POETRY

逍遙エロイジスの祭典

シラー

木村謹治訳

May 1795. September 7th, 1798|Archived in March 14th, 2024

Image: Caspar David Friedrich, “Man and Woman contemplating the moon”, circa 1824.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

原文ママ。
本文内に振られている註(「※68」〜「※79」)は、底本の順序のままである。
底本の①ルビの位置(ex. 「逍遙」内の初出ではなく次出の「綠」に振られた「みどり」 etc.)②誤植(ex. 「エロイジスの祭典」内の「狩獵者」と「獵者」の混在」)③用語の不統一(「逍遙」内の「睦び合つて」と「エロイジスの祭典」内の「むつび合う」「むつませ」)は、そのままである。一部漢字(「送」)は、仕様により旧字体に変換できなかった。

BIBLIOGRAPHY

著者:フリードリヒ・フォン・シラー(1759 - 1805)訳者:木村謹治
題名:逍遙|エロイジスの祭典
初出:1795年5月(逍遙)|1798年9月7日(エロイジスの祭典)
出典:『シラー選集(一)』(富山房。1941年。122-134、135-149、273-274ページ)

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逍遙

いただき 眞紅 しんく の色に染めなせる山よ、わが會釋受けよ!
いとしくも山頂を照らせる太陽よ、わが會釋受けよ!
潑刺たる野原よ、なんぢ も。葉をそよがせる菩提樹よ、
枝枝に囀るたの しき小鳥たちよ、汝らも。
褐色の山脈を包み、綠の森の上に、
更にわれをも包みて無限にふりそそぐ
沈靜なる靑味よ、汝も。このわれは遂に
牢獄の如き書齋より、窮屈な會話より遁れ來て
愉しく汝の許に救はれてゐるのだ。
馥郁たる大氣のながれ 清清 すがすが しく身に沁み、
活氣ある光渴せるひとみ を爽かにする。
花咲く牧場には千變萬態の色彩輝き、
美しき花の競ひは優しく融け合つてゐる。
草原ははるばると廣ごる毛氈もてわれを迎へ、
ひな 小徑 こみち は好ましきみどり の中をうねり走り、
蜜蜂はせはしげにわがめぐりに唸り、
胡蝶は思ひ惑ふはね 顫はせながら
赤味がかつたクローバーの上にゆら いでゐる。
われは赫々たる太陽の直射を浴びる。西風は靜かに憩ひ、
澄みたる空󠄁󠄁󠄁󠄁を震はすは、唯だ 雲雀 ひばり の歌ばかりだ。
されどこの時、近くのくさむら から一陣の風起りて
赤楊 はんのき 赤の樹頭低く傾き、白銀の草吹く風に波打つ。
淸涼な闇がわれを包む。かほり 高い 山毛欅 ぶなのき のすばらしき屋根が
冷々 ひえびえ と蔽ふが如くにしてわれを迎へ入れたのだ。
忽ち風景は森の秘境に没し去り、
蜿蜒たる 小徑 こみち 次第に高くわれを運んで行く。
繁れる枝の格子より愼ましき 光竊 ひそか に射し込み、
蒼空󠄁󠄁󠄁󠄁は徵笑を洩らして覗いてゐる。
されど突如としてヴェールは落ち、森開けて不意に
われ再び眩しき の光に歸る。
渺茫とした遠景が私の眼前にひら け、
青い山脈が霞みながら天地をかど つてゐる。
眞下 ました にある深い斷崖の底を
みどり つ鏡の如き川が波打ちながら流れてゐる。
上にも下にもきはま りなきそら をわれは感じ、
くら みながら上を、 おのの きながら下を覗く。
されど窮りなき高みと窮りなき深みの間を
一筋の柵ある小徑がわれを安全に導き行く。
變化に富める川岸が莞爾としてわがそばを過ぎ行き、
綺羅びやかな谷間は樂しい努力を讃へてゐる。
見よ、あの線を! 農夫らの財產を分けてゐるあの線を。
あれはデメーテルが平野の毛氈の中に編み込んだものだ。
慈悲深い法典よ、愛が靑銅時代から逃げ去って以來、
人間をたす け給へる神の法典よ!
整然たる田畠は益〻 豁然 くわつぜん として紆曲しながら交叉してゐる。
或時は森蔭に隱れ、或時は山裾を這ひ上るやうにして
國國を結ぶ街道が仄光りながら帶狀に續いてゐる。
筏が、ゆるやか に流れる川の上を滑つて行く。
家畜の鈴の音が 生々 いきいき した綠野に嫋々として鳴り響き、
羊飼 ひつじかひ の歌が寂しく 反響 こだま び起してゐる。
生氣に溢るる村落が川を飾り、或村は
木立隠れに山の脊より嶮しく川へ落ち懸かつてゐる。
人間は耕地と共に昔に變らず睦び合つて住んでゐる。
彼の耕地は平和に素朴なる家を取圍み、
葡萄の蔓は親しげに低い窓に沿うて絡み上り、
立木は家のめぐりに抱くが如く枝を延ばしてゐる。
幸福なる綠野の人人よ! 今も尚ほ自由に目覺めず、
君らは心愉しく君らの耕地と共に窮屈なる法則を分ち合つてゐる。
收穫の安らかなる循環は君らの希望を制限し、
君らの生活は一日の仕事さながらに手繰られてゐるのだ!
けれど突如として好ましき 眺望 ながめ をわれより奪ふは誰か。
新奇なる精神が一層變化せる平野の上に速くも廣がる。
今しがたまで愛を以て結合されたものが脆くも分離して、
唯だ同形のものが同じやうに列んでゐるばかり。
同種の一團が作られて行くのが見える。 白楊樹 はんのき の誇らしげなる血族が
整然として優雅壯麗に列をなしてゐる。
一切に規則が立てられ、一切が精選され、一切が意義を持つて、
この順列はわれに支配者を告げてゐる。
綺羅びやかに照つてゐる遠くのまる 屋根が支配者の存在を傳へ、
巌の礎石の上に聳え立つ都市が盛り上つてゐる。
森の神は荒野の中に追放されたが、
しかも信仰(※68)は石材に より 、、 高い生命を與へてゐる。
人間は人間と近づき合つて、環境は愈〻狭まり、
愈〻活氣づいて(※69)世界が一段とはや く人間の周圍を廻轉してゐる。
見よ、そこには熱狂する力はほのほ の如き闘争の中に燃え上り、
力の鬪爭は偉大なるものを作り、力の結合は より 、、 偉大なるものを作り成す。
一つの精神は幾千の手を鼓舞し、幾千の胸は
一つの感情󠄁󠄁󠄁󠄁に燃えながら高く鼓動し、
唯だ一つの心となつて祖國のために波打ち、祖先のおきて のために燃えてゐる。
この親愛なる地下には彼らの尊き遺骸が眠つてゐる。
幸福なる神神が天から舞ひ下つて
神域の中に莊嚴なる 住居 すまゐ を構へてゐる。
神神はすばらしき贈物を携へて現れたのだーー
先づツェーレスが一番に鋤を贈り、ヘルメスは錨を、
パックスは葡萄を、ミネルヴァは橄欖のみどり 嫩枝 わかえだ を授け、ポサイドンは勇敢なる駿馬を連れて立現はれ、
母なる神キベーレは數頭の獅子を馬車のながえ に繋ぎ、
歡迎の門をくぐって市民となったのだ。
神聖なる市壁よ! 汝らの中より人道の宣布者は流れ で、
遠く海の 彼方 かなた の島島の道德と藝術を傳へ、
賢者(※70)は群衆のひしめ く門前に是非を宣告し、
英雄は守護神のために戦場へ馳せつけた。
母親たちは 乳飮兒 ちのみご を抱いて城壁の上に現はれ、
出征の兵士らが遠くに消󠄁󠄁󠄁󠄁えるまで見送つてゐた。
やがて彼女らは神神の祭壇の前に 平伏 ひれふ して祈り、
名譽と勝利を、歸還の日を汝らの爲に乞ひ願つた。
名譽と勝利は汝らのものとなったが、歸つて來たのは名聲だけだった。
汝らのはたらきのいさほしは涙を唆る石碑が告げてゐる。
『旅人よ! スパルタに行かば汝の見しままに語り傳へよ、
おきて の命ぜしままにわれらの此處に横たはる姿を。』
愛すべき人人よ、安らかに眠れかし! 汝らの 血潮 ちしほ に培はれて、
橄欖の樹はみどり に繁り、いみじき若苗は愉しげに芽生えてゐる。
自由なる職業は潑剌として所󠄁得のよろこび に燃え上り、
流れのあし あひだ よりは靑味を帶べる神がさし招いてゐる。
斧は憂として(※71)樹幹に喰ひ り、ドリアスはうめき をあげ、
高く山頂より轟然と雷の如きひびき を立てて落下する。
石坑からは岩石が 梃子 てこ に押されて遙ぎ
鑛夫は山の 狭間 はざま にもぐり込んでゐる。
ムルチベルの 鐵砧 かなしき は振り動かされるハンマーに拍子を合せ
逞しきこぶし の下には鋼鐵の火花が散つてゐる。
きらきらと金色の麻糸は踊る 紡錘 つむ に輝きて巻きつき、
をさ 撚絲 よりいと の絃に唸りを立てる。
遠くの波止場では水先案内者が叫び、
故國の努力の結晶を異鄕へ運ぶ船舶が待機してゐる。
其處には又、遠い國國のたから を積んだ船が 雀躍 こをどり しながら入って來る、
高く聳え立つマスト の上には立派な 飾󠄁 かざり の花冠が風に遙れてゐる。
見よ、市場の雜沓を、活潑なる起重機を、
異様なる言葉の混亂は驚く耳の中に入り亂れ、
商人は世界の収穫物を倉庫に高く積んでゐる。
灼熱の光の下でアフリカの大地が產出した品や、
アラビアの土地で調理され、はる かに遠いチューレの島でつくられた品々を積み、
アマルテアはその角をめでたき寶財もて豊かに充してゐる。
そこでは幸福が才能者の爲に成功の產物を生み
歡喜の藝術は、自由の手にはぐく まれて生長してゐる。
彫刻家は現實を模倣して人人の眼を愉しませ、
多感なる石材はのみ たましひ を吹き込まれて物語つてゐる。
瀟酒たるイオニア式の圓柱は精巧なる人爲の天蓋をいただき
パンテオンはオリンピア全山を圍んでゐる。
輕々 かるがる と虹の 女神 めがみ 大空󠄁󠄁󠄁󠄁 おほぞら を翔󠄁󠄁󠄁󠄁󠄁ける如く、弦を離れし矢の如く、
橋梁の首軛は奔流を越えて跳躍する。
されど賢者は靜かなる部屋の中に沈思し
意義深き圖を描き、ひそやかに創造の精神を究め、
物質の强さを、磁氣の嫌惡と愛執とをため し、
空󠄁󠄁󠄁󠄁氣をつらぬ く高響に耳をそばだ て、エーテルを通す光の後を追ひ、
偶然の怖るべき奇蹟の中に信頼すべき法則を求め、
遁走する現象の中に靜止せる極をたづねる。
文字は肉と聲とを沈默の思想に與へ、
物言ふ紙は幾世紀のながれ つらぬ いてそれを運んでゐる。
驚き訝る眼の前に妄想の霧は消󠄁󠄁󠄁󠄁えて、
闇の形象(※72)は明け行く光に屈する。
人間は 鎖󠄁󠄁 くさり を打碎いたのだ。幸福なる人人よ!
されど恐怖の 鎖󠄁󠄁 くさり と共に羞恥の 手綱 たづな をも斷ち切ることを止めよ!
理性は自由を叫び、自由は粗暴なる慾望を呼び、
彼らは神聖なる自然よりほしいまま に身をもぎ離してゐるのだ。
ああ、いまし めながら人間を岸べに支へてゐたいかり
嵐の中にちぎれて、滔々として溢れるうしほ が人間を强く摑み、
無限の底へ引浚つて、渚は消󠄁󠄁󠄁󠄁え、
山なす波濤の上にマスト を奪はれた小舟が漂つてゐる。
不變に輝く大熊星は雲間に隱れて光を消󠄁󠄁󠄁󠄁󠄁し、
残れるものは最早なく、胸の中にて神さへも迷つてゐる(※73)
眞理も信仰も誠實も、對話から、
人生から消󠄁󠄁󠄁えて、誓約すら唇の上で僞つてゐる。
赤心こもつたる盟約の中へ、愛の 祕事 ひめごと の中へ、
密告者が闖入し、友から友を斷ち、
反逆は貪婪なる眼附を以て純潔を籔睨みし、
誹謗者は毒牙を以て噛み殺してゐる。
思想はけが れた心に賣り渡され、戀は
自由なる感情󠄁󠄁󠄁の聖なる氣高さを投げ棄ててゐる。
おお、眞理よ! なんぢ の神聖なる符號を
欺瞞が横領し、自然のいとも尊き聲はけが されて、
貧相なる心が快樂の衝動の中でそれを捏造してゐる。
唯だ眞實の感情󠄁󠄁󠄁は僅かに沈默によつて自己を示すのみだ。
壇上には權利が大言壯語し、和合は 小舎 こや の中に、
王座のそばには法律の幽靈が立つてゐる。
幾年も、幾世紀も、 木乃伊 ミイラ は繼續し、
生きる充滿を僞る像が永續するであらう、
やがて人間の本然性が覺醒する。そして必須と時代(※74)
重き黄銅の手でうつろ なる 建物 たてもの に觸れるのだ。
人類は、さながら猛虎の鐡の格子打破り
突如怖ろしくもヌミディアの森を思ふが如く、
罪惡と窘窮の狂暴もて立ち上り、
失はれた自然を町の灰燼の中に探す。
おお、城壁は、開きて、囚はれし者を放免せよ!
救はれし彼を見棄てられたる原野へと歸り行かしめよ!
だが、われは、そも 何處 どこ にゐるのか。 小徑 こみち は匿れてゐる。
わが後ろにも前にも嶮しき谿谷が
深淵の口を開いて前進をはば んでゐる。
後ろには 花園 はなぞの 生垣 いけがき の親しき道づれや、
人間のあらゆる衝動の痕迹を置き殘し、
唯だ生命の胚胎する物質のみ聳ゆるを見る。
造形の手を待ち望めるは 生地 きぢ の儘なる玄武岩だ。
溪流は泡立ちながら岩の 裂目 さけめ より流れ下り、
木の根をもぐ り濆然としてみち ひら いてゐる。
荒莫として恐怖に 鎖󠄁󠄁 とざ されたる此地。寂しき中空󠄁󠄁󠄁󠄁に
唯だ一羽の鷲が翔󠄁󠄁󠄁󠄁󠄁けりて天地を結合してゐる。
高くわがもとまでは如何なる風の翼も
人間の苦樂の失はれしひびき を運び來らず。
われは眞に孤獨なるか。ああ、自然よ、
なんぢ かひな に汝のふところ に再びわれを! 慄へおののくわれを
人生の怖るべき形像と共に摑みしものは、一場の夢に過ぎなかつたか。
此の暗き夢は削󠄁り立つ谷の底へ落下し去つた。
われは一層純乎として清浄なるなんぢ の祭壇よりわが生命を受取り、
希望に燃ゆる靑春の悦ばしき勇氣を取戻さう!
意志は永遠に目的と規律を變へるが、
行爲 タート は永劫に反覆する形態の中に廻轉してゐる。
されど常に若々しく不斷に變はる美の中に、
敬虔なる自然よ、汝は愼ましくいにしえ の掟を重んじてゐる。
絶えず變らぬ汝は誠實なる手をもて大人を保護し、
汝をたの む小兒と青年を見守り、
同じ乳房もて様々に轉變する時代を養つてゐる。
同じ紺碧の下に同じみどり の上に
近世代の人人は逍遙し、遠き古代の人人もつど ひ歩き
かくして見よ、ホメールの太陽はわれらにも 徵笑 ほほゑ みかけてゐるのだ。

エロイジスの祭典

黄金 こがね の穗を花環に編み、
靑い矢車菊をも編みこめ!
諸人 もろびと の眼に歡喜の光を滿たせ、
かの王妃(※75)の出でましなれば。
粗野な風紀を制御し給ふ王妃ぞ、
人と人とをむつみ合はせ、
定めなき 天幕 テント
安らかにして不動の 住居 すまゐ に變へ給ひし王妃ぞ。
 
山山の峽谷に
穴󠄁居 けつきよ たみ は怖る怖る隱れてゐた。
遊牧の民の漂泊する處、
牧場は荒されるままであつた。
狩獵者 かりうど は投槍を持ち、弓を帶して、
あまねく國を歩きめぐつたーー
巨浪 おほなみ のために不幸の濱へ
打揚げられた異鄕の民こそわざはひ だ!
 
さてツェーレスは、娘の足跡を
探し求めて、その道すがら
人の住まぬその濱べに着いた。
ああ其の時は、野はみどり でなかつた!
此處にしたし みを覺えてとど まらうとしても
泊るべき宿もなかつた。
華麗なる神殿の圓柱なきは
神神を崇めぬ證據だった。
 
どんなうま い穀物の御馳走にも
彼女は招待されなかつた。
気味惡い祭壇の上には
唯だ人間の骸骨が曝されてゐるばかりだつた。
まことに、彼女のさすらひ行く限り、
どこにもこの悲慘を見出した。
かくて彼女は氣高き心に
人間の墮落を嘆き悲しんだ。
 
再び見る人間の姿、これが、われら曾て
自らの姿をそれに與へ、
その美しき肢體は、かなた空󠄁高く
オリンプスの上に花咲いてゐるあの人間の姿なのか。
われらは人間に、
聖なる大地の胎を與へたのではなかつたか。
しかも人間は、大地の王座に
みじめに、故鄕もなく、さまよつてゐるのか。
 
いかなる神も人間を憐れと思はないのか。
群る神神の中の誰 一人 ひとり として、
奇蹟のかひな をもて人間を
深い汚辱から引上げようとしないのか。
至福に天界にいま す神神は
他の者の 苦惱 くるしみ には心を動かされないのだーー
けれども人間の不安と悲哀は
苦しいわが心を動かすのだ。
 
人間が人間になるためには、
慈母のやうな
柔和なる大地を信賴して
それと永遠の結合を行はねばならない、
四季順環の法則を敬ひ、
曲調美しく歌ひながら
静かに正しく進み行く
星宿の聖なる運行を崇めねばならない。
 
かくてツェーレスは、視界を蔽うてゐる
霧を靜かにおしわける、
突如として野蠻なる人人のむれ の中に
神の姿して、彼女が立現はれる。
勝利の饗宴に酔ひしれながら群つてゐた
荒々しい彼らは彼女を見出し、
なみなみと鮮血を湛へた皿を
犧牲 いけにへ として彼女に捧げる。
 
されどおののきつつ、恐怖の心に
彼女はおもて をそむけて言ふーー
血まみれの虎の 餌⻝ ゑじき
神はくち をつけはしない。
神は淨らかなる 犧牲 いけにへ
秋の贈る 諸々 もろもろ の果實を欲する。
聖者は野の敬虔なる
贈物を以てこそ祭られるのだ。
 
そして彼女は重い投槍を
武骨な 狩獵者 かりうど の手から取上げ、
兇器の柄を以て
やはらかな砂に さく 、、 を作り、
穗冠より
を取つて、いのちの力こもれる
その を軟い 割目 われめ に沈める、
かくて芽の力は脹んで来る。
 
たちまち大地は
みどり の莖もて飾󠄁り立てられる、
眼路 めぢ のとどく限り、
黄金の森なして、波打つ。
彼女は大地を 徵笑 ほほゑ みながら祝福し、
最初の 麥束 むぎたば をつくり、
野石 のいし を選んで犧牲壇に作る、
かくて 女神 めがみ の口は語るーー
 
天頂高き處
總ての神神を べ結ぶ父なるツォイスよ!
この犧牲がお気に召したら
そのしるし をすぐに見せて下さい!
そしてまだ、氣高いあなたの 御名 みな を唱へずにゐる
不幸なる人人の
眼にかぶさつてる雲を拂つて下さい、
彼らが自分たちの神を識ることの出來るやうに!
 
このいも なる 女神 めがみ の哀願を
高御座 たかみくら より聞きつけたツォイスは、
靑空󠄁の高みより鳴神轟かしつつ
齒狀の電光を投げる。
電光ははぢけつつ燃えはじめ、
祭壇より炎うづま き立昇り、
そが上に高く輪を描きつつ
ツォイスの敏捷なる鷲は飛ぶ。
 
かくて感動し狂喜せる群衆は
女神 めがみ の足下に身を投げ、
すさ める心は、人間らしき
最初の感情󠄁の中に融けこみ、
血腥き兇器を自ら棄て、
闇黑に閉された心を け、
女王の口より
神のをしへ を受ける。
 
やがて總ての神神は
彼らの玉座を降り、
テーミス(※76)自らが輪舞を指揮し、
正義の枝もて
諸人 もろびと の權利を測り、
自ら境界石を置き、
かくて、潜める 冥府 よみ の惡魔共を
證人 あかしびと として招く、
やがて又鍛冶の神現はれ、
發明のあるツォイスの息子、
精巧な容器の形成者、
鑛石と陶土に通曉せる神現はれ、
鉗子 くぎぬき の技術と
ふいご の装置を教へる、
かくて强く打ちおろす彼のハンマーの下より
先づ最初に鋤が生れる。
 
次にすべてのものに傑出せる
ミネルヴァ(※77)は、投槍を手にしつつ
聲高らかに響かせ
神神の軍勢に嚴命す。
女神 めがみ は、すべての人人の避難所となり、
ばらばらの世界を、親密な
團體として結合するやうな、
堅牢な城壁を築きたいのだ。
 
それから 女神 めがみ は、君主の歩を
廣々とした平野の上に運ぶ、
すると境界の神は
女神 めがみ の歩みに一足一足つき廻り、
測量しながら、 女神 めがみ 鎖󠄁 くさり
丘のみどり ふち 張廻 はりめぐ らす、
荒寥たる河床をも
女神 めがみ は神聖なるこの場所の中へ入れる。
 
總てのニンフやオレアードも
足速 あしはや のアルテミス(※78)に從ひて
山の 小徑 こみち を進み、
獵者 かりうど の槍を打振りながら
悉く寄り來り、仕事に着手し、
歡呼の聲響きわたる。
そして彼らの斧に擊たれて。
松の林はありありと倒れて行く。
 
みどり の波間からも
葦の花環を けた神が 姿 すがた を現はし、
女神 めがみ の嚴命に從つて
重い筏を仕事場に送る
そして裾の短い「時」の女神ホーレンは
輕快に仕事を見廻る。
かくて 粗削 あらけづり の材木は
彼女の手にて優美に仕上げられる。
 
急ぎ走り行く海の神の姿も見える、
素速く海の神は、 三叉戟 さんさほこ で擊ちながら
花崗岩の柱を
大地の骨組の中より截り取り
そを輕いまり のやうに
高々と逞しい兩手で上げる、
そして敏捷なヘルメス(※79)と共に
海の神は壘壁を積み上げる。
 
さてアポロは
黄金のいと より諧音と
優美な時間の拍子と
メロディの力をいざなひ出す。
ミューズの神神は
九聲の歌聲もて合唱し、
靜かにその歌のひびき につれて
石又石と積み上がる。
 
やがて 地の女神 キベーレ は馴れた手附で
廣大な門の扉󠄁を据ゑ、
かんぬき を嵌め
頑丈な錠の締金を打ちつける。
すばしこい神神の手で
逸早く奇蹟的な建設が完成され、
壯麗な神殿の壁は
旣にはなやか な饗宴の中に輝いてゐる。
 
やがて、 天人花 ミルテ の花環を手にして
神神の女王ヘーラーが近づいて來る。
彼女は世にも美しい牧人を
世にも美しい牧女のもとへ伴󠄁ひ行く。
ヴェーヌスは可愛いい子供のアモールを携へて
自らこの最初の妹脊のものを飾󠄁り立て、
すべての神神が贈物して
この新婚者を祝福する。
 
やがて新しい市民が入つて來る。
至福な神神の合唱隊󠄁に
導かれて、諧調のうちに
開かれた歡迎の門のうちへ入つて來る。
すると、ツェーレスがツォイスの祭壇の際に立つて
祭職を司宰する、
彼女は合掌して祝福しながら
群衆に向って語るーー
 
荒地 くわうち/rt> の野獸は自由を愛する、
大空󠄁に君臨する神も自由だ。
彼らの胸中の逞しい慾望を制御するものは、
自然の命令だ。
けれども、人間は、この兩者の中間にあつて、
他の人間とむつび合ふべきだ。
人間は唯だ、その道義によつてのみ
自由であり、力强くもあり得る。ーー
 
黄金の穗を花環に編み、
靑い矢車菊をも編みこめ!
諸人 もろびと の眼に歡喜のひかり を滿たせ
かの王妃の出でましなれば。
樂しき故鄕をわれらに授け、
人と人とをむつませ給ひし王妃ぞ。
われらの歌をもて王妃を識へよ、
幸福を授け給ふ世界の母を。

逍遙 Der Spaziergang(一七九五年)
 
※68 信仰は石材に云々。 靈感に憑かれた藝術家は、岩石で崇高な神の像や神殿を拵へたことを云ふ。
※69 愈〻活氣づいて 精神生活が。
※70 賢者 審判󠄁者。
※71 斧は憂として云々。樹木が倒れること。
※72 闇の形象 無智と背德。
※73 神さへも迷つてゐる 良心が迷つてあること
※74  必須と時代 革命。
 
エロイジスの祭典 Das eleusische Fest(一七九八年)
 
※75 王妃 ツェーレス(デメーテル)のこと。
※76 テーミス Themis 正義の女神。
※77 ミネルヴァ  Minerva 戰と智の女神。
※78 アルテミス Artemis 獵の女神。
※79 ヘルメス Hermes 商業の神。