷銃の弾丸で射貫かないだろうか。同じように鳥打ちは大雷鳥やきじ を矢にかけて殺さないだろうか。雷銃の弾丸を射込まないだろうか。山鳥や 啄木鳥 きつつき やその他の野鳥を捕える罠その他の道具のことは説くまい。今はそんなことをこまごまと数えあげている時ではない。最後に漁夫は釣具または引き網で海や放魚湖や養魚池,河川などの魚を獲らないだろうか。しかも釣針は鉄製だし,引き網にもしばしば鉛や鉄のおもりが見受けられる。さてまた魚がとれると多くの場合すぐ包丁あるいは肉切りでこまぎれに切られはらわたを出される。
 
しかし食料のことはもう十二分に述べた。これから衣類の話に移ろう。衣類は羊毛,麻,羽根,なめし皮から作られる。まず羊に鋏を入れる。ついで羊毛がさばかれ,さらに繊糸に紡がれる。織機のたていと がかけられ,それによこいと が織り込まれ,おさ で織り上げられる。けっきょくでき上がりでみると,織糸だけ,あるいは織糸と毛とから 羅紗 らしゃ ができる。亜麻はまず引き抜いて,それから 麻扱 あさこ きで かれる。次に水に浸し,また乾かされる。ついで亜麻棒でたた かれ,砕かれ, かれ,延ばして織糸につくられ,最後に織物に織られる。さて毛織業者あるいは麻業者はおよそ鉄でできていない道具を一つでも持っているだろうか。さらに仕立屋は羅紗や麻布を裁つ場合に裁断刀またははさみなしにそれができるであろうか。なにかの服を針なしに縫うだろうか。いや,大洋の向こうに住んで鳥の羽でからだのおおいをつくる人種にしても同じ道具なしにはそれがつくれないであろう。毛皮業者もどんな種類の動物の毛皮を用いるにしたところで,それなしにはすまない。靴屋も靴を作ろうとすれば皮を切るために突ききり がいるし,皮を削るために小刀がいるし,穴をあけるために大針がいる。さて以上のからだにつけるものは織るか縫うかされてできた。最後に同じ身体を雨,風,寒暑から守る建物にしても,斧,鋸,錐なしには建築することができない。
 
しかしこれ以上くだくだと述べる必要がどこにあろう。もし人間の習俗から金属が消えたら,健康を予防し保持するためや私たちの文化にふさわしい生活をするためのいっさいの可能性がそのためになくなるだろう。なぜなら金属がなかったら,人間は野獣どもの間で最もいまわしいみじめな生活を送るであろう。どんぐりや野生の木の生活に帰るであろう。雑草や木の根を掘り出して食べるだろう。夜をすごすための洞穴を手の爪で掘るであろう。ひねもす森や野原を野獣の習性に倣ってさまようであろう。こんなことは自然のつけてくれた最善最美の持参金である人間の理性にとってまったく恥ずかしいことであるから,金属が衣食の必要品であって,人間らしい生活を維持するものであることを否定するような,そんなばかながんこな者が一人だってあるはずのものではない。
 
それに鉱山師たちはたいていなんの実りもない山地や,じめじめと暗く閉じこめられた谷間を掘るものであるから,田畑を荒すことはまったくないわけだし,あってもごくわずかなものである。最後に彼らが森林や杜を伐採するときは,灌木や木の根を掘り出したのちに穀物の種子をまく。この新聞の畑には間もなく豊かな実りができて,高値の木材を買わねばならなくなった住民たちもたちまち埋め合わせがつく。そして鉱石から製錬される貴金属で,どこか他でたくさんの鳥や食料になる獣や魚類を手に入れて,山岳地方へ持って行くことができるのである。
 
実例へ話を移そう。プリエネのビアスは故郷の町が占領されたのち貴重品を一つも町から持ち出さなかった。つまり賢者の列に数え入れられるほどの人なら,逃亡の身の上であったのだから当然危険が予想されたにもかかわらず,敵からこうむる危害を恐れなかったのである。しかし私にいわせれば,そんな貴重品を失うことなどはたいしたことではなかったろうと思う。なぜなら,彼は家,屋敷,それから何よりも大事なもの祖国を失ってしまっていたのだから。むしろ私は,ビアスが故郷の町が占領される前に貴重品を親戚知友に贈りあるいは貧民にわけ与えていたとしたら,それこそその財宝を軽蔑し,何の値打もないものと考えていたことになるだろうと思うのである。なぜならビアスは人に恵むことなら異論なく自由にできたろうから。ギリシアがかくもたたえている行為をビアスは敵の暴力に強制され恐怖に打たれてしたのにすぎないとも見えるのだ。つぎにソクラテスは金を蔑視したのではない。自分の教えに対して金が支払われることを欲しなかっただけだ。そしてキュレネのアリスティッポスがもし奴隷に捨てよと命じた黄金を集めて貯蓄していたら,生活にほしいと思ういろいろな物資を買うことができただろう。そしてシシリアの暴君ディオニュシオスの歓心を買う必要もなく,そのために「王の犬」などという名を頂戴しなくとも済んだであろう。だからホラティウスはダマシッポスが,貪欲な富を極度に重視するスタベリウスを難じたといっている。「奴隷が重荷に堪えかねて足がのろいというので,リビアの地のまん中で奴隷に金を捨てろと命じたギリシア人アリスティッポスとこの男とくらべてどういうことになるか。この二人のうちどちらがよけいにばかか。」つまり富を徳以上に重視する者はおろか者である。しかしまだ自分で十分使えるのにこれをいやしめてなんの値打もないものと考える者もやはりばかものだ。しかし同じアリスティッポスがほかの時に黄金を船から海中に投じたことがあるが,このときは十分考慮のすえ知恵をしぼって捨てたのだ。なぜなら自分の乗っている船が海賊船だということに気がついたので,彼は命が恐ろしくなり金を勘定した。そして進んでそれを海中に投じてから,捨てたくなかったかのようにため息をついた。しかし危険が去ったときにこういった。「自分がお金のために死ぬよりはお金が海に沈んだほうがいい。」
 
しかし幾人かの哲学者とテオスの詩人アナクレオンが金銀を軽蔑したというのはそうかもしれない。クラツォメネのアナクサゴラスも羊を飼っていたその地所を捨てた。テバイの人クラテスは家政その他の世話がうるさくなりはじめたときに,8タレントの値打のある地所を捨てて,一枚の外套と一つの鞄を取り,貧しい身の上になって,いっさいの心配や苦労および思索の全部を哲学に向けた。さてこれらの哲学者が財物を軽視したために,他の哲学者たちもみな牧畜などに心を使わなかったろうか。皆田畑を耕さず,家屋に住まなかったろうか。この人たちとは反対に確かに多くの哲学者が,ありあまる生活をしていたにもかかわらず,学問の研究と人間および神の事の研究に従事して立派な成績をあげている。アリストテレス,キケロ,セネカなどがそうだ。フォキオンはこれに反してアレクサンドロスの送った黄金を受け取る自由を持たなかったのだ。つまりもしフォキオンがその金を行使しようとしたら,国王も彼自身もどちらもアテネの人民からひどく憎まれていたろう。事実アテネの人民はこのすばらしい男に対して後日恩を仇で返した。なぜなら人民は彼に無理に毒にんじんを飲ませたのだから。ところでマルクス・クリウスとファブリキウス・ルスキヌスはなぜ敵から黄金を取ることを喜ばなかったか。つまり敵は黄金の謀略をもってこの二人を動揺させようと望み,あるいは二人が同国人から憎まれることを欲して,ローマ人たちが仲間割れすることによって,ローマの国家をすっかり滅ぼしてやろうとかかったのであった。リュクリゴスはスパルタ人たちに金銀を正しく使用するように,しかしそれ自身いいものはむやみに捨て去らぬように,訓令を出すべきであった。つぎにバビタケの住民たちの話は,きいただけでこの連中がおろかな嫉妬心の強い仲間だったことがわかる。なぜなら,黄金で必要なものを買えたはずだし,近隣の人民にこれをおくって,贈物と好意で隣人の心を捕えることもできたはずだ。最後にスキト人の指導者たちも,金銀の使用をただいけないと決めただけで,貪欲から完全に免がれたわけではない。なぜなら金銀は全然使わなくても,他の財物を持っていれば,やはり貪欲になるものだから。
 
さて今度は鉱山の産物に向かってあげられる非難に対して答えなければならない。まず金と銀がこれを持っていると身を滅ぼし堕落するというので,人間の破滅だといわれる。しかしそんなら,私たちのもっているものでなにか人間の破滅といわなくてよいものがあるだろうか。たとえば一頭の馬とか一着の衣服,あるいはその他類似のもの。もし一頭の立派な馬に乗った人が,あるいは美しい着物を着た旅人が,それが起因で強盗に殺されるとすれば,私たちは強盗が馬を奪うために人を殺すからというので,馬に乗らず歩いて行かなければいけないだろうか。あるいは強盗が着物をはぎ取るために 匕首 あいくち で旅人の命を奪ったからというので,着物を着ないで裸体で歩くべきであろうか。金銀の所持にしても似たようなものだ。とにかくここにあげたものはみな人間の生活に不可欠のものなのだから,私たちは追いはぎのほうを用心することにしよう。そして私たちはときには追いはぎの手を免がれることができないのだから,犯罪者や極悪人を拷問役人や刑吏の手に引き渡すのが,当局の仕事なので
ある。
 
また,地中から掘り出されるものは戦争に対しどんな誘因にもならない。なぜなら,もし一人の暴君がある美しい婦人に対する愛に燃えあがって,市民に向かって戦争をしかける場合,この戦争の責任は暴君の放埓な愛欲にあるので,婦人の容貌にはない。同様に私たちはもし他の暴君が金銀に対する貪欲に盲目となって富裕な国民に戦火をあびせる場合があれば,その責を金属に問うことをやめて,すべてその貪欲を責めねばならない。なぜなら,しばしば国民および市民の権利を蹂躙し侵害する狂的な攻撃と醜悪な行為とは,私たち自身の罪悪から生ずるものだからだ。それゆえティブルスが戦争の責任を黄金に嫁して,つぎのようにいっているのは間違っている。
 
「これ(戦争)こそは高価な黄金の失策だ。まだぶなの木盃が料理の前に置かれていたときは戦争はまだなかったのだ。」
 
しかしヴィルギリウスはポリムネストルの話をして,殺人の原因は貪欲にあると述べている。
 
「この男はいっさいの法を破棄する。
ポリュドリウスを殺し暴力をもってその黄金をわがものとする。
呪われたる黄金欲よ。
なぜおまえは人の心はおさえないのか。」
 
ジヘウスを打殺したピュグマリオンの話をするときもヴィルギリウスは同様に正しい。
 
「そして黄金への執着にめしいて,神ならぬ身の知る由もない相手をひそかに剣をもって殺す。」
 
なぜなら,他人の所有に対する飢えと貪欲とは人間を盲目にするのだ。そしてこの無道な金銭欲はいかなるときいかなる場所でもいっさいの人の恥辱となり,すべての人をはせ って犯罪におもむかせる。そうだ, 吝嗇 りんしょく にふける人びともまた,吝嗇の奴隷になったのだから,いつも下劣な汚らしい仲間だとされてきた。同様にある人が金銀宝石をもって婦人の貞操を蹂躙し,多くの人びとの誠意を裏切り,裁判の判決に袖の下を使い,数知れぬ悪事を重ねた場合,その罪は今度も地下の埋蔵物にはなくて,むらむらと燃え上がる人間の狂暴心あるいは魂の盲目無残な貪欲にあるのだ。これまで金と銀とに対して述べられたことは主として金銭に対していわれたのだが,そうすれば結局,詩人たちは金属をはっきりと名をあげていっているのだから,その非難はつぎにあげる抗議だけでもう無力になってしまう。金銭はこれを上手に使う人びとには利益となる。これを下手に使う人には害悪となり災いとなる。だからいみじくもホラティウスがいっている。
 
「君は知っているのか。
お金がどんな値打をもちどんな益をもたらすかを。
それでパンを買うことができるし,野菜でも,1ショッペン(注9)の酒でも。
 
また他のところで,
 
「ためられた金銭はためた人の主人かまたは召使いだ。自分で引き綱を引くことよりはむしろ,金銭にはよく われた引き綱でおとなしくひかれていくことこそふさわしいのだ。」
 
さて 怜悧 れいり な世なれた人びとが,昔文明を持たぬ人間が用い,いまでも未開野蛮の国民が行なっている物々交換のようすを観察し,その実行がどんなに難しくわづらわしいかを見たときに,金銭が発明されたのである。そしてこれ以上便利なものを考えることができなかった。なぜなら金と銀の小さな一片が大きな品物の値打を持っているのだから。それゆえお互いに遠く離れている国民たちは金の助けをかりて,難なく貿易を営んでいる。それは市民生活にはほとんど欠くことができないのである。
 
だから鉄,銅,鉛に対してあげられる排撃論は,賢明な考えのある人たちにはなんら心を動かす力を持たない。なぜならもしそれらの金属がなくなったら,人間はけっきょくいっそう憤怒に燃え,底なしに荒れ狂って,拳,足,爪,歯等で野獣のように争うだろう。ある者は他の者をこん棒を振って打ち,石を投げ,そして打ち殺すだろう。いや人間が人間を鉄で殺すだけでなく,毒,飢渇で殺し,窒息させ,生き埋めにし,水に沈め殺し,咽喉を絞め殺し,焼き殺し,絞首台にかけ,自然のあらゆるものを人間を殺すために利用するだろう。ついにはまたある者は野獣の餌に投げ与えられ,すっぽりと首だけ残して屠殺獣の皮に縫いめられ蛆の食い荒らすにまかせられる。沼に沈められた他の者は 虎鱓 とらうつぼ の食い散らすのにまかせられ,また他の者は油揚げにされ,他の者は油を塗られて縛りつけられ,蚊や熊蜂の刺しさいなむままに放任される。ある者は笞でなぐり殺され,他の者は石で打ち殺され,他の者は岩の下敷きにされる。それだけではない,金属がなかったら人間は一つの苦しめ方だけでさいなまれるのではすまない。たとえば,焼けた蠟で陰毛と脇の下の毛を焼くとか,あるいは麻布を咽喉に突込んで,呼吸のためにだんだん奥へはいったころあいを見計らって,不意に激しくこれを引き上げるとか,あるいは両手を背中で縛って,少しずつ綱でつり上げ,それからいきなりがたんと下へ落とすとか,あるいは同じ方法で梁につるし上げておいて,その足に重い石を縛りつける,あるいは拷問具でこのまま両手両足をばらばらに引き裂くなどである。これで金属に罪があるのでないことがわかるのである。罪は私たちの悪徳にある。つまり憤怒,残忍,不和,支配欲,貪欲,淫欲である。
 
しかしここで問題がおこる。地中から掘り出されるものをよいものに数うべきかあるいは悪いものに数うべきかである。 逍遥 しょうよう 学派は確かにいっさいの富をよいもののうちに算入したが,これを外的なよいものにすぎぬとした。つまり富は魂のなかにも身体のなかにもなく,その外部に存在するものだからである。しかしまたこの派は,外的なよいものの他に多くのよいものがあって,これをよく使うか悪く使うかは私たちの力によって左右されるということいっている。つまり優秀な人はこれをよく用いる。この人たちにとっては有益なものである。そして悪い人は悪く用いる。この人たちには無益なものである。ソクラテスのあることばにこうある。「酒はその樽にしたがう。富はこれを所有する人の性格にしたがう。」何でとでも繊細な感覚でしかも鋭い話し方をする慣習のストア派の人びとはしかし富をよいものの群から切離しているが,これを害悪には数えず,この派の人のいわゆる中性の種類だとしている。つまりこの派の人びとにいわせれば,道徳だけがよきものであり悪徳が害悪である。いっさいのその他のものは中性なのである。だからこの派に従えば人が健康であるか重病であるか,容貌が美しいか醜いかは中性のことなのである。「お前が金持ちで王の血統を受けて,あるいは貧しく身分の卑しい出で,生を天の下にうけていようと,それは同じことだ。」しかし私個人の意見としては,ほんらいそれ自身として善であるものがなぜよいものの座に列せられてならないか,その理由が理解できない。地下に埋蔵されてあるものをつくるのは疑いもなく自然である。そしてその地下の物は,実益と不思議に調和一致する生活の美化のことには触れないにしても,人類に種々の必要な実益をもたらす。したがって,かような地下物がよいものの間に占めるその地位と品位とを剥奪することは正当でない。しかもだれかがこれを悪用しても,それでもってこれを害悪だと呼ぶことは正しくない,なぜなら,私たちはどんなよいものでも同じように善悪両用に使うことができるではないか。
 
よいもののこの二とおりの応用について実例をあげたい。葡萄酒はずぬけて最上の飲物である。これを適度に飲むなら,飲物の消化に役だち,体液を身体各部に送ることによって造血をたすける。酒は栄養になる。また身体のためになるだけでなく心にも役だつ。なぜなら酒は私たちの精神の暗い陰影を払い,心配や苦悶からとき放ち,世の中への信頼をあたえてくれる。しかし過度に飲むと,身体を害し,病気のもとになる。酒のみはまた多弁である。騒ぎ回り,荒れ狂って,数々の破廉恥行為や犯罪を犯す。だからたいそう当たっているのはテオグニスの次の詩句でいうことである。
 
「意地きたなくがぶのみすれば酒はたいてい害になるが,適度にやれば,役にもたち助けにもなる。」
 
ところで,いつまでも外的なことにかかずらっていることはやめよう。さて肉体と魂のよいものに移ることにする。そのうちで力と美と精神とがまず眼に浮かぶ。さてだれかがその力に頼ってうんと働き自分と家族とを立派に世のほめものになるように養っていくならば,この人はそのよいものを善用したのだ。しかしその人が殺人強盗で暮すならば,それは悪用したのである。同様に衆にすぐれて美しい婦人が人の妻としてもっぱら夫に貞節をつくすなら,その美貌をよく用いたのであり,もし軽率放縦な生活をおくるなら,正しくない用い方をしたのだ。同じくまた一人の青年が学問に身を捧げ美術に専念するなら,それは精神を正しく用いたのであり,だれかが捏造し,うそをつき,誘惑し,だまし,ごま化すならば,この人は精神のよいものを乱用したのである。ところで葡萄酒,力,美,精神を,乱用のおそれがあるからというので,善根のうちに入れようとしない者は,これらのものの最高の創造者,神自身を侮辱し 悪罵 あくば するものである。ところがこれとまったく同じ侮辱悪罵の罪を,地下の宝をよいものの国から抹殺する人が犯すのである。ここでもギリシアの詩人たちは実に正しい判断を下している。たとえばピンダロスである。
 
「徳に飾られて輝く黄金は,運命がおまえに授けてくれるすべてどんなものをも幸せにしあげてくれることのできる道だけをおまえに教えることにとどまるものではない。」
 
次にサッフォ。
 
「徳に対する愛がなければ,黄金は呪うべき訪客である。けれどもこの二つが結べば最高のよきものである。」
 
また次にカリマコス。
 
「徳なき黄金,黄金なき徳,どちらも大をなさない。」
 
あるいはアリストファーネス。
 
「ああ神がみかけて人はなぜ金持ちにならねばならないのか。なぜ多くの金を得たいと望まねばならないのか。友だちをたすけ,数ある何をおいても最も愛すべき感謝の女神の実をまくことのできるためである。」
 
さて以上,反対者たちの根拠と誹謗とを反駁しつくした今,私たちは鉱山業の有益な側面の話に移りたい。まず鉱山の仕事は医者のためになる。なぜなら,負傷や化膿,さらにペストの場合さえ癒やすたくさんの薬を提供するからである。だから私たちは医学だけのためにでも,他に山捜しの理由がなに一つなくても,地下を掘らねばならないだろう。次に画家たちの役にたつ。なぜなら鉱山はいろいろな種類の色料を産するから。これらの塗料で壁を塗ると,外から侵入する湿気の害がほかの壁よりも少なくてすむ。さらに鉱山は建築家のためになる。なぜなら,長期の丈夫な大建築にふさわしく,装飾や美化にも役だつ大理石を発掘するから。そのほか心に不滅の名声を得たいとねがう人びとにも役にたつ。つまり鉱山は金属を掘り出す。この金属から貨幣や立像やその他がつくられる。これらは,文献のうえでの記念碑とならんで,人間にいわば永遠と不滅とを与えるのである。また商人にも役にたつ。なぜなら,前にも述べたように,金属から鋳造された貨幣は多くの理由から物々交換よりも便利なのだから。最後に,さてどんな人に鉱山が役にたたないというのであろう。金銀細工師,銅工,錫工,鋳鉄師などが金属からいろいろなすがた,形につくりあげる,あのように好ましい,風趣に富んで,精巧で,有益な工芸品のことは触れないでおこう。どんな工芸師が金属なしに完全な美しい作品をつくることができるだろう。またもし工芸師が鉄あるいは銅でつくられた道具を使わなかったら,きっと石でも木でも工芸品をつくることはできないだろう。
 
以上のすべてのことから私たちが金属に負う実益と便利とは明らかである。しかもこの金属は,もし鉱山の技術が発明され,私たちに利用されていなかったら,私たちの手になかったであろう。だから,人類に対する鉱山の大きな利益と必要とをだれがいったい認めないであろう。要するに,人間は鉱山を欠くことができないし,厚意ある神慮も人間が鉱山を持たぬことを欲してはいないのである。
 
さらに鉱山の仕事はまじめな人たちにとって恥ずかしくない職業であるか,それとも軽んずべき申しいものであるかの問題がおこる。私たちはこれは名誉ある技術の一つだと考える。なぜなら,そのなりわいの方法が背徳でなく,いまわしいあるいは汚らわしいものでない限り,すべての技術は名誉あるものと考え得るのだから。ところで採鉱冶金の仕事は背徳でもいまわしいものでもない。なぜなら,採鉱冶金は,さっそくその証明にかかるつもりであるが,正しい立派な方法で財産を増殖するからである。だから当然採鉱冶金は誠実な職業に数えられるのである。第一に,鉱山師の職は,なりわいの他のいろいろな職業とくらべてさしつかえないと思う,農夫の仕事と全く同じように公正である。なぜなら,農夫がその田畑に種子をおろす場合に,田畑にどのように多くの穀物が実ろうとも,それでだれにも害を及ぼさぬように,同様に鉱山師も巨万の金銀を採掘しても,鉱石の採掘にあたってだれにも不利を及ぼさない。そして財産増殖の二つの方法はとくにまじめで高潔だ。しかし戦争屋の強盗奪取はたいてい罪深いものである。なぜなら,戦争の狂熱は世間の財貨だけでなく教会の財貨をも奪うからである。たとえこの上ない正義の王が残酷な暴君どもと戦争を開始した場合でも,悪い人間たちがその財産を失う反面には必ずなんの罪とが もない気の毒な人びと,老人,婦女子,孤児なども同じその災いにいっしょに引きずりこまれてしまう。鉱山師はしかし短い時間に暴力もなく詐欺も 陋劣 ろうれつ もなしに,巨万の富を蓄積することができる。だからあの古い諺は完全に虚偽である。「いっさいの金持ちは不正な人間であるか,不正な人の相続者であるかだ。」この点ではもっとも相当数の人びとが私たちと意見を異にして鉱山師たちを嘲弄し悪駕する。そして今にあの連中は,あるいはその子どもたちはたちまち文なしになるぞなどという。しかもその根拠とするところは,その富が決して立派なやり方で得られたものでないからという以外にない。つまり詩人ナエヴィウスのことばほどの真理もないのである。「悪によって儲けたものは,またたちまち悪によって消える。」(悪銭身につかず)そして人が鉱山によって金持ちになるのは不正直なやり方によるというのがその主張である。鉱山を開いて貴金属が得られそうな何かの希望が現われると,たちまちある殿様かあるいは役所から人がやってきて,鉱山の持ち主から所有権を奪う。そうでないときは,悪賢い抜け目のない隣りの男がやってきて,鉱山の一部を強奪しようとこれまでの持ち主と争いにかかる。また鉱山役人が鉱山に重い追加出資を課して,これを支払おうとせずあるいは支払うことができないと,いっさいの所有権を失わせてしまう。そしてあらゆる法律を無視してその所有権を自分のものにする。ついには坑夫長が鉱脈を金属産出のたいそう豊富な所を土や石や板切れや 棒杭 ぼうぐい などで塗りつぶしたりおおいかくしたりして,2,3年たって持ち主が鉱脈が尽きたと思ってこれをあきらめると,自分が残しておいた金属を掘り出して猫婆をきめこむ。とにかく有象無象の鉱山師たちの世界は詐欺とごまかしと嘘の百鬼夜行だ。ほかのことには触れないとして,ただひとつ売買の際にどれくらい人の信実をふみにじり信仰にそむくようなことが行なわれるか,そのことだけ話そう。たとえば一人が鉱坑の一部が事実の値段よりも半値だけ高く売れるように,でたらめ放題なことをいって鉱脈をほめる。あるいは逆に安く買えるように悪くいうなど。このような悪意ある非難によって反対者たちは鉱山業の名誉全体を傷つけようと思っている。しかしあらゆる所有は,正しい方法で得られたものであれ悪事によって儲けたものであれ,何か思わぬ不幸に会えば次第になくなるか,あるいは破滅してしまう。そして所有主のあやまちと失策とによって四散するものである。怠惰と 放逸 ほういつ によって失うか,贅沢三昧をして 蕩尽 とうじん するか,あるいは人にやってしまい,また勝負ごとでなくしてしまう。「まるでお金は銭箱の中でつぎからつぎと殖えるもので,いつでもわしづかみにつかみ出せるものかのように。」だから鉱山師が,不意の幸運に対しては控えめの気持ちを失うなというアガトクレス王の教えを守らないで,そのために文なしの境涯に陥っても,別に不思議はない。しかもとくにしばしば見受けるのは,鉱山師たちが適度の収益に満足できないで,一つの鉱山でもうけたものをまた他の金属採掘に投資するという例である。殿様とか役所が彼らの手から鉱山を手離させるのではなくて,暴君のような貪欲なるものがそうさせるのである。貪欲はそれに取りつかれた者からまともな仕方で儲けた財産を強奪するばかりでなく,さらにまた最も残酷な仕打ちでその生命までをも奪うものである。
 
ところで,この人びとがそのような不正について天下にいいひろめている不平について考えてみるとき,私はいつも気がつくことがある。それは非難される人びとこそその非難するご当人たちをその所有の鉱坑から追放するだけの十分な理由があり,非難する側の人たちには苦情をいう理由はまるでないということである。なぜならこの人たちは追加出資を支払っていないのだから,当然その山の所有権を失っているのだ。あるいはこの仲間は自分のものでない鉱山から当局の手で追い立てられたのにすぎない。つまり産出高のより多い鉱脈に隣接した小さな鉱脈を掘っている不徳な鉱山師のなかには他人の所有にまで手を延ばす者がなかなかあるのである。だからこの手合が権利侵害で訴えられると,当局がその鉱山から追い立てをくわすのである。したがって,やがてこの連中はたいてい当局の悪口を民間にいいふらす。しかし他の場合,よくおこる例だが,隣人同志の間に紛争がおこると,当局から任命された仲裁官がこれを裁くか,あるいはとくに任命された裁判官がこれを判決して宣告を下すのである。その場合,このように紛争が片づいたときは,当該事件において,両派の調停が成立したのだから,これ以上どちらも不正について苦情をいういわれはない。判決は鉱山法によって宣告されたのだから正しい。法的根拠の少ない反対の判決は下されることができない。しかし私はこの点についていつまでも争っていたくない。時にはまた坑夫長が鉱山にどうしても必要な額よりも高額の追加出資を要求することはそれはある。いや,仮りにある坑夫長が鉱脈のいちばん産出の多い所を土で埋め,あるいは壁で塗りつぶしても,けっきょく一人や二人の卑劣でもって多数の善良な人びとに詐欺の極印を押しつけることはできないであろう。
 
通例一つの共同団体において顧問官より尊厳で名誉なものがおよそあるであろうか。しかもこの顧問官ですら背任のため,告訴され処罰されたものが現にある。それだからといってこの尊厳な地位はその立派な名望名声を失うべきであろうか。確かに坑夫長は鉱山に対して,鉱山主および二人の陪審員の了解と許可なしには鉱山に対してなんらの追加金をも課すことはできない。それゆえこの点では坑夫長はごまかすわけにいかない。しかし,もし坑夫長が詐欺の罪状明らかな場合は 笞刑 たいけい に処せられるし,窃盗の場合は絞刑に処せられる。それでもまだ人びとが,坑夫長のなかにはごまかして鉱山株を売買するやつがたくさんいるとぎょうぎょうしくいいたてるなら,それならそれでいい。しかしそんな坑夫長がだませるというのは,ばかなのんきな,鉱山に無経験な人間以外にあるだろうか。少なくとも賢明で熱心なそして鉱山技術に経験のある人なら,売り手もしくは買い手が信用おけないと思ったら,すぐさま現場に出かけて,そのようにほめられあるいは悪口を言われる鉱脈を自分で実地に検証して,問題の部分を買いあるいは売ったほうがいいかどうか確かめるはずである。それでも反対者は反駁するかもしれない。そんな経験者はごまかしの手にはのらないとしても単純な人の好い人物はやはりごまかされると。しかしそんなふうに他人を一杯ひっかけようとするご当人がよく思い違いをして,因果応報で世間の物笑いになるものだ。なぜかというと,他人をだまそうとかかる人も,だまされる人と同様,たいていは鉱山のことを知らぬ連中だからだ。そんなわけで鉱脈が詐欺漢の期待に反して鉱石を豊富に産すると,だまされたはずの男がもうけて,だましたはずの男が損するのである。もっともしかしれっきとした鉱山師ならめったに持ち分を売ったり買ったりはしない。ただ公認の仲買人はしばしば売買するが,これは命ぜられたとおりの値段で買ったり売ったりするのである。当局が疑わしい事件は正義と法に照らして決定するのだから,正しい鉱山師はだれもごまかしたりしないし,不正直な者も簡単にはだますことができない。たとえだましてもただではすまないのだ。鉱山師の名誉をふみにじる人びとのいうことは無意味である。まじめに取ってはならない。そんなわけで鉱山師の利得はだれに迷惑をかけるものでもない。なぜなら,生まれながらの悪意をもった 猜疑心 さいぎしん の強い人ででもなければだれがいったい,神の恵みを受けて富裕の身となり,一点の非の打ちどころもないやり方でその財産を殖していくことのできる人を,憎むはずがあろう。高利貸しが不当な利子を取れば,人びとから憎まれるではないか。ある人がしかしほどほどな利子を取るなら,世間のだれもこの人を憎みはしない。なぜならこの人はこれで特別な金持ちにはなれぬかもしれぬが,人の 膏血 こうけつ を絞るのではないのだから。
 
さらに鉱山師の職業は汚らわしいものでもない。そのように大きく金持ちで正直な鉱山師がどうしていったい汚らわしいことがあろう。しかし偽造の不正品を売りあるいは安く買った品に法外な値をつけるとすれば,商人の利得こそ醜悪卑劣なものである。そんなことをするために商売上こうむるべき危険を考えないならば,商人こそ善良な人びとの間では高利貸し以上に憎まれるだろう。
 
最後に,採鉱冶金にけちをつけて悪しざまにいいたい人びとは,昔は罪を犯して罪状明らかな者は鉱山で働くように判決されて,奴隷として鉱脈を掘らされたではないかと指摘する。今では,しかし坑夫も賃銀労働者だが,他の職人仲間と同じように,汚らわしい仕事に従事しているのだ,と。そのとおりだ。もし鉱山の仕事が,昔奴隷が鉱脈を掘ったという理由で,一般の人びとにとってまじめな職業でないというなら,農業だって名誉な職業ではあるまい。なぜなら,田畑も昔は奴隷が耕したし,現にトルコでは今でもそうなのだから。建築術だって同じことだ。なぜなら,多くの建築家は奴隷だったのだ。医術もそうだ。医者が奴隷であったためしも少なくないではないか。そのほかたくさんの技術がそうだ。戦争の捕虜どもがこれをつかさどっていたのだから。しかし農業,建築,医術はそれでも名誉ある技術に数えられている。だから鉱山業だってそのために,たとえ鉱山の 日傭取 ひようと りの仕事が汚ないということを反対者に一歩譲って認めたところで,その列から排撃されるいわれはないはずである。私たちはここではただ鉱夫その他の労働者だけをいっているのではない。一方では鉱山技術に通じている人びとも,他方では鉱山の経費を支弁している人びとも,含めている。経費担当者のなかには王侯でも都市当局でもはいり得るし,鉱山学者のなかにはいっさいの名誉ある市民がはいり得るのである。最後に私たちは鉱山官吏をも含める。有名なギリシアの歴史家トゥキュディデスがそうであった。アテネ市がタゾス鉱山の管理をトウキュディデスに委託したのだった(注10)。しかし鉱石の採掘にいくらかの骨折りと労力を費すことは,鉱山役人にも,とくに鉱山に自分で経費を投じているようなときは,不似合いではない。ちょうど自分で田畑を耕すことが,高位高官の人びとにおかしくないのと同様である。でなかったらローマの元老院はちょうど畑を耕していたキンティウス・キンキンナトスを独裁官には任命しなかっただろうし,また市民の指導者たちをそれぞれの田舎の領地から元老院に迎えはしなかったろう。同じようにまた現代においてマクシミリアン皇帝はあのコンラートを伯爵と呼ばれる貴族の列には加えられなかったことだろう。つまりコンラートはシュネーベルクの鉱山で働いていた時分は非常な貧乏をしていた。それゆえまた貧乏神の異名を持っていた。しかし2,3年たってロートリンゲンの町であるフィルストの鉱山で金持ちになったとき,当たり屋のあだ名を貰った。またヴラディスラフ王も,昔ダーシャと呼ばれたハンガリア王国の一地方にある鉱山で大儲けをしたクラカウの一市民ツルゾウスを男爵の列には加えなかったことであろう。
 
そうだ,鉱山の卑しい人びともばかにはならない。なぜなら昼勤と夜勤の仕事になれた鉱山の連中は異常にたくましい体力と耐久力を持っていて,必要とあらば楽らくと戦時勤務の苦労と要求に耐えるのである。なぜならこの人びとは夜おそくまで起きて鉄の器械を扱ったり坑を掘ったり,横坑を 穿 うが ったり,工具類を造ったり,重い荷物を運んだりするのである。だから戦争の達人は都会人を避けるだけでなく,さらに田舎の人たちまでもさしおいてまず鉱山の人びとを選ぶ。
 
この議論を結ぶために最後に一言。高利貸,戦争屋,商人,農夫,鉱山師,この人たちの利得はいずれも非常に莫大である。しかし高利貸は憎まれ,戦争利得は残酷な方法で,被害者になんの罪もないのに神の秩序にそむいて,民の財産から奪い取られたものである。そして鉱山師の利得は名誉と端正においてはるかに商人の利得をしのいでおり,農夫の利得と相匹敵する。ただ農民の利得よりもはるかに巨額なだけである。
 
したがって,事は明瞭である。鉱山の仕事はきわめて誠実な職業だ。さて多くのお金を正しい方法で得るということはもっとも偉大なもっともよい事がら10箇条のうちの一つなのであるが,熱心勤勉な人だったら,確かにどの方法によるよりも鉱山業によったほうがいちばん簡単にこのことをなし遂げる。
 
<訳注>
(注1)アグリコラの時代には,この3金属はみな鉛と呼ばれ,錫, 蒼鉛 そうえん ,鉛がそれぞれ plumbum candidum(白光鉛),plumbum cinereum(灰鉛),plumbum nigrum(黒鉛)であった。
(注2)De veteribus et novis metallis,libri II,Froben,Basileae MDXLVI.
(注3)Ovidius. ローマの詩人。
(注4)ストア哲学の見解によれば徳は理性にかなった行為であって,これを人に教えることができる。
(注5)ギリシャの1ミーネは約78ないし79マークである。
(注6)ギリシャの1タレントは60ミーネであった。
(注7)クリウス等が征服した中部イタリアの古代住民。
(注8)スキテン人はドナウ地方黒海沿岸の昔の住民。
(注9)ショッペンは約半リットルないしは4分の1リットル。
(注10)トゥキュディデスはむしろタゾス島の対岸のトラキアのある鉱山を永代租借していて,よくここで過ごした。

第2篇 『デ・レ・メタリカ』に関する三つの断片

第1節 『デ・レ・メタリカ』ーー技術と科学との連けいーー

火をつかう術を知った人間が,さらに金属を溶かすことのできるところまで辿りついた歴程は,どんなに時間的に長かったことであろう。それは,その間において人類の知性が磨かれた,実に永遠といっていいほどの長い歴史に外ならない。知性が術をみちびいたのでなくて,ノワレが『道具と人類の発展の歴史にとってのそれの意義』(1)でもって明らかにしてくれたように,道具をつかう人間が行なう「 つくる ・・・ 動作」が,知性という人間にのみ具わっている能力をいつか蓄えさせたのである。考え,当惑し,やり直し,世代から世代へと手渡し,工夫と製作の連続のうちに,いつか人類は自分の歴史を創造したのである。
 
知性の はたらき ・・・・ とそれが生み出したもの,つまりたくさんな知識とは,人間たちの つくる ・・・ という行動とはまったく別なひとつの世界を創造したのである。数学と哲学とはこの別の世界に対して名づけられた名まえである。数学と哲学とが,あたかもどこででも使える道具のような知識(それを人びとは法則と呼ぶようになったのであるが)を殖やし,秩序だてていった。法則は組織づけられれば組織づけられるほど, つくる ・・・ 行動の世界とは直接に結びつきにくくなった。人間たちの つくる ・・・ 動作は行動の世界にとどまっていることが自分の本性であり,法則の世界すなわち純粋に学問の世界の方は人間たちの行動の現実性で掻き乱されぬような状態にあることがその本質である。アルキメデスがローマの軍隊に襲われたとき,彼がまずいいはなったもの,「私の円を乱さないでくれ」(Noli turbare circulos meos.)という言葉は,人間たちのはげしい行動の世界と静かな法則の世界との区別を,私たちに印象深く物語ってくれている。行動の領域と法則の領域とが別々な空間を占めていたのが,中世ではなかったろうか。
 
しかし,もともと知性は技術的な行動のなかから発展したのであるから,知性がふたたびもとの母胎のなかにもどることはできないにしても,これと結びつくことはあってよいはずである。とうとうこの二つが結合する日がきた。技術が科学とのつながりをもつという近世的発足は,個人の工房や個人の学的才能からは起こってこなかった。中世の僧院も学院も,技術と学問の結合を媒介しはしなかった。この媒介をなしとげ得たものは,ほかでもなく,中世の終わるころからすでに現われはじめていた「生産する社会」であった。
 
技術の科学へのつながりのはじめをなすめぼしいものは,鉱山業であったように,私には思える。マチョッスは当時の事情をこういうようにのべている。「金属がだんだんと欲しがられるようになった。その価額はひどく高かった。注文や問い合わせが鉱業をひき起こすことを強く促すようになり,その要求は農業の重要さを没却させるほどになっていた。金属の鉱石となると,ハルツ(ドイツ地方の山丘地帯)が問題になるが,ここでは鉱山の人たちはもう千年も前から銀やその他の金属を採取していた。11世紀には鉱業と名のつく仕事がはじまっていた。ハルツはドイツの鉱業の学校のようなものだった。12世紀の終わりにはフライベルクにあの名高い銀の鉱山がはじまった。マンスフェルトでは13世紀のはじめには銅の鉱業が起こった。アルプス地方やシュレジェンでもまもなく銅の鉱石が見いだされた。銀はエルツ地方やエルザッスやティロルで,鉛はアイフェルで,錫はエルツ地方で,金はベーメンやメーレンやザルツブルクやケルテンで,それぞれ採掘されはじめた。……鉄はハルツ,チューリンゲン,アイフェル,フィフテル地方その他多くの地方でもう鉄鉱業といっていいほどの鉱山で掘られていた。」(2)なおマチョッスは,中世では,ことに15世紀から16世紀へ移るころでは鉱山業と金属業とがドイツの国民経済を支配し,1525年には10万人もがドイツ国内で採鉱と冶金の業で生活していたとものべている。
 
ノイブルガーが「鉱業がなくては技術はない」といったことは,昔ギリシアでソクラテス,クセノフォンのころに「農業がなくては技術はない」といわれたことが真実であったように,中世の終わりごろではもう十分に当てはまる,ひとつの技術観であったと思えるのである。15世紀,16世紀といえば,レオナルド・ダ・ヴィンチが技術的天才を示し,グーテンベルクが金属で活字をつくり,一般に鋳造技術が進歩しはじめた時代であり,私たちがこれからのべるであろうアグリコラの『デ・レ・メタリカ』が書かれた時代なのである。さらにこの時代は,近代の科学の誕生と呼んでいいコペルニクスの地動説(1843)が確立した時期であることを想い起こすことにしよう。
 
さきにのべたように,技術が科学とのつながりをもちはじめたのは,中世の終わりごろから起こりはじめた「生産する社会」の せい ・・ であることは確言されてよかろう。さて,その社会の中ことに生産する げんば ・・・ に出入したひとりの学者によって,冶金の学術の書物『デ・レ・メタリカ』が書かれたことは,すばらしい意義をもっているといわねばならない。この書を称賛した人は少なくないが,私はとりわけゲーテをここにひき出してみたいと思う。というのは,自然科学のうちでメカニズムを基礎づける学問にはさほど同情的ではなかったゲーテすらもが,称賛を惜しまなかったということを,合わせ考えてみたいからである。
 
「私たちはなお今日でもその書物の存在を驚嘆をもって見ている。というのは,その著述は,古い鉱山業と新しい鉱山業,古い冶金学と新しい冶金学,古い鉱石学と新しい鉱石学,そういったものの全体を包含していて,しかもその全体が私たちにひとつの美しい贈物として提供されているからである。アグリコラは1494年に生まれて,1555年に歿した。だから,彼は新しく勃興しまもなくその最高の頂点に達し得たあの美術と文学のこのうえもなく高く美しかった時代のうちに生きたのだった。」(3)
 
ゲーテにこのように称賛されたアグリコラ(4)はそのすばらしい労作(12巻)を1553年にはすでに完成していた。この書は次のような言葉で書きはじめられている。
 
「多くの人は鉱山のことといえば,何かゆきあたりばったりのもので,汚い仕事,技術も学問も肉体の骨折も要らない仕事だと考えていた。しかし,採鉱の部門部門をこまかに思いめぐらしてみると,決してそうでない。なぜなら……」とアグリコラはこの「なぜなら」に答えて説明したうえで,「鉱業者は実際の術と科学とに精通していなくてはならぬ」といい,その学術と呼ばれるものを七つほどあげている。それは哲学(これは今でならば物理学と呼ぶのが適当であろう)・医学・天文学・度量学・計算術・図画法・法律学の部門である。私たちは「自由なる技術」といわれたものが七つであったことを見てきたが,かつて古代中世を通じて七つの学術のなかに加えられることのなかった計測に関する学術が,ここに三つも加わっていることに留意しないではいられない。医学の必要は坑夫のためだといっているのがまず私たちの心をひくが,今の場合私たちにとっては,天文学のほかに度量学,計算術,図画法の必要があげられていること,のみならずこれらの学術が実際に生産の場でなくてはならぬことを逐一その関係の事項のところでのべていることがとくに注意される。
 
技術と科学との つながり ・・・・ は,他のどんな点においてよりも,生産の場で技術を成りたたせているもろもろの成素(素材や手段)が測られるということによって,まず実現する。だから,道具や機械のような生産労働の手段,そうした労働の対象つまり材料や資源を量的に測定する必要が出はじめたとき,計量の道具を通じて技術は科学の法則の世界へと近づいてゆくのである。ここでなら,法則の世界は技術へといつでも門戸を開いてくれる。
 
僧院に出入したロージャー・ベーコンは「実験の学問」ということをいいはじめたといわれているが,冶金の生産の場では試験してみることが必然的に要求された。アグリコラは鉱石や金属や媒熔剤を量るためにぜひ天秤が必要であることをのべている。彼は3種類の天秤を図でもって示している(233頁参照)。「第1の天秤のうちで最大のもの,鉛および媒溶剤を量る。第2は試験する鉱石および金属を量る。これは第1より鋭敏である。第3は精錬のときに皿に残った金粒や銀粒を量る。これは最も鋭敏である。」(5)と記している。そしてさら「第2で鉛を量ろうとしたり,第3で鉱石を量ろうとしたら,ひどく傷んでしまうだろう。」とこまかい技術的な指示をもつけ加えている。彼は金属試験に必要な,精細な数字の入っている表をいくつもあげている。
 
当時の採鉱と冶金の げんば ・・・ にはもちろん専門の学問に通じていた技術者はいなかった。けれど,もう15,6世紀には,鉱山はアグリコラのような科学者を呼びよせるほどの「社会的」な力を具えていた。アグリコラはもと医師として鉱山へとひきよせられたのであった。「私はイタリアで数年間医学と哲学を研究したが,そこからドイツに帰ったとき,私の心にあったものは,鉱石の産地での仕事,差しあたってはヨーロッパのうちで最も銀に富んでいる山での仕事にはいりこみたいということでしかなかった。けれど,私がそうした仕事に情熱を燃やしているときは,まだ鉱山のことに通暁しているということがいえるには 覚束 おぼつか なかった。だから,私の友人の勧めに従ってヨアヒムスタールで医師として働くことに決心したのであった。」そう彼はのべている。
 
当時ヨアヒムスタールはすでに鉱山町になりかけていた。1516年から26年のころには,坑夫長といわれる者も何百人もい,坑夫は8000人も働いていたといわれている。
 
(1)L.Noiré,Das Werkzeug und seine Bedeutung für die Entwickelungsgeschichte der Menschheit,1880.〔邦訳(三枝訳):道具と人類の発展,1954年,岩波文庫〕
(2)Conrad Matschoss; Grosse Ingenieure,S.62.
(3)Göthe; Farbenlehre.
(4)私〔三枝〕の著述『技術の思想』収載の「アグリコラの『デ・レ・メタリカ』」を参照.
(5)Agricola; De re metallica.(私の引用は,マチョッスの序文附にてC・シッフナーほか7人の協力者によって翻訳され,アグリコラ協会から出版された独訳本の219 - 230頁の間から.)

第2節 今日のアグリコラ研究(遺稿1)

「今日のアグリコラ研究は,彼の時代の全現実を,あの時代に固有の諸矛盾をもってつかむという課題のまえに立っている。」

エアウイン・ヘルリッチウス(フライベルク)

 
⚪️彼の時代
「アグリコラが生まれた年は,1494年,コロンブスの大陸発見の直後,2年目です。3月24日,サクソニーのグラウハウ(Glauhau)で生まれました。ですから,ルネッサンスの初期(threshold)であったわけです。グーテンベルクの活字印刷の本ができて40年目です。またヒューマニストたちの批判の活動がはじまり,やがて Reformation をひきおこさせることになったころです。ヒューマニストのなかのエラスムス(1465〜1536),彼はアグリコラの友人であり,パトロンでありましたが,(パリ留学の1年前)修学の時代でありました。
 
ルター(1483〜1546)はまだ12,3歳というときですから,宗教改革はもっとさきにはじまるというときでありました。これからおこる大きな運動のまさに揺りかごであったわけです。
 
アグリコラはこのような矛盾衝突のはげしさの動きから遁れることはできませんでした。当時イタリアはちょうど古典復興の さなか ・・・ であり,古典の探索, ほんやく ・・・・ ,研究,公刊,そうしたことの行なわれる,まるで 仕事場 ワークショップ みたいなようなものでありました。イタリア以外のヨーロッパの国ぐにの俊才たちが,イタリアへ,イタリアへと flock しました。アグリコラもそのひとりであります。」
 

  • アグリコラの幼年,少年時代は明らかでない。

 

  • 早く(1518年ごろ?)からラテン語,ギリシア語を習ったこと。そしてまもなく,彼自身その方の先生になった。ツウィカウの市立学校の副校長になりました。ルターの聖書翻訳の協力者(collaborator)として知られているヨハッネス・フェルスター(J.Förster)は,そのときアグリコラを助けた(アッシスタントの)ひとりであります。そのころにアグリコラはもうラテン語文法の本を公刊しております。それからライプチッヒに行き,講師になるのでありましたが,ここにいたモゼラヌス(Petrus Mosellanus)がなくなりましたので,イタリアに行き,ここで哲学,医学,自然科学を学びました。ここに1524年から26年に至る3年のあいだ遊学しました。イタリアで自然科学への情熱をよびおこされたことと,エラスムスと知己になったこと〔は注目すべきこと〕であります。

 
1526年にツウィカウに帰り,ヨアヒムシュタールで町医者になりました。この町はボヘミアの小さい都市ですが(ここあたりいったい鉱山地でありますが),その鉱山地の西によったスロープに陣どっているのでした。このヨアヒムシュタールの街を中心に50マイルの半径で円を描きますと,その中に当時有名な鉱山がいくつもあります。アグリコラの主著『デ・レ・メタリカ』のなかにしばしば出てきます鉱山のシュネベルク,ガイヤー(Geyer),アンナベルク,アルテンベルクなどがみんなこのなかに這入ります。
 

  • 町医者ーー本草

  • 鉱山の現場を熱心に採訪しました。

  • ラテン語,ギリシア語の鉱山関係の文献の探 さく ・・ と研究に没頭しました。

  • 『ベルマッヌス』1530年や『デ・メーンスリィス・エト・ポーンデリブス』(De Mēnsuris et Pönderibus)1533年などが公刊されはじめた。

  • 『デ・メーンスリィス・エト・ポーンデリブス』はローマおよびギリシアの度量(measures)と衡(weights)の研究である。

  • 「トルコ」についてーーヒューマニズムのうえに立った明るい政治的見解がみられます。つぎに著述活動でありますが,......。

 
⚪️アグリコラの著述
アグリコラの著述を年代の順で,しかもそれと初版の年代においてあげてみると,次のようになる。
1. Bermannus(ベルマヌス)1530年
2. De Mensuris et Ponderibus(度量衡について)1533年
3. De Natura Fossilium(発掘物の本性について1546年
4. De Ortu et Causis Subterraneorum(地下物の生成と原因について)1546年
5. De Natura eorum quae Effluunt esc Terra.(地中からの流出物について)1546年
6. De Veteribus et Novis Metallis(旧い鉱山業と新しい鉱山業)1546年
7. Rerum Metallicarum Interpretatio(鉱山学用語解説)1546年
8. De Animantibus Subterraneis(地下の動物について)1549年
9. De Precio Metallorum et Monetis(金属の価値と貨幣について)1550年
10. De Re Metallica(デ・レ・メタリカ)1556年
 
⚪️『デ・レ・メタリカ』
この本ではメタールムメターリクスという二つの ことば ・・・ がしばしば用いられるが,もちろんデ・レ・メタリカのメタリカ,つまりメターリクスは「金属のことにかかわる,鉱山の仕事にかかわる,鉱山の仕事についての」という意味。さらに鉱山で働く人,したがって,鉱業者,坑夫などの意味でつかわれています。メタールムの方は地中から掘り出されたもの,金属をさしています。しかしそれと別に鉱山をさすというようになっています。
 
そこで,「デ・レ・メターリカ」であるが,なんとこれをよんだらよいか,それは,この本に何がかいてあるか,アグリコラはそれについて何をかいたと言っているか,ではっきりするわけであります。
 
内容(アグリコラ)
「本書の1の巻は,この技術に対し,また鉱山および坑夫に対し反対者のいわんとするところを包含しています。2の巻は鉱山者はいかにあるべきかを教え,さらに鉱脈の発見に関する詳論に及びます。3の巻は鉱脈,亀裂および岩層について論じます。4の巻は鉱山の区画を論じ,また鉱山関係者の職分をのべます。5の巻は鉱坑掘鑿の方法および鉱区測量の技術を示します。6の巻は鉱山業用の器具および機械について記します。7の巻は鉱石試金法について取り扱います。8の巻は鉱石の煆焼,粉砕,洗鉱および酸化の過程についてのべます。9の巻は鉱石熔解の方法を論じます。10の巻は金銀分離および鉛と金銀との分離の方法を鉱山業者に教えます。11の巻は銀銅分離の方法を示します。12の巻は塩,曹達,アルミニウム,硫酸塩,硫黄,瀝青および硝子の製法をのべます。」
 
書名のよみ方
 
ですから,けっきょく 鉱山技術のぜんたい ・・・・・・・・・ を組織的に叙述したものであります。メターリクスのぜんたいについてのべたものであります。それで,「冶金誌」とよむのは片よっており,鉱山技術誌とよむのがあたっていましょうが,それでもしかし,たんにいわゆる技術誌のみではありませんで,鉱物学,測量学,鉱業文化史などまことに広範にわたっていますから,各国ともそうしているように「デ・レ・メターリカ」とよむのがよいかと思います。
 
⚪️「デ・レ・メタリカの意義」
アグリコラはげんばの技術者ではない。しかし,仕事のげんばにはじつにくわしかった。そのぜんめんにわたっていた。しかも,どこに片寄ることがなくて,キンコウを得て,これを叙述したのであります。土壌や石にくわしいほどに鉱物学にくわしく,鉱物学にくわしいほどに,鉱石学にくわしく,鉱石学にくわしいほどに, 冶金精錬 ヨーユー のことにくわしく,冶金精錬のことにくわしいほどに道具や機械にくわしい。それと同じように,鉱石試験や度・量・衡にくわしいのであります。
 
私はアグリコラの「デ・レ・メターリカ」の意義と価値はつぎの点にあるとおもう。
 
知性の平衡と透徹の美しさ,ということです。アグリコラより一歩前にまたはほぼ同時代に,たとえば鉱石学の書物を書いた人がないのではなく,3,4の人をあげることができます。そのなかで,「ノーメーンクラーチューラ」(術語集)の著者のケントマン(Kentmann)のような人がありますが,もっともいい例はウルリッヒ・リーライン(Rühein)という人の「鉱山必携」(Nützlich Bergbüchlin)であります。さし絵は単純で指示にならず,叙述は片寄り混乱錯雑しております。それに反し,「デ・レ・メターリカ」は,……。
 
またゲーテは「私たちはなお今日でもその書物の存在を驚嘆をもって見ている。というのは,その著述は,古い鉱山業と新しい鉱山業,古い冶金学と新しい冶金学,古い鉱石学と新しい鉱石学,そういったものの全体を包含していて,しかもその全体が私たちにひとつの美しい贈物として提供されているからである。」
 
ゲーテはかつて「カントの本をよむと,クラーレス・チンマーに入って……」といった。きっと,ゲーテは,この本の構想と叙述の仕方に出ている知性の美しさにうたれたにちがいありません。もちろん273枚の木版画の美しさも考えてのことであったでしょう。
 
私は「デ・レ・メタリカ」から離れて,アグリコラの生涯の活動のぜんたいに移りましょう。
 
「デ・レ・メターリカ」の著者のような人物が,あの矛盾の多い時代に生きましたとき,この人物はどういう生き方をしますでしょうか。
 
ルターの95条の発表は1517年であります。
 
古典研究と自然科学への情熱がすでにもえあがりつつあったときに,この青年はプロテスタント運動に共感しないわけはありません。伝記作者のつたえるところでは,「彼は法皇党の人びとの破廉恥な免罪説の流行に反抗して,諷刺的な機智と古典的な表現とをもってものした諷刺的警句(エピグラム)を,ツウィカウの大通りの建物に公然と貼りつけさせた。」
 
「法皇の賽銭箱の中でジャラジャラ音をたてるお金がもし私たちを救うものなら,あわれな貧乏人よ,お前たちはそこでは迷い子になる?」
 
しかし,アグリコラは新教徒ではついになかったのであります。……(モリッツ公のこと。)
 
モリッツ公にアグリコラがおくった告白……「無罪において,しっかりとこれを持してさえおれば。だがしかし,私は落着きのない 事務 しごと には巻きこまれたくありません。そしてそれによって誰でも他人の感情をそこねたくありません。それよりも私は黙っている方がよい。」
 
当時,ルター派の学者や著述家の多くの無思慮なやり方,新教の新しい信者たちの破廉恥の生活があったらしい。偶像破壊につれて狂信的蛮行があったらしいのです。アグリコラはヒューマニズムの立場から,これらに対し抵抗したのであります。プロテスタントへのプロテストであります。アグリコラのやり方はここでも念が入っているということができます。
 
「市長でもあったし,国王から年金を賜わった人物でもあり,さらに住宅を支給されていた王室歴史家でもあったアグリコラ,この人の死骸なら当時の習慣では当然本山の墓所に葬らるべきだった。それなのにこのことは当時の市の上級裁判所からきっぱりと拒否された。それのみならず時の牧師であった新教の地方監督の M. Joh. Tettelbach は,アグリコラは市の区域内のいかなる墓所をも拒絶さるべきものだとさえ決定した。こういう処置について選挙アウグストに仰いだ報告と決 さい ・・ に対するこのときの返書は教会当局の決定を承認したのだった。やむなく彼の亡骸は,数少ない友人がケムニッツから7哩ほど離れたツァィツの当時の僧正 Julius von Pflug に頼みこむまであたかも背教者の死でも取り扱うように,死後5日間も埋葬されずにほっておかれた。」
 
彼の著述活動は広汎で,数えますと10分野にわたります。そのなかには法律学のものがありますが,それを省くと9つになります。
 
400年祭のこんどの著述で,フライベルクの H. Wilsdorf がアグリコラの著述の公刊と,死後のアグリコラの著述の公刊と,研究家たちの仕事の公刊とを色分けにして,表をつくってみております。
1. オレンジ色……文献学的なもの
2. 褐 色…………歷史的研究
3. 赤………………政治に関するもの
4. 黄………………経済に関するもの
5. 紫………………医学に関するもの
6. 薄 紫…………動物・生物学に関するもの
7. 緑………………地質学・鉱物学に関するもの
8. 空 色…………ベルマヌス
9. 黒………………採鉱・冶金およびこれをめぐるすべての鉱山技術

第3節 日本と西欧の鉄鋼冶金の記録について(遺稿2)

ーーとん・ちん・かんの歴史ーー
 
とんちんかんというと,もののうけとり方があべこべだったり,ちぐはぐだったりすることだと,普通にはとられている。頓珍漢ということばもあるくらいである。しかし,このことばはもとは村の鍛冶屋からきこえてくる音であるようだ。大鎚と小鎚とが交互にうちならす音,これがとんちんかんのもとらしい。とんちんかんは,刃ものをつくるためのはがねづくりからおこったことである。とんちんかんは人類がながいあいだやってきた鉄鋼冶金の技術と労苦を語るものである。
 
鍛冶場からきこえてくるとんちんかんの音のことを書いた西欧の鉄冶金の記録にはまだ出くわさないが,西欧でもっとも旧い,しかもすばらしい冶金誌である『デ・レ・メタリカ』には鉄鋼冶金の節に,「鍛冶の鎚の響は非常に高く鳴って遠いところまで聞える」と書かれている。
 
私は田舎に生まれ田舎で育ったから,村にはどこでも一軒や二軒はあった鍛冶屋のとんちんかんの音は,耳底に記憶としてのこっている。大鎚はでっち(丁稚)といわれた小僧がうち,小鎚は親方がうち,このときの音はじっさいにはトッ・チン,トッチンときこえたとおもう。トッは大鎚のチンは小鎚の音だったとおもう。しかし,トッチン・カンという擬音もあったろう。小僧の大鎚は向鎚と呼ばれていた。西欧の鉄鋼技術の記録,さしむき,さきの『デ・レ・メタリカ』では丁稚小僧などとは書かれてなく,「少年工」としてある。少年工はどんな仕事をしていたかというと,向鎚をうつのでなく,一打ちごとに焼けた鉄に水を注ぐ仕事であった。こう書いてある。「鉄の一打ちごとに,少年は柄杓でもって,鍛冶工が打っている熱鉄のうえに水を注ぐのである。」
 
アグリコラの『デ・レ・メタリカ』は1556年に出版された。だからずいぶんふるい。日本でいうと,天文と永禄のあいだのころである。12巻からなっていて,絵も多く入っており,内容はたいそうためになり,美しい本である。ゲーテはひどくこの本を賞めたことがある。
 
さて,鉄鋼の精錬のことが述べてある本として『デ・レ・メタリカ』はたいそう貴重なものだが,鉄鋼の冶金法についてくわしく述べてあるとはいえない。いっぱんに鉱石を製錬する方法を述べる1巻のなかで,簡単に述べている。とうてい金や銀や銅の精錬の叙述のくわしさには比べられない。そして,鉄や鋼をつくる炉についてとくべつ述べることをしていない。「とくに良質な鉄鉱石は精錬炉にいくぶん似た炉で溶解される」というくらいに書いている。前出の絵(本文370頁)のなかに見えている炉がそれである。(Aは窯,Bは給装物のつんであるところ,Cは流れ出る鉱滓,Dは生鉄(粗鉄)の塊,Eは木槌,Fは大型の鉄鎚,Gは鉄敷である。)それから鋳造のことを述べてみるつもりであったらしいが,ついに述べてない。しかし,鉄をつくることと鋼をつくることは,分けて記している。これは貴重な記録である。
 
『デ・レ・メタリカ』よりも少しおくれて1574年にラザルス・エッカーの『鉱石と製錬』という本が出ているが,このなかでは,つぎのようなことしか記されてない。「ぶなの木炭,またはその他良質の木炭を強く燃やし,そのなかに鉄を入れこんで,強烈に,そして長く長く熱すると,鉄から鋼が得られる。」これに比べると,アグリコラのはもっとくわしい。鋼の知識と技術はもちろん古代ギリシアから知られていた。ストモマと呼ばれていた。
 
鉱石から鉄をつくることもかなりくわしくのべている。それよりも,鋼精錬の記録が注目される。それには坩堝をつかっている。坩堝の大きさは「幅一呎半,深さ一呎までがいい」といっている。
 
ギリシャ人のいったストモマ(鋼)のつくりかたを,アグリコラはつぎのように記している。
 
「冶金術はこうして火により媒溶剤を用いて鉄を製し,鉄からギリシャ人たちがストモマ(στόμωμα)と呼ぶ鋼鉄をつくる。これには,すぐ柔らかくなるが,普通は固くて延ばし易い鉄を選ぶ。他の金属を含んでいる鉱石を溶解して取った鉄をふたたび熱すると,たいてい柔らかく脆くなる。この種の鉄は熱したままの時にまずこまかい片に砕いて,次に破砕した媒溶の石を混じなければならない。それから鍛冶火床の中に,金銀鉱石を溶解する炉の前炉とおなじ材料の粉末を濡らしたもので坩堝をつくる。この坩堝は幅一呎半,深さ一呎までがいい。鞴口から吹きつける風が坩堝の真中に当るように備を備え付ける。次にこの坩堝に最良質の木炭を詰め,まわりを石で囲んで,鉄片およびその上に載せた木炭をまとめて抑える。木炭が燃え始め坩堝が灼熱したころを見計らって,鞴から風を吹き込む。続いて親方は鉄と媒溶剤を適当と思われる分量だけ注ぎたす。すべてがどろどろになったら,そのまんなかにその一つ一つが30ポンドの重さを持った生鉄〔粗鉄〕の塊を4個だけ入れて,鉄桿で液に溶けた鉄を幾度も掻き回しながら,強い火力で5ないし6時間だけ熱する。掻き回すと溶けた鉄の小さな気泡が溶解物のいちばんゆるく溶けた部分を吸収する。そしてこのゆるい部分が自分自身の力でこってりした溶解部分をとかして,これを脹れさせ,こってりと固い部分は柔わらかくなって捏粉のようになる。それからひとりの助手に手伝わせて親方は溶解物の一部をやっとこで鉸み,取り上げて鉄敷の上にのせ,水車で交互にもち上げたり落したりされる鎚で平たく打ち延ばす。最後にまだ熱が冷めない間に急いで水に入れてこれを冷やす。急激に冷却したものをふたたび鉄敷に載せ,鎚でたたいて砕く。その割れ口の様子から判断して,一部がまだ生鉄のままであるか,あるいはすっかり密な構成になって鋼鉄に変じているかを見る。それからやっとこで次々と坩堝の中の残りの部分をはさんで取り出しこまかく分ける。次に坩堝内の媒溶剤をあらためて加熱し,生鉄塊が吸収した部分を補うために新しい媒溶剤を追加し,これで後に残った部分の力を高める。この力でふたたび注ぎ込まれる生鉄の塊はあらためていっそう純化する。生鉄がまず加熱されてから同様に係はふたたびやっとこでそれを鉸み,鎚の下へあてて延棒につくる。延棒は一本一本まだ熱しているうちに手許に用意した冷えきった流れに突込む。こういう方法で鉄は成分が密となり,鉄よりもずっと固くしかも柔らかな純粋な鋼鉄に変ぜられる。」
 
さて,日本でのこっている鉄と鋼のつくり方の記録は,ずっと時代がさがっている。1784年のころに完成している『鉄山必要記事』(下原重仲著)や1821年の『剣工秘伝志』(水心子正秀著)あたりから,技術の記述がやや正確になっているといえよう。
 
西欧のものと日本のもの,それから中国のものも加えて,比較研究してみることはおもしろいことである。